楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

ずっと日陰の「二軍」だったぼくが、大逆転できた理由

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ぼくはずっと「二軍」だった。
サッカーのスポーツ少年団で。

肩身がせまくて、自分の居場所なんてない。
そう思い続けた10歳の頃は、苦しかった。
 
でも……そうじゃなかったら、
今の自分にはなれなかったと思うんです。


走れば、ゲベ(ビリのこと。富山弁?)
勉強は中ぐらい。
折り紙は好きだけど、活躍の場がぜんぜんない。
超泣きたくないのに、すぐ泣いてしまう。
泣いてしまったのが恥ずかしくて悔しくて、
3倍の勢いでむせび泣いてしまう。
1歳下のノリ君が「大丈夫だよ」と慰めてくれて、
ますますナイアガラの滝のように涙の濁流、エンドレス。

……ぼくは、そういう子どもでした。

目立ちたい気持ちは人一倍あるのに、
目立てるものを何一つ、持っていなかった。
 
そして3つ年上の兄が、
もうね、まぶしいぐらい目立っとるわけです。

走れば一等賞。県大会にも出る。
練習しないのに試合でゴールを決める。
習字も勉強も、大抵のことは極めて優秀。
「進撃の巨人」レベルで背が高い。
いつも友達に囲まれている。

そういう兄が、
同じサッカーのスポーツ少年団にいました。
(「スポーツ少年団」が懐かしい響き過ぎて、
 何度だって言いたい)

3割は自慢するような気持ち。
でも7割は、ますます肩身が狭い気持ち。

「ゆうちゃんの弟のくせに、下手だな」
「身長も普通やな」
なんてことを言われる。
ことあるごとに、比べられてしまう。

子どもに悪気なんて、ないんですけどね。
悪気がない分、残酷だったりします。

実際ぼくは、下手くそでした。
でも「えらく上手い兄」と比較されることで、
下手さが際立ってしまう。
肩身が狭いから、ビクビクしてるし。


そういう環境で、
人一倍強かった自意識は、
「ボッコボコにされた」わけです(笑)

「自分には特別なものが何もないんだ」、
「並以下の存在価値しかないんだ」と知る。

それは痛ましいようで、
まぁ、実際、痛かったわけですが、
逆に、「自分に過剰な期待をしない態度」を
育ててくれたようにも、思うんです。

「世界に1つだけの花」の真逆というか(笑)

ただ、救いだったのはじいちゃんで、
「お前は大器晩成だよ」と言い続けてくれた。
だから、いつかはうまくなるかも知れないとは、
心のどこかで思えていました。
「いつ来るんだろう?」って、ずっと待ってた。


サッカー自体は好きだったし、
上手になりたいとは思う。本当は目立ちたい。
でも、いたたまれないぐらい肩身が狭い。

……そういう子どもがどういう行動に出たか。

ぼくは練習開始の1時間前、
まだ誰もいないグラウンドでボールを蹴るようになった。
チームメイトは一人もいないけれど、
恥ずかしくも辛くもないから、思い切りやれる。

とはいっても、一人ぼっちなので、
できる練習って、シュートぐらいしかない(笑)

だから、来る日も来る日も、
シュート練習ばっかりやってた。

そんな日々にも、
「拾う神」は実際いるもので、
スポーツ少年団の先生は、そういうぼくに、
どうやら気づいていたらしい。

ある日、
「一軍」のシュート練習の場に、ぼくを呼びました。
「ちょっとここで、シュートしてみなさい」と。

その頃のぼくは、ほぼ忍びの者で、
「はじっこでできるだけ見つからないように気配を消す」
というスキルが町一番ぐらいになっていたので、
超びっくりしました。

まして、一軍の練習に参加するのなんて、
逃げたくて逃げたくて、ふるえる。

でも、普段怖い先生は、
このときばかりは少しやさしい顔をして、
「いつも一人でやってるときみたいに、蹴ればいい」
と言ったんです。

……勇気が出ました。
自分でも驚くほど。

「この人は、知ってくれていたんだ」とわかって、
鼻の奥がツンと痛くなった。

「そういう人が言うなら、ぼくは言われた通りやればいい」
と思った。

そこで思い切り打ったシュートは……
上級生のキーパーの正面に行ってしまいました。
でも、予想に反して、
体格のいい一軍の彼の手を「ゴン!」と弾き飛ばして、
ボールはネットに突き刺ささりました。

一同、シーン、です。

先生は、
「お前らに同じシュートが打てるか?」と
一軍のみんなに言いました。

何人かが同じようにシュートを打ちますが、
たしかに、そんなに勢いがありません。

「まじめにちゃんとやると、こうなるんやぞ」

みんなにそういった後、
ぼくを見てニヤリとした先生の顔が、忘れられません。
日陰でやってきたすべてのことに「OK」を
もらったような思いでした。
報われただけでなく、居場所をもらえた……

ぼくは全然自覚していませんでしたが、
「シュートの威力だけは」スポーツ少年団の中でも、
トップクラスになっていたようです。

それ以降、ぼくはちょくちょく、
「殺人シュート」と呼ばれるようになります。

いやいや、それ、あだ名としておかしいから!
「殺人シューター」ならわかるけども!

