楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

モチベーションが落ちる原因と、健全に高く上げる方法 ~ちゃんと自己満足してる?~

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「お前が楽しくもないものを見て、
    どうして人が楽しめるんだ?」
           (とある舞台役者)
            

 

■「やる氣」さえ高ければ、ほとんどの願いは叶う


認知症。

急にこわい単語から始めましたが、
年をとって脳が衰えたとき、まず始まるのは「意欲」の低下です。

何もやりたくない……
何をしても楽しくない……

原動力とかエンジンが弱っちゃうイメージですね。
それだともう、どこにも行けなくなる。
それから、色んなものが弱っていくんです。すごい速度で老いていく。

逆に言うと意欲って、すごいものです。
若さや可能性そのものといってもいい。

――やる氣、足りてますか?


ジブリの映画の主人公にも共通する性質ですね。
みんな「意欲」や「意思」が強い。
要は「やる氣」ですね。

または途中で「やる氣が」強くなることで、大きな成長を遂げます。
そして成長を通して、願いを叶えていく。

ぼくらの「達成力」の半分以上は、「やる氣」でできているんです。

実際、願いをどんどん叶えていくのって、
「やる氣」が高い状態でキープできている人たちです。
表情からも言葉の語氣からも意思の力が伝わってきますよね。
熱いかクールかの差はキャラとしてありますけども。


そんな大切な「やる氣」って
どうやったら高い状態で長持ちさせられるんでしょうか?


■ベストなモチベーションでいられる条件とは?


結論から言えば、
自己満足と他者満足が両立していること。
これが理想です。

これ、大事なポイントなので、
パターンに分けて、みていきましょう。

1)両者満足
--------------------

自分もやってて嬉しい。
人も喜んでくれる。
それは「自然にやりたくなる」ことです。

これが理想で、一番、高いモチベーションが維持されます。
心身の健康にもとてもいい。

氣の視点で見ても「相互交流」があります。強め合う関係ですね。


2)自己犠牲
--------------------

けっこう落とし穴なのが、
「自分は辛いけど、人が喜んでくれることがやり甲斐だから」(キラリ)
……的なモチベーションが、意外と続かないということです。

美しいんですけどね。
自己犠牲って、限界があるんです。

本当は自分にも重たいし、
実は相手にとっても重たいところがある。

本人は体力や精神力、お金が続かなくなるときが必ず来ます。
これで体を壊す人も多いですしね。
やがては「こんなにやってあげてきたのだから」という重たい念も
たまってきてしまう。

どんなに心根がいい人だって、動物の生存本能があります。
自己犠牲って、そこんところに少し反しちゃうんでしょうね。


「いや、でも、相手にとっては嬉しいことばかりでしょ?」
って思いがちなんですが、これがそうでもありません。

相手もどこかで「犠牲が影にある」ということを、感じるものなんです。
まともな人からすると「申し訳なさ」が重たい。
幼い人は「ラッキー」って乗っかりますが、依存心という重りが
育ってしまうため、やがて人生から軽やかさや自由が失われます。
簡単に言うと、ダメになっちゃうわけです。スポイルされちゃう。

