楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

ぼくたちは「その後の話」をまだ知らない

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「今お前がやっていることの価値は、今のお前にはわからない。
 まぁ、5年後のお前にも、2割ぐらいしかわからんけどね。
 でも、それだからいいんだよ。」
          (素質マスター)
         

 
去年の夏。九州。
スイカ売りに、騙されたんです。
それから1年半がたって、わかったこと。
 

「メロンを超える甘さ!」

心地よく車でドライブしていたとき、
道の横っちょに、どでかい看板があったんです。

でっかいスイカを売ってて、
メロンより甘いだなんて、氣になるじゃないですか。
うちの奥さん、スイカがメシになるぐらい好きですし。
 
で、試食させてくれるんです。
真っ赤な切れっ端をわりばしにさしたやつ。

「ん甘っ!」つってね。
これがまた、異常においしいんです。
ジューシーで、味が濃くて。
いくらでもいける。
 
ええ、書いたましたよ。
でっかいやつ一玉ね。
4000円ぐらいだったはず。

「こんだけ甘いなら、安いんもんじゃい!」


……で、やられたわけです。

わくわくして家に帰って食べると、
「さっきのとぜんぜん違う。ぜんぜん甘くない」(笑)
なんなら見た目の赤さからして、うすいうすい。
 
まぁ多分、試食の時点ではすごくいいやつを
食べさせてくれてたんでしょう。
ただ、ぼくらに売ったのは、別種だった。おそらく。

だから甘さの落差も、
ぼくらのテンションの落差も、すごかったわけです。
ショボーンとね。

なんだかもう、
「カルピスだと思って飲んだら牛乳だった……」
ぐらいの肩すかし感(笑)

ジューシーさだけは、すごかったんですけどね。

だからぼくの中では、
「九州でスイカ売りに騙されてカルピスが牛乳化事件」
として、この件は苦く記憶されていたんです。


しかし……


一年半がたって、

「この前は、スイカ、ありがとうね。
 ものすごく友達に喜ばれたよ!」

ってお礼を言われたんです。
九州の実家のお義母さんに。

そう、スイカまるまる一玉なんて
とうてい食べきれないですから
(しかもある意味、苦味を含んだ牛乳味)
大半を残していってたんです。

そしたら、お義母さん、
老人会の仲間にあげようと思って、
ゴルフのときにもっていったらしんです。

夏。
楽しくゴルフして、気持ち良く汗をかいたあと、
よく冷えてジューシーなスイカをがぶり!
それはそれは、おいしかったそうです。

「うまかー!うまかー!」いうて、
すごい喜びよろしたとよ。
重かったけど、スイカを持っていってよかった。

とのこと。

老人会のみなさんはもちろん、
お義母さんもとても喜んでくれたわけです。


あらー、なるほどなぁ……

あのスイカは失敗だったと思ってたけど、
どうも、そうじゃなかったんですね。

ぼくはあのスイカの「その後の話」を知らなかったから。

1年半もたって、ぼくにとっての
「スイカの価値」が変わったんです。

というか、ぼくには見えていなかった価値が、
あのスイカにはあったんです。
使いこなせなかった意味が。
 
わたし、反省しました。
スイカに申し訳なかったと思いました。
でも結果的にはきっと、スイカも浮かばれたでしょう。
お義母さんに有り難いと思いました。


ぼくらは「その後の話」をまだ知らない。

これって、
スイカだけの話じゃないよなぁ。

そう思うんです。


ぼくが今「あれは失敗だった」と思っていることも、
もしかしたら、まったく別の価値をもっているかもしれない。

今後、「あの失敗があったから、今があるんだな」
って思えるかもしれない。

それどころか、実は「そのときのその時点」でさえ、
誰かにとっては別の価値があったかもしれない。

ものごとの価値や意味を、
ぼくは簡単に決めてしまう。
「あれはよかった」
「あれはよくなかった」なんて過去について思うし、
「いま腰がよくない」
「いま仕事が順調じゃない」というのも、そう。

でもそれって、
時間的にも空間的にも、
すごく限られた「点」での評価……独断でしかないんですね。

違った視点で見たら、
別の人から見たら、
もっと先のことも考えて見たら、
少し未来の自分が見たら、
もっと広く、奥行きのある価値や意味が、かくれている。

あるときそれが、掘り出されることもあるし、
認知はされないまま、肥料になっていることも
あるんでしょう。


簡単に評価なんかしちゃいけないね。
ものも、ことも、人も。
過去も、今も、未来も。

自分が思っているよりずっと、
「今のぼくに見える部分」は小さい。

ただ、その小ささを知ってさえいたら、
「今はわからない価値や意味があるかも」
という想像を広げることはできる。

そしてその想像の広がりは、きっと、
慎重さや、経験の豊かさや、余裕を生む。

だから、この出来事を
ちゃんと覚えておきたいな、と思ったんです。


これからも、
スイカを食べるたびに、
ぼくは自分の小ささを再確認して、
未知の希望にホッとするんでしょう。


ぼくらは「その先の話」をまだ知らない。


というわけで今回は、
「自分が思う価値なんて、あてにならないよ」
というテーマでお送りしました。

ではでは、くれぐれも、お大事に!
予断を減らせたら、すごく生きやすいんだろうなぁ。