楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

心の「やわらかさ」を保つ方法

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「つまらなそうな大人」に、なりたくない……。

ぼくが10代はじめの頃から、ずっと思ってきたことです。
本人がもちろん幸せそうじゃないし、
そんな大人を見ていたら、子どもが
「大人になるのを楽しみにしなくなる」からです。

ぼく自身が、そうでした。

「大人は暗い顔して、不機嫌で、グチばかり言っていて、
 『お前ぐらいの学生のころはよかったなぁ』なんて嘆いてる。
 人生って子どもの時代だけが『いい時期』なの?」

そう思ってました。
だから、大人になるのが嫌だった。
 
でも、本当は、違ってた。
大人になってからのほうが、ずっと面白い。
小さい頃の自分に、教えてやりたいぐらい。
……ただ残念ながら、
「そうは思えていない大人たち」も、たしかにいる。

何が違うのか?
つまらない大人にならないために、何が有効なのか?

ずっと考えてきた、このテーマ。
今の時点での仮説を、まとめてみました。

 

「心のやわらかさを保つ」

1番大事なのは、これじゃないかと思うんです。
面白い大人は、みんな共通して、
「やわらかさ」があるから。

●偏見が少ない。
●フットワークが軽い。
●他人のことを簡単に決めつけない。
●やりもしないで文句言ったりしない。
●自分と違う意見を面白がる。
●人を尊重する

そういう「ナイスな大人」には共通して、
「心のやわらかさ」を感じます。

でもこれ、もともと、
みんなが持っていた美徳ですよね。

たとえば、何も知らなかった3才のときは、
↑みたいなこと、なかったはず。

だってね、

●偏見に満ちた3才児
●「ぁんだよ、ダリいな」とフットワークが重い3才児
●他人のことを「お前はダメなやつだな」とすぐ決めつける3才児
●「俺はハイハイとかしねえ主義なんだ。なんだあのダセえのは」と、
 やりもせず文句ばかりいう3才児
●「お前はミルクを飲めというが、俺は脱脂粉乳派だ。他は一切、認めん」と、
 他の意見を認めない3才児
●「おい、母公、お前の言うことは信用できん」と、
 他人を尊重しない3才児

……おかしいもんね、こんなの(笑)


じゃあ、どういうことか?

どっかでその「心のやわらかさ」を、失うんでしょう。
その点はどうやら、間違いない。
ただ、その「心の枯れ」が20代でもう来ちゃうのか、
90代でも大丈夫なのかは、人によって、わかれるらしい。

実際、いますもんね。
面白くて魅力的で心が若いおばあちゃんとか。

どうしたら、そんなふうに、
心のやわらかさをキープできるのか?


大事なヒントは、↑の例の、
「何も知らなかった3才のころ」というところ。

どこかで、
「ぼくは何も知らない」から、
「ぼくはもう知ってしまった」になって(勘違いして)、
心がかたく、枯れていくんじゃないか。

ほんとうは、90才になったって、
知らないことばかりなのにね。
人類自体にさえ、まだまだナゾがいっぱい残ってるんだから。
盲腸にも意味があったって、つい最近発見されたし、
腎臓がほかの臓器に連絡をとってることだって、新しいし。

なのに、どっかで間違えちゃうんだよね。


「世の中ってのはな……」
「どうせ人間なんてさ……」
「最近の若いやつらはよ……」
「俺なんてどうせ……」
「何夢見ちゃってんの?」

って。

どれも「つまらなくなってる(状態の)大人」が
よくいうセリフだよね。

改めてみたら、どれもこれも、
「決めつけ」がある。
「知っちゃった気」になってる。

「世の中ってのはな……」 → 世界を知ったつもり
「どうせ人間なんてさ……」 → 人間を知ったつもり
「最近の若いやつらはよ……」 → 若い世代を知ったつもり
「俺なんてどうせ……」 → 自分を知ったつもり
「何夢見ちゃってんの?」 → 他人(の限界)を知ったつもり


ウソだよね?

だって、その人と同じ地球にいて、
違う考えで成り立って、
違う考えでうまくいってて楽しい人が、いっぱいいる。
その人と同じ家、同じ会社、すぐ近くのデスクにだって、
きっといくらでもいる。

「知った気になる」と、閉じるから、枯れる。
たしかに、閉じたら、吸収しないものね。

そう考えたら、ソクラテスって、
「無知の知」なんて、すごいこと言い残してくれましたね。

「『自分は何も知らない』ということを、私は知っている」

そしたら、閉じないから、潤う。
たしかに開いていたら、吸収するもんね。
人も受け入れるし。


「何かについて、自分はもうわかってる」
と思ったら、終わりの始まりなんだね。

この心得は、強く心に刺しておきたいな。


おそらく、
「うまく行き過ぎている」
「うまく行かな過ぎている」
のどっちでも、勘違いしちゃうんだろうな。

「こんなもんか」と世界をナメちゃうのも、アホの始まり。
「こんなもんだ」と自分をナメちゃうのも、アホの始まり。
どっちも盲目。


ぼくは、何も知らない。
もっと知りたいから、書いてる。
書けば書くほど、知らないことを自覚する。
途中で正直、嫌になることもある(笑)
でも、それをやめないで、ここまで来た。
それは未熟な自分を開いてでも、
「閉じたくないから」だったのかも知れません。


きっと、
無知は、恥ずかしいことではないのでしょう。
無知を恥ずかしいとして隠すことが、恥ずかしいのかも。
無知をしっかり踏まえてむしろ目を見開くのは、
むしろ、知的でかっこいいことなのかも知れません。


無知じゃない人なんて、いないんだもんね。
神様じゃあるまいし。
そんなスタンスでいられたら、
心の老いは、ぼくたちを素通りしていくんじゃないか。


今のぼくは、そう考えています。