先日、すごく久しぶりに、
満員電車に乗りました。
あまりの人の多さと電磁波を含む邪気で、
たった30分ほどで、もうグッタリ、
しんどくなりました……
毎日あれは、ぼくには、無理過ぎる。
みなさん、なんて我慢強いんでしょう。
でもいっぽうで、
「先生って、ありえない仕事量で、すごいタフですよね」
って、よく言われます。
その秘密って、何なんでしょう?
ぼくは、
自分が「よっしゃ来い!と思える苦労」しか、
してこなかったようです。
振り返って、気づきました。
●修業時代、月給が13万だったことも、
●そこで鬼軍曹みたいな先輩にしごかれたことも、
●独立準備期に、朝の2時まで出張マッサージで働いたことも、
●そこで怖すぎるその道の親分にしごかれたことも、
●こうして今、施術とブログと動画と執筆などを並行していることも、
すべて、「よっしゃ来い!」なんです。
ぼくの望むことそのものか、
または、「望むことへのつながりがハッキリ見えているもの」。
それしか、やってないんです。
だから、耐えられる。
たぶん、我慢でなく、忍耐なんです。
「耐え忍ぶ」というのは、きっと、目的ありきなんですね。
サンドバッグみたいにただ一方的に打たれまくる、
というんじゃない。
「苦労の向こう」を見てる。
「これさえ耐えれば、あすこに行ける!」というね。
逆に言えば、
「ただただ、電車の中が寒い」とか、
そういうのには、あたい、激弱です。
小学2年生ぐらいの辛抱しかできません……
そう考えたら、
「若いときの苦労は買ってでもしなさい」って
言うけれど、
「どの苦労を買うか」は、選びたいよね。
選んでいいんですよ、きっと。
そして、
「ただの苦労」に見えるものは、
必ず「後付け」でもいいから、
「目的か報酬」をセットにしたいと思うわけです。
「これさえ耐えたら、こうなるんだ」とか、
「これが終わったら、こうしよう」とか、
「今、この能力を鍛えてるんだ」とか。
そうやって、無理くりにでも
前のめりで苦労に「のしかかっていく」から、
同じ苦労なはずなのに、どこか勢いをなくして、
御しやすいものになるんでしょう。
前のめりだから、苦労の顔も、よく見えるし、
よく見えたら、攻略もできる。
結局ぼくは、
「自分の脳をだます」のが上手なのかもしれません。
だから、
「結果的には我慢強く見える」けど、
本体は、小学2年生のままです。
そこはなかなか治らんし、しょうがないと思ってます。
「永井峻ロボ」のコックピットに、
子どもが乗ってて、操作してるイメージ(笑)。
でも、ほんんとはみんな、そんなもんなんじゃないかな。
そういえば、「根っからのちゃんとした大人」になんて、
まだ出会ったこと、ないもんね。
ものは言いよう、思いよう。
(これ今思いついたけど、すごい名言ぽくないですか?笑 )
言いようや思いようで心が変わるなら、
人生だって、変わるよね。
苦労や我慢は、よく選んだ上で、「後のせ加工」していこう。