「悪口は中毒になる」
ある心理学者は、言いました。
なぜ?
誰かを「あざ笑う」と、ドーパミンという興奮物質が出るから。
悪いとされていることには「スリル」があるから、
それが「蜜の味」になる……というと、わかりやすいかも知れない。
でも、ぼくは知っています。
人を傷つけたり、おとしめるコトバを使う人は、
決まって「不健康」です。
例外が、ほぼない。
不健康だから、心が健全じゃなくて、攻撃的なのか。
攻撃的だから、心が健全じゃなくなって、不健康なのか。
……たぶん、両方なんでしょう。
負のスパイラルですね。
ここで、
忘れちゃいけないことがあります。
他人への攻撃は、自分の「良心」さえ、刺してしまう。
逆に、他人への労りは、自分の「弱い心」さえ、温める。
親のケンカに、子どもが心を傷めるように。
親の円満が、子どもの心を安らげるように。
あなたのことを「ずっと見ている」潜在意識が、
傷ついたり、癒されたりする。
たとえ、誰も見ていないところでも、
ぼくらの内側の子どもには、100%バレてしまう。
つまり、
「人を攻撃する人は、すでに報いを受けている」
ということ。
短期的には、自尊心が落ちる。
中期的には、健康を失い、不安に囚われる。
長期的には、自分も他人も信用できず、愛せなくなる。
いるでしょ、そういう悲しい人……
逆に、
「人を労る人は、すでに報いを受けている」
短期的には、自尊心が高まる。
中期的には、健康と平安を得る。
長期的には、自他への信頼に支えられ、愛情深い人になる。
そう……こっち側の人も、ちゃんといるんです。
そして、注意が、1つ。
「自分自身に対するコトバ」にも、
ぼくらの潜在意識は、同じように反応します。
だから、自責も、ほどほどにしないとね。
……とはいえ、
いいコトバだけ使うなんて、無理な話です。
無理なだけじゃないね。
不自然です。
そこまで清く正しくいる必要はありません。
だから、最後にお伝えするのは、
「打ち消しコトバ」です。
我慢できなかったり、ついうっかりとかで、
体に悪そうなことを言っちゃったときには、
「言ったその後」でいいから……
『とはいえ、人はそれぞれ、自分もそれぞれ』
と、言ってあげて下さい。
これは尊重と肯定のフレーズです。
口に出すのもいいけど、
胸の中で言うだけでも、充分です。
これで、かなりの毒が中和されます。
心のバランスが中心に戻って来て、
判断の間違いを減らす効果もあるからね。
そういえば昔、
「あなたが食べてきたものが、今のあなたの体だ」
って言った食のプロがいたね。
きっとそれと同じで、
「あなたが生み出してきた言葉が、今のあなたの心だ」
って、言えるだろうね。
自分の言葉を聴いて、
ぼくらは、自分が好きかどうかを決めている。
そして「そうと思った自分」を作り込んでいってしまう。
その影響は、行動より大きいかも知れない。
(量が多い分ね)
だから……
言葉はプレゼントだと、思いたい。
誰かへのプレゼントなのはもちろん、
自分自身へのプレゼントでもあることを、忘れたくない。
お金のかからない、
クスリのようなものだしね。
ちょっとだけ大事に、つぶやいてみてね。
『とはいえ、人はそれぞれ、自分もそれぞれ』
ではでは、くれぐれも、お大事に。
笑いになる「カラリ」とした悪口なら、
まだいいんだけどね。