楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

ナースのお姉さんの嘆きと、超キレたぼく。

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「あなたはいいわね、私と違って、
  可能性に満ちているじゃない」

ぼくは大学生のとき、
あるナースのお姉さんにそう言われたことがあります。

そして、キレました(笑)

 

当時(2000年ごろ)、
「意識高い感じにしたい系」だったぼくには、
5人ぐらいの「メル友」がいました。
(なんてなつかしい響きでしょう(笑))

「色んな社会人と交流してみたい」と、
掲示版で募集をしたわけです。
それで、5人ぐらいが声をかけてくれました。
 
その中の1人が、
そりゃあもう狂ったように忙しいという看護師の女性で、
「私にはもう選択肢がない」って言ったんです。
時間はない、上司は鬼、お金もない……
 
ぼくは、
今よりずっとずっと「努力ですべては叶う主義」でした。
だから、
「お姉さん、それは間違いだよ」ってかなり強めに
教え諭しにかかったわけです。
18歳のくせに(笑)

そしたら、どうなったか。

「あなたには、わからないわよ!」
ということで、もうメールのやりとりが途絶えました。

キレたら、キラワレて、キラレた。
まぁ、そりゃそうもなるわなとは思います(笑)

ただ、ぼくは、
あのお姉さんはやっぱり、
「健全な状態にいなかったんだな」と思うんです。
今でも。
 
子どもが大人になったときに、
可能性って狭くなっているのか。

別にそんなことはないと思うんです。

そりゃあね、
何か「だけ」を見たら、衰えていくものはあるよ。
体力、体型、勢い、暗記力……
ぼくも、階段のぼるだけでこんなに疲れるなんて、
ほんとうに知らなかった(笑)

でもね。
 
自由に使えるお金は10代より多いはずだし、
行ける場所の限界は海外にも広がっているはずだし、
住む場所も、
働く場所も、
考え方も、
意味づけも、
一緒に過ごす相手も、
目指す場所も、
目指さないゆるさも……

選べる。
昔は、自分で選べなかったものばかり。


全体をみて、冷静に比較したら、
増えてるもののほうが多いよね。
経験なんて増えるしかないし。
 
「ああもう、こうなったら、一巻の終わりだ!」
なんて言い方があるけど、
「あそっか、じゃあ、2巻、読もっか」
って話でね。

何にでも「続き」ってあるよね。
よくもわるくも。
そう、よくもわるくも、できるところがあるよね。

超つまらない映画を見た後に、
「なんであんなにつまらないのか」
「どこさえ違ってたら、少しは面白かったのか」
「なぜあの映画が制作されたのか、できたのか」
なんて、あれこれ考えることは、
意外と面白かったりするものだし。


「いまえらべること」だけじゃなく、
「これからのこと」だけでもなく、
「いままでのこと」だって、
ほんとうは、ある程度の自由がきく。

内容を変えられることも多いし、
それが難しくても、
その意味づけを変えることは、いくらでも、できる。
 
「自分はかわいそうだ」と、閉じ込めていなければ。
「自分が正しいのだ」と、閉じ込めていなければ。
つまり、思考を止めてしまっていなければ。
心を止めてしまっていなければ。
 

お姉さんはあのとき、
「ひょっとしたら、そうかも」が、言えなかった。

ぼくも、
「ひょっとしたら、そうかも」が、言えなかった。

その頑なさがぶつかったから、
どっちが正しいでもなく、
途切れるしかなかった。
それはそれで、心を止めてしまっていたんですね。
 

「ひょっとしたら、そうかも」

可能性を見捨てないまなざし。
すぐまた立ち上がれる、座り方。
心の窓を開けることば。


「きっと、こうだよ」の、真逆だ。

あのお姉さんは、今、40代前半か。
どうしてるんだろう。
 
 
予想って、
あんまり幸せの役に立たないもんだなぁ……


人の話に、
「ひょっとしたら、そうかも」って素直になる。

自分の考えに、
「ひょっとしたら、違うかも」って素直になる。


歪んだ信念よりは、
やわらかすぎるぐらいの素直のほうが、
ずっといいのかも。

何より、付き合ってて、かわいいですしね。


やわらかさは、可能性そのものです。