楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

「退屈」の害を防ぐ3つの方法

「退屈」の害を防ぐ3つの方法



「忙しい」は、不思議だ。



イヤな顔で「忙しい」と愚痴が出る。
でもなぜか、
「ヒマ」よりは、ずっとマシでもある。

 
ほんとうのほんとうは、
「時間を潰す」なんて、恐ろしいコトバだ。

それでもぼくらは、
「時間つぶし」と呼べるものに、
多くのお金と、手間と……そして時間そのものをかける。

その証拠に、
1日ボーッとすