楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

どうして、やさしくなった?

どうして、やさしくなった?



「お前、前より優しくなったな」
数年ぶりに会った友達に、言われました。

 

何が、変わったの?

「昔はもっと、許せないことに腹を立ててたよ」

……なるほど。

それで、わかった。
たしかに、ぼくには「許せないこと」が、多かった。

それでイライラして、ストレスを溜めていた。
だけど今は、
「許せない」ことは、ずいぶん減った。

……というよりも、
「許せない」という言葉のあまりの強さに、ちょっと驚いてしまう。
そんなに「自分が正しい」と決め込んでいたんだな、と。

そう……よく考えたら、
「許せない」とか「ありえない」なんていうとき、
ぼくらは「自分が正しい」と思い込んでいる。

相手を尊重したり、
自分の誤解の可能性をふまえたり、
やむを得ない事情を想像したり……

そういう「慎重さ」や「優しさ」を、失っている。

……イヤだね、そんなひと。
それが、今よりもっと優しい人間だった理由。


でも、面白いのは、
「性格が変わったわけではない」ということ。
ぼくは『自分のポンコツさ』をたくさん知っただけなんです。

●予想もしない失礼をやっちゃうこと
●体調が悪くてつい愛想が悪くなること
●思い通りに結果が出ないこと
●ただただボーッとしてミスすること
●自分の常識がけっこう特殊なこと
●うっかり勘違いしがちなこと

そういう自分を、
イヤというほど、知ってきた。

同じはずの「この私」にも、
感情や体調によって幅がある。

いいときも、そうじゃないときもある。


そしたら、
「ぼくだったら、絶対にああはしない」とか
「あんなの、ありえない!」なんて、
怪しいものだよね。

少なくとも、2つ、おかしなことがある。


1)「正しい」は、人によって違うのに、
ぼくだけが正しいという前提。

2)正しさを知っていれば、いつも「正しくあれる」という前提。

特に、二2目。

「わかってても、やれない」ことが、いかに多いか。
「そもそも、気付いてもない」ことが、
どれだけあるか。
悪気はなくても、ね。


つまり、
他人に対して「許せない」なんてよく思ってたぼくは、
「正しく、かつ、不変な自分」なんていう
聖人気どりだったんだね。


恥ずかしいし、怖い。


そうじゃないもんね。

自分にも人にも、強いとき弱いときがある。
強い面と弱い面がある。
ちゃんとやれるときと、ちょっと無理なときがある。
期待されてもOKなときと、
「すまんけど、許してほしい」ときがある……


そしたらそれは、誰だって、同じだ。

イラつく誰かや何かを見つけたときに、
「自分もああなっちゃうとき、あるかもな」
って、思ってみる。

自分の常識とは違うとしても、
それぞれ違うのは仕方がないし、
そもそも、
「その人が、その人の正常な状態」ではない可能性もある。


そしたら、
「そういうときも、あるか」
とは思えたりする。

嫌わずに見る時間が増えると、
いいところを見つけたりも、する。

そのうち、その人に対して、
自分のほうのいいところが出せたりも、する。

……もちろん、毎回じゃないけどね。


ぼくは、そうやって、
昔より少し、優しくなったのだと思います。


見方を変えたら、
「共感力」の根っこって、これなんじゃないか。

他人の心がわかる……なんて
大げさで難しいことじゃなくて。
その前に。

「どうしようもない私」を知ること。
「どうしようもないあなた」を知ること。

自分を少し許せた分、人を許せるようになる。
人を少し許せた分、自分を許せるようになる。

それも、
「許せる」なんて言ったって、
「しょうがねえんだよなぁ」というイメージ。
カッコよく高尚なんじゃなくて、
苦笑いでハラにおさめるような、ばあちゃんのような。

そしたら、
許せた分、心の「空きスペース」が広がって、
人を信じたり、愛したりする余地ができる。
人に信じられたり、愛されたりする余地もできる。

たぶん、
そういうサイクルになっている。

だから……だろうね。

いつも目くじらを立てて
ガミガミしている人からは、
信用や愛情の匂いがしない。
そんな「余地」がないんです、きっと。


少し前に、
魔法の言葉を伝えました。
覚えてるかな?

「とはいえ、人はそれぞれ、自分もそれぞれ」

というやつね。

(※参照 『悪口の「毒」と、中和のコトバ』
 https://www.rakuyuru.jp/entry/2020/06/09/134100


――すごくいい言葉だと思ったんですけど、
『自分もそれぞれ』の部分って、どんな意味ですか?

ってね、
ナイスなご質問をもらってたんです。

今回の記事が、その答えです。

ぼくらは、誰もが「一定ではない」ということ。
良いときも悪いときも、
良い面も悪い面もあるんだから……
許してほしいときもある分、
相手を許してあげたいときも、あるぜ。

……そういう意味でした。


そう考えたらさ、
コミュニケーションのことを
「人と接する」って、いうよね。

つまり、
全部で触れてるわけじゃない。

ごく一面で……
ひょったしたら、ただ一点で、
触れているだけ。

そりゃあ、誤解もするよね。
何もくわしくは、わからない。

それだけで、簡単に自分のことを判断されたくない。
だから逆に、簡単に相手のことも、判断したくない。

そう思えたら、
共感力は、じわじわと育っていく。

「お互い、そううまくはいかないよね、わかるよ」

っていう共感ほど、
すべての理解を助けるものって、
ないんじゃないか。


だから、逆説的だけど……

「きっと、まだまだわかってない」

という気持ちこそが、
共感力の源なのでしょう。


今や、
「モテる第一条件」とさえ言われる、共感力。
普遍的な人気の、やさしさ。


そのどちらもが、
「自分のポンコツさへの自覚」で育つ。


……この事実って、
けっこう希望に満ちてない?


自分のショボさや情けなさを知るたびに、
少しずつやさしい人間になれるなら、
ずいぶん、素直に生きられるんじゃないか。

軽い心持ちで、
自分とも、人とも、
付き合っていけるんじゃないか。
「しょうがねえんだよなぁ」って、言いながら。


「許せない」「ありえない」は、
心の偏りを教えてくれるアラームだと思ったらいいね。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
クセになる魅力って、ポンコツさとセットだね。