「今日、いい日だった?」
(天才を育てた母)
■ 幸せの正体は、「いい時間」だと思うんです
「いい時間を過ごせたな……」
浮かれてしまうような中毒性のある興奮でもなく、
刺激が足りない平淡でもなく、
地に足の着いた、深い喜び。
結論から言ってしまえば、この「いい時間」を
目指すことって、すごく健康的だと思うんです。
大興奮を目指していると、おかしくなります。
キリがないから(最後は麻薬的なものに……)
かといって、安心や平淡ばかりを目指していても、
心が痩せ衰えてしまう。
派手すぎても、地味すぎても、いまいち幸せじゃない。
……というか、幸せ感が続かない。
もっとたしかな、ハラに染みわたるような
長続きする幸せ感は、「いい時間」というイメージの近くに
あるんじゃないか。
多くの「幸せ不足な人たち」や、
同じぐらい多くの「満ち足りた人たち」を診てきて、
最近、強く感じることです。
だから、このイメージを活用する心の仕組みを知っておくと、
きっと役に立つと思ったんです。
■ 目標達成だけでは、幸せになれない(新しい指標へ)
「でかいプロジェクトが終わったとたん、燃え尽き症候群になっちゃった」
「金メダルを取ってから、すっかり元気がなくなった」
「定年退職したら、急に老け込んじゃった」
――どれも実は、同じ問題です。
「目標達成依存」
あまりに強く、目標達成を意識し過ぎると、
「その次」がどんどん欲しくなります。
その強すぎる興奮がクセになっているので、
「もっともっと」が止まらない。
目標達成のために自分に厳しくなれる分だけ、
達成の気持ち良さが強烈で、中毒になってしまうのです。
脳内麻薬、ドーパミンの仕業だと言われています。
強すぎる興奮は麻薬のようなもので、
「それがない日常」を色褪せたものに感じてしまう。
日々の生活を楽しめなくなる(クセがつく)んです。
だから、次の目標が探しにくいときに、
燃え尽きる。
心の火種が消えてしまうわけです。
じゃあ、目標が次々見つかればいいのか?
というと、そうでもありません。
どのみち、没入しすぎてしまうので、
どこかで体を壊してしまうこともあります。
いずれにしても、
「特定のこと以外に興味を持てない状態」
「一番犠牲(後回し)になるのは健康、家族という状態」
が続いてしまいます。
幸せとは呼びがたいですよね。
だから、新しい指標が必要なんです。
「目標達成」という強い興奮剤ではなくて、
もっと静かな、日々の中にある喜びが、必要になってくる。
それが、「快適な充実感」。
それこそが「いい時間を過ごしたな」という感覚なのです。
■ 「いい時間」のつくり方
「今日もいい日だったな」と思えたら、それでいい。
そう思える日々が続くなら、間違いなく幸せでしょう。
未来のために今を犠牲にするのでなく、
今は今として味わうこと。
そして、「いい日だったな」と思うために必要なのは、
「いい時間」をつくることです。
「いい時間」を過ごした日は、いい日だと思えるから。
――では、ぼくらにとって、「いい時間」って?
大人になると忘れてしまう感覚なので、
ぜひこれをチャンスに思い出して下さい。
● 時間を忘れてハマれること
● それをしているときの「自分」が好き、ということ
● 誰かと一緒に楽しめること
● 長くやってもあまり疲れないこと(心地よい疲れなこと)
● 新しい何かに気づけること(自分や人、法則、その他)
● 頭でなく体が喜ぶこと(五感に心地よい)
※ ただし、あとで自分を責めずに済むこと
たとえば、こういったことです。
実は、あまり時間の長さは関係ありません。
たとえばぼくにとって
「岳飛伝を読むこと」(すごく好きな本を読むこと)は、
↑のすべてに当てはまります。
忙しい日であれば、10分だっていいんです。
そのほんのり輝くような10分があれば、
「なんだかんだあったけど、いい時間を過ごせたな」と思える。
そういうことでいいんです。
そしてもう一歩。
さらに深く言えば、普通のことを↑みたいにしてしまう、
「充実化ゲーム」も、とてもオススメです。
たとえば、ストレッチで言えば……
●「夢中になれるような質の高いストレッチを探そう」
●「どうせやるなら、心地よさをとことん追求しよう」
●「嫁さんと一緒にやろう」
●「疲れないやり方を探しながらやろう」
●「どのポイントが特に固いのか、探しながらやろう」
という風に試すなら、
たかがストレッチ、されどストレッチ。
意味や面白さが変わってくるのです。
それも、劇的に。
「いい時間を過ごせるようなことをする」のも手だけど、
「いい時間を過ごせるようなやり方にしちゃう」というのもまた、
かなり万能な「幸せの作法」なんです。
だから、
この「充実化ゲーム」、ぜひオススメしたい。
やり方は、シンプルです。
普通のことを……
● 時間を忘れてハマれること
● それをしているときの「自分」が好き、ということ
● 誰かと一緒に楽しめること
● 長くやってもあまり疲れないこと(心地よい疲れなこと)
● 新しい何かに気づけること(自分や人、法則、その他)
● 頭でなく体が喜ぶこと(五感に心地よい)
※ ただし、あとで自分を責めずに済むこと
こうできないか、工夫を考えるだけ。
内容は、体操でも、仕事でも、洗濯でも、皿洗いでも、散歩でも、
レゴでも読書でも、映画でも、掃除でも、なんだってOKです。
地に足がついた喜びで、日々を満たしてあげましょう。
ドーパミン的な強すぎる興奮(一時的)ではなく、
セロトニン的な静かで安定した喜び(継続的)へ。
それは健康にもいいんです。
何より強調したいのは、
この喜びを追う……というより味わう分には(←これもコツ)、
燃え尽きないんです。決して。
これからますます、
「燃え尽きずに、淡々と高い平均点で仕事が続けられる」
ということは、強い強い武器になりますからね。
目標達成しよう!も悪くはないけれど。
幸せになろう!も悪くはないけれど。
「いい時間を過ごそう」という視点はとても素敵だし、
「今をいい時間にしよう」と思えたら、こんなに心強いことはありません。
そんな柔らかな感覚で、
今年一年を、いい時間にしましょう。
……というわけで今回は、
「幸せの探し方を、誤解しないようにしましょうね」
というテーマでお送りしました。
ではでは、くれぐれもお大事に!
要は毎日おいしい和食のような、そういう生き方ですね。