そういう意味で、結局、お互いに重たくなっていくのが
「自己犠牲」のパターンだと思います。

氣の視点で見ると、放出、やがて疲弊です。
対等じゃないので(←これ重要)、交流にはならない。
最悪は、共倒れになっていきます。


ちなみに……整体やマッサージなどのセラピストが途中で
仕事をやめちゃう理由は、ここに本質があります。

このスタンスでいるから、氣が枯れちゃうし、
氣が弱った上に依存されるから、
お客さんも体調が上がっていかないんです。

きっと、他の仕事でも似ているんじゃないかな。

自己犠牲できるぐらいの人は、実力も誠意も強い。
なのに報われないのは、ここが大きいはず。
すごくもったいないケースなんです。
体、壊しますしね。


3)自己満足のみ
--------------------

これが意外と、2の自己犠牲よりはいい面があるんです。

あ、「他者犠牲」ではないところは大切ですね。
自分が楽しいことばかりしているけれど、
あくまで他人に迷惑をかけていないというパターンです。

すごい研究者、発明家、芸術家など、
何かのド天才は、この領域にいたりします。

自分は純粋に楽しいので、やり過ぎる傾向はありますが、
高いモチベーションが勝手に湧いてきます。

氣の視点で見れば、自給自足(笑)
少し「内向き」になる傾向はあるけれど、
自分の中でうまい循環がつくれていると言えます。


4)満足者なし
--------------------

当たり前ですが、これが一番辛いですね。
「何の意味があるんだろう」ってなっちゃうやつ。

氣の視点でみれば、氣枯れです(けがれ)。
これでは心身ともに、体調が崩れていって当たり前なんです。


――だから結論としては、
理想は1の両者満足。これに近づけたい。
それが難しかったら、少なくとも3の自己満足は確保したい、
ということなんです。


そう……
自己満足って、実は悪いことじゃないんです。
他人への迷惑を無視するのが悪いことってだけでね。

それどころか、ぼくは全体で2位だと思います。
そしてこの自己満足を「足がかり」にして、そこにプラス
人が喜ぶ要素を発掘できた人が1位の「両者満足」に行き着く。
そういうケースが一番多い理想形なんじゃないかな。

というわけで、ポイントは、
「いかに自己満足をちゃんとしてるか」。

意外と、ここに行き着くんです。

氣の視点でも見てきましたが、
そうすると「健全なサイクル」ができているから、
継続できるんです。

身も、心も。


というわけで、意外な盲点をおさえたところで、
実践編です。

どうやったら、
健全な「高いモチベーションのサイクル」に
入れるのでしょうか?


■モチベーションを高く維持する方法その1:
毎日のやることリストを、見直してみる


まずは、リストを書き出しましょう。
書き出すとわかること、やっぱりすごく多いです。

平均的な1日をイメージしてみましょう。

朝起きてから寝るまで、何と何をやっているか。
細かなことはキリがないので省きましょう。

目安としては、
「1時間以上かけてやっていること」がいいです。

おそらく、5個~10個ぐらいのリストになるでしょう。

その項目それぞれのすぐ右にでも、

1両者満足
2自己犠牲
3自己満足
4満足者無し

ということで、数字を書いていきましょう。

大切なのは、この割合ですね。

1か3、つまり「自己満足」がちゃんと含まれているものが、
半分を超えますか?

少なくとも、1つはありますか?


半分を超えているなら、あなたはきっと、
相当に恵まれていると思います。

ただ、1つでもしっかりとあるなら、
充分な希望です。心に大切な栄養をチャージすることが
できるので、活力をもって生きていけます。


もし1つもないとしたら……かなり心配です。

大きな「選び直し」か、
「再設定」が必要だと思います。

選び直しは生き方チェンジなレベルの話になっちゃうので、
ここでは置いときます。

そこまで派手に変えなくてもできる重要アクション、
「再設定」について、大切なヒントをお伝えしておきますね。

1つ以上あった人にとっても、
より充実するヒントになるでしょう。


■モチベーションを高く維持する方法その2:
自己満足を「再設定」する


モチベーションは「設定」できるものです。
まずはこれが大前提。

ただ「じゃんけんしろ」と言われても、やる氣は出ない。
でも「じゃんけんで買ったら、好きなおにぎりを食べていい」だと
やる氣って変わって来ますよね。

設定次第です。

で、すごく大切なことに、
今回パターンとしてみてきた4つの……

1両者満足
2自己犠牲
3自己満足
4満足者無し

実はこれも「設定次第」
やること、仕事の内容はまったく同じでも、です。
設定で変えられる。

さっきつくったリストをもう一度、見てみましょう。

1のものはそのまま放置でOKです。
もう最高ですから。

2と4のものは、見直しましょう。
やめられるものなら、やめたらいいと思います。

うん、でも、
無理なものももちろん、ありますよね。

そこに「設定」の余地があるはずです。
代表的な考え方としては……

●自分が喜ぶ目的を追加できないか
●自分が楽しめる「やり方」に調整できないか
●自分が喜ぶ「遊び」を組み込めないか

というもの。
どれも「自己満足の追加」ですね。


具体例として、
ぼくがブログを書くのに飽きて、
義務感だけになっちゃっているとしたら……

●自分が喜ぶ目的を追加できないか
→ゆるい読書ログを追加したら、読書のモチベーションにも
 なるし、学びにもいい。
 そのまま整体院のホームページにも使える記事にしよう。

