楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

【楽.251】不幸の始まりは、「理由」の想像から。

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「みんな宇宙人同士だと思ったほうがいいんだよ、いっそね」

           (いつも抜本的なカウンセラー)

 

■ あなたには、いつも悪気、ありますか?



誰かを、怒らせてしまった。

そういうシーンを思い出してもらったとき、
あなたに「悪気」って、ありましたか?

「おうさ、あったぜ!」
という人は、かなりキモが太い。
よほどの狙いがあったか、ドSさんでしょうか(笑)

ほとんどの場合、悪気なんてなかったはずです。
「そんなつもり」、なかったはずなんです。
95%はそうでしょう。

誰だって、もめ事は嫌いです。
嫌われるのが本当に平気な人なんてほとんどいない。

だから、
「誰かを傷つけよう」として傷つける人は滅多にいないし、
「誰かを怒らせよう」として怒らせる人なんていない。

不注意、
すれ違いのミス、
出会い頭のミス、などなど。

ほとんどは、
コミュニケーションにおける「突発性の事故」なんです。


■ 95%の人には、悪気がない



あなたに悪気はない。
それは、彼だって、彼女だって、おんなじです。
他の人だけ悪魔のように性格が悪い……わけがない(笑)

誰にも悪気なんてない。
ほとんどそうなんです。

それが「お互い様」ということ。
ぼくはこれ、魔法のキーワードだと思ってます。

95%の人には、悪気がない。
つまり、95%のトラブルは、
本来「事故」なんです。

もちろん、事故とは言っても、再発を防ぐことは大事です。


とはいっても、
「わざとじゃないこと」「悪気がないこと」について、
激怒する必要は、ないかもしれません。

「なんてひどいやつだ」なんて思うのも、
スジ違いかもしれませんよね。

だって、「わざと」じゃない以上、
計画性なんてないわけですから。

「ひどいやつ」ではないんです。
ほとんどの場合。

「結果的に、ひどいことになっちゃった」だけで。

この違いって、実はすごく大きいんです。
特に、あなた自身の「心の健康」において。



■ 理由を勝手に想像してはいけない



理由の想像は、神経症の始まり。
こんな風にも、言われます。

これ、けっこう意外じゃないでしょうか?

心理学で、
「心が病みやすい人の代表パターン」として、
出てくるんです。

「他人の行動の理由を想像で決めてしまう」
というパターンで、
「エスパーじゃないんだから、理由はわからないものです」
というツッコミまでついています。


はじめてこの考えに触れたのはもう4年前です。
なかなかしっくり納得できなかったのを覚えていますが、
今ではこれ、よくわかるんです。

なぜなら、
神経の疲れを抱えている人に、この特徴が、
ピッタリと当てはまるからです。

1)「あの人は、ぼくのことを嫌っているに違いない」
2)「私のことをバカにしているから、あんなこと言えるんだ」
3)「部下のやる気のない態度に、もう嫌気がしているんです」


……こういう気持ちは、もちろん、理解できます。
ただ、いっぽうで、「理由の決めつけ」が潜んでいる匂いも、
プンプンしてくるんです。


1)何で嫌われていると感じたかはわかりませんが、
  そういう意図は、「あの人」にはなかったかもしれない。
  表現が下手なだけで、近づきたがっているというすれ違いは
  多々あります。

2)「あんなこと言った」人も、あなたをバカにする意図は
  なかったかもしれない。
  言葉がめちゃくちゃ下手で、どんなことが他人を傷つけるかを
  知らない人もいます。言葉の好みもそれぞれです。
  (変人という言葉を、誉め言葉で使うかどうか、とか)

3)部下の態度は、マナーを単純に知らなすぎるだけで、  
  やる気がないわけではないかもしれない。
  反省を表す手段として、じっと静にする、という
  オプションしか知らないという若い子がいたりします。


――そういう、
「最初に想像するのとは全然違った実態」が
潜んでいたりする。

……どころか、想像と全然違うことの「ほうが」
多いんです。

だから、理由を勝手に想像しちゃう人(とき)というのは、
「相手の実態や事実」というよりも、
「自分の想像や想定」に怒っている。悩んでいる。

これ、ゆがみですよね?
独り相撲なんです。

それが多かったら、そりゃあ、ストレスって無限大ですよね?

だから、
「理由を想像してはいけない」んです。

はずれるから。
ものすごくムダだから。

そもそも腹が立つようなことを平気(っぽく)されている時点で、
タイプが違う人なんです。考え方も常識も好みも違う相手です。

自分とタイプが違う人の行動なのだから、
理由なんて読もうとしたって当たらないんです。

どだい、何十通りもあるんです、理由の候補なんて。
あたるほうがおかしい。

それこそ、エスパーじゃないんだから、
という話なんです。



■ 想像は想像として捨てる



あたりもしない予想を元に感情を乱すなんて、
すごくもったいない話です。
まして、それを元に行動を起こしてしまったら、
もったいないを通り超して、「危ない」です。

シンプルに「誤解」ですからね。
「えん罪」と言ってもいいぐらい。

ニュースで殺人事件とかを聞いていても、
殺人の動機(理由)に納得できることなんて、
あんまりありませんよね?

「なんでそんな極端なことを思っちゃったのか」
「どうしてそんな決めつけを信じ抜けたのか」
って思うことがほとんどです。

そもそも、誰かを殺してしまいたいほど憎めるなんて、
どこかに飛躍があるものなんです。

飛躍は「想像」から生まれます。
よくも、悪くも。


そして多くの場合、
誰かの特定の行動について、
「その理由を悪く想像した(決めつけた)」とき、
破壊的なストレスが込み上げてくるんです。

逆に言えば、
ものすごく強い怒りやイライラを感じた場合、
「もしかして今、理由を決めつけちゃってる?」
って自分に問うといいんです。

「そんなつもりないかもよ?」って。

立場が逆だったら、そう考えてほしくないですか?
こっちに悪気がある前提でなんて、
判断されたくないですよね?