……というツッコミもありますが(笑)、
スポーツ少年団の中で、
からかわれたり、いじめられることがなくなった。

それは、ものすごく安心することでした。
自信がついた、なんて高等なものではありません。
「ここにいていいんだ」と、
ようやく居場所の確保ができた、
という感覚だったと思います。

その後、ぼくは「一軍」になり、
その中でも先発メンバーに選ばれるようになりました。

じいちゃんと先生には今でも
お礼を言い切れないような気持ちです。
この経験がぼくに与えてくれた実感は、大きかった。

「下手でも反復が多いと、それなりに上達する」
「センスや才能がなくても伸びる部分がある」
「1つでも得意なことがあると、居場所ができる」
「影でコソコソやってても、見てくれている人がいたりする」
「できることしかできない、としても、悪くはない」

といったことを「体で覚えた」ことは、
20年以上たった今でも、ぼくを支えています。

そして、この経験の元になってくれた、
誰もいないグラウンドで、淡々と一人で
ボールを蹴った時間。

あれを続けられたのは、
「自分に大して期待していなかったから」だと
思うんです。

きっと、
「あいつらを見返してやりたい」
「早く上手になって活躍したい」
「俺は本当は才能があるはずだ」
みたいなことを1つでも思っていたら、
あの地味さには、耐えられなかった(笑)

そして、
自分の「遅すぎる上達」が嫌になって、
サッカーをやめていたんじゃないか。

「いつか起きるかもしれない変化を観察する」
ような・・・
「わしゃアサガオか!」とでも
ツッコミたくなるようなスタンスがあったから、
ブレることもダレることもダレノガレることもなく、
「シュート練習のみ」を続けられた。

そう思うんです。


「世界に1つだけの花」も、
「輝かしい夢」も、
「練りに練った将来設計」も、
「キラキラしてわくわくする夢」も、
アリだとは思います。

でも、多くのことは「長期戦」です。

「長持ちする燃料」も使って走らないと、
途中で止まるしかないんだよね。


ぼくはずっと「二軍」だった。
そこでぼくに根付いたのは、
「自分に期待するのは保留して、観察する」
というスタンスでした。

今でも、同じです。

整体師としてだって、
カウンセラーとしてだって、
「大器晩成だよ」と言ってくれたじいちゃんの
言う通りだと思っています。

だから、
「どうなっていくのかな」
「これやったら、どうなんの?」
って、観察してる。

「へえー、意外とうまくいったね」
「うわぁ、思った以上にドジ過ぎる。ウケる!」
「ダサ、まだそんなことにこだわるか」
って、観察してる。

期待してなかった映画が意外に面白かったら、
すごく得した気分になるでしょう?

そういう感じで自分の日々を眺めて生きるのって、
意外と悪くないもんです。

強すぎる期待は、燃料を一気に燃やし尽くすんだよね。
で、早いか遅いかだけの違いで、「ガッカリ」する。
そんな「ガッカリ君」じゃあ、
生きていけないもんね。

もっと、
「ひょっこりはん」なスタンスでいいと、
時代も言ってるんじゃないでしょうかね。
ひょっこり見てる、ひょっこりうまく行く、
ひょっこり転ぶ、でも、ひょっこり起き上がる。

たぶん、そういうことでしょう。

なんでこんなこと強調するかって、
「難しい病気が治っていく人」も、
こういうスタンスだからなんだよね・・・


「自分は大したことがない」って(わかるのって)、
すばらしいことかもしれない。

人類の99%は、大したことがないわけだしね。

しかも、
「大したことを成し遂げる人」だって、
「自分の大したことなさ」を自覚してた人じゃないかな。
そうでないと、伸び悩むか、狂っちゃうことも多いし。


だらだら蛇足しちゃったけれど、
最後に、いつも心のすみにある格言で、
今回のお話を、締めたいと思います。


「非凡を求めることは、凡庸である」


……ほんとうに、そう思います。



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