●自分が楽しめる「やり方」に調整できないか
→書くのをすべてパソコンでやってるけど、ノートも
 ペンもお気に入りのやつがあるから、あえて
 組み立ては手書きでやってみるか。

●自分が喜ぶ「遊び」を組み込めないか
→たまにめちゃくちゃ意味深な4行ぐらいで終わる
 記事を書いてみるか

……みたいなことを考えます。


で、これ皆さんから見て「わかるわかる」となるほどの
具体例かどうかはわからないんですけど、
けっこう、そんなんでいいんです。

なぜなら、
「自分で好きにできるものなんだ」とか、
「自分で好きにできる部分もあるんだ」という感覚自体が、
ぼくらの満足につながるからです。

あと、
「自分が喜ぶことを考えていいんだ」ということ自体が、
改めて新鮮に感じられる人も多いはず。

盲点になりがちだけど、かなり重要な視点です。
「もっと自分が楽しいようにできないか」
慣れればその工夫自体も、楽しくなってきます。

そして「楽しくやっている」ことには、
氣が宿ります。
氣が宿ると、運がついてくる。
氣持ちが乗ってくる。
それは成果を上げることももちろんあるし、
疲労を減らしてもくれます。


何してても楽しそうな人っていますよね。

そういう人って楽しいことばかりしてるように見えたり、
楽しいことを見つけるのが上手だったりするように見える。
でも、本当はそうでもないんです、きっと。

「楽しみ上手」なんです。
普通のことを楽しむ工夫ができる人なだけなんです。


ちなみに、さっきのサンプルの
「自分」を「相手」に入れ替えたら、
人を喜ばせる要素をつくる質問になります。

●相手が喜ぶ目的を追加できないか
●相手が楽しめる「やり方」に調整できないか
●相手が喜ぶ「遊び」を組み込めないか

こっちは3の「自己満足」のみでやり過ぎている人が、
1の「両者満足」に発展させるときのヒントですね。
(こうすると、商売としての質がハネ上がります)



■あなたが楽しく生きることは「恩返し」である


最後に。
ぼくは、こう考えたらいいと思うんです。

あなたが楽しく生きることは「恩返し」である。


大切な人が楽しそうだと、うれしい。
ぼくらにはそういうシンプルな共感があります。

楽しそうな姿って、
実はそれだけで価値がある。

あなたの仲間にとって、
あなたの親御さんにとって。

テレビで長く愛されている人たちって、
みんな「まず本人が楽しそう」だとぼくは思います。

ペットもそうじゃないですかね。
いつも楽しそうだし、嬉しそう。

ずっと見てられる。
こっちまで元氣になる。

楽しそうなこと自体が、実は喜ばれることなんです。
場の空気も明らかに変わりますしね。

ぼくもセミナーをやる人間だから、日々感じます。
お客さんの中に楽しそうにしてる人が一人でもいると、
ものすごく話しやすくなるんです。
救われることさえあるぐらい。


まじめ過ぎる人には、こう言ってもいい。
「自分を楽しませることも、仕事の大事な一部です」

そんなふうに、持続可能な健全なモチベーションで、
自分を支えていきましょう。

「楽しんでいる自分」でいてこそ、
長く大切な人たちを支えていけるんだと思います。

ぜひ、
「自己満足できてるかチェック」と
できる範囲の「再設定」、
やってみて下さい。


お大事に!

というわけで今回は、
「いい仕事は『自己満足の確保』から生まれてくるんじゃないか」
というテーマでお送りしました。

ではでは、くれぐれもお大事に!
そういえばぼくは「ぼくが欲しい整体師」を目指してきただけだな。