もし、何かやってしまったときだって、
「あなたのことだから、きっと、理由があったんでしょ?」
って聞いてくれたら、その信頼に応えたいと思うし、
その人をすごく大切にしたいと感じませんか?

だって、こっちには悪気なんてないんですもん。

そう、そして、
あっちにだって、悪気なんてないんです。


「お互い様」なんです。



■ 聞くということ。聞き方を工夫するということ



事実確認は常に、想像よりも効果的です。
やさしくもあります。

事実確認。

これができる・できないが、
ストレスに強い・弱いをわけるし、
仕事のできる・できないさえ、
決定づけているように思います。


……と書いてくると、
事実確認が苦手な人は、
「そんなこと、聞けないよ!」とおっしゃいます。

ぼく自身も、そうでした。
「そのセリフが出てくるって、俺のこと嫌いなの?」
なんて、怖くて聞けねえよ!

そう思ってました。


でも、そうじゃないんです。
聞き方を工夫したらいいんです。

「俺のこと嫌いなの?」
っていうのは、中身を言ってしまえば、
「俺はこう想像したんだけど、合ってる?」
という「解釈ありき」の質問なんです。

――そう。
解釈ありきの質問って、ウザいんです(笑)
思い込みをぶつけてこられちゃうから、
答える側にとって「余計な重り」が乗ってるんです。


そうじゃなくて、
「ってことは、どうして欲しいってこと?」
というふうに、聞くんです。

もっとライトにいうなら、
「ごめん、どいこと?」でもいい。

いずれにしても、
「こっちの想像や解釈はわきに置いておいて」、
「相手の意図を」、
「シンプルに聞く」ということ。

これが、聞き方の工夫です。

多分、「もともとシンプルに聞ける人」には
はぁ?当たり前でしょ?って感じだと思います(笑)

でも、「なかなか聞けない人」には、
「へ~」ってなるはず。

それも、タイプの違いなんです。



■ タイプが違うという面白さ



「でも、そんな風に聞いちゃうと、
 責めちゃう感じになりませんか?」

純正の「聞けないタイプ」の人は、
きっとこう感じることでしょう。
その気持ちも、よくわかります。

ここで、大切な事実をぜひ知っておいて下さい。

誰もがもともと悪気があるような人じゃないんでしたよね。
だから、ただ意図を聞かれただけで「責められてる」と思うとしたら、
その人はよほど後ろめたい人か、よほど心が弱っている人です。
(そういう相手を想定するのは限界もある上に、
 普通の人に対しては逆効果です ← 氣の遣い過ぎで)

そもそも、
こっちが意図を確認しなきゃいけないような、
「ストレートに言える人」なわけです。
(飾りや繊細さを重視しない人。よい悪いじゃなくて)

ストレートに話す人というのは、
ストレートに聞かれても大丈夫な人なんです。
「ストレート族」と言ってもいい。

これ、かなり重要な法則です。

日本人は、
この逆の「ソフトタッチ族」のほうが多い。
教育の影響でそうなっていると思われますが、
本当は半々なんです。

でも、くり返しますが、
「違い」があるだけで、どっちも「間違い」ではありません。

ソフトタッチ族を「礼儀正しい」とも言える一方で、
よそよそしいとか、遠回り、腹を割らないとも言えます。

ストレート族を「きつい」と感じる人もいる一方で、
わかりやすい、嘘がない、相手への信頼がある、
とも言えるわけです。

どっちにも良さと武器、そして弱点がある。

大切なことは、
違いを知っておけば、「無意味な誤解」で
嫌ったり、価値ある可能性をつぶしたりしないで済む、
ということです。


ソフトタッチ族とストレート族が仲良くなったときに
生まれるものの価値は、すごく大きいです。

硬軟折り混ざった「ベストマッチ族」なイメージです。
そういう「すごく大勢に響くもの」が生まれることもあるし、
反対側のタイプを理解・許容できた人は、
相手に応じて「ソフトタッチ」と「ストレート」を
使い分けられるようになるんです。

野球にたとえるなら、
変化球も強い上に、ストレートも早い、ということ。
そりゃあ、強いに決まってますよね。


それを目指したい。
人間関係の面白さはドンと増えるし、
仲良くなれる相手の幅は、もちろん広がっていくわけです。



■ だからこそ、事実確認



くりかえしになりますが、
だからこそ、余計に「事実確認」には価値がある。

予想外の答えが、返ってくるもんです。
それは、ぼくらの世界を広げてくれる新しい風です。

だから、窓、開けておきましょう。

「こうに違いない」とか「きっとこうなんだ」
っていうのは、窓を閉め切って、狭い室内から外のことを
あれこれ妄想するようなものです。
そもそも健全じゃないし、いいことありません。

窓を開いて、解釈も屈託もいったん置いておいて、
「実際、どうなんスか?」って、聞いてみること。

それは、今、目の前の問題を軽くしてくれるだけじゃないんです。
ぼくらの一生を左右する人としての器を大きくしてくれる
効能がある。

勝手に一人で想像してたら、世界は狭くなるいっぽうなのに。
どでかい違いですよね。


不幸の始まりは、理由の想像から。

9割以上はわからないんだから、
聞かないと正解がわかりようがない以上、聞きましょう。


ひらけ、窓!


……ということで。


ではでは、くれぐれもお大事に!
耳が2つあるのも、2方向を聴けってことかもしれないね。