このところ、よく思うんです。
みんなどこか、心に疲れたところがある。
それを「トラウマ」と呼ぶ人もいる。
でも、そのこと自体は珍しくない。
もちろん、すごく重たい疲れの人もいるし、
「他人になんか、絶対理解できない……」ってほど、
辛いものもある。
ただ、それでも、割と多くの人が、
同じぐらい重たく病んできた経験をもっている。
慰めでも、励ましでも、軽く見るのでもなく、
「みんな、そんなもんだよ」というのが、
まっとうな感覚なんだと思います。
健全な人はおそらく「自分だけじゃない」と、静かにわかっている。
みんな、病んではいる。
でも、違いはある。
それは多分「病が発病しているか、潜伏しているか」の違いです。
発病している人は、苦しさや痛さを再現しちゃうから、ずっと辛い。
潜伏している人は、落ち着いているから、自分の暮らしに集中できる。
きっと、発病している人は自分の病に
「OK」を出せていないんだと思います。
発病していない、潜伏している人は「OK」を出せている。
とりあえずでも。
OKを出すためには、
病のことを知り、自分のことを知ること、
病に関係ある部分と、病に関係ない部分を知ること。
病の何とかなる部分と、何ともならない部分を知ること。
きっと、そういうプロセスを経て
落ち着いていった人が、健全な人なんでしょう。
体の病にも心の病にも、共通しているパターンじゃないかな。
たとえば、
性格が明るいか暗いかに加えて、やさしいかどうか
という要素があります。
病を知りながら発病させていない人は、
ほとんど例外なく、やさしくなります。
人の痛みがわかるから。
明るさに、やさしさが混じってる人。
暗さにも、やさしさが混じってる人。
まわりを見渡せば、きっとたくさんいるはずです。
「みんな、そんなもんだよ」
というところから、スタートしたい。
苦しくて発病しそうなとき、発病しちゃったときにも、
一度ここに戻りたい。
そして、病と自分の距離を離すプロセスを、
もう一度やり直したい。
病のことを知り、自分のことを知ること、
病に関係ある部分と、病に関係ない部分を知ること。
病の何とかなる部分と、何ともならない部分を知ること。
そして、自分がどう生活したいかを、確認すること。
そうやって、少しずつでも取りもどした自由の分、
人は健康になっていくんでしょう。
ではでは、くれぐれも、お大事に。
できないこと、したくないこと、
本当はしたいのにできないと片付けておきたいことの区別も、
健康への近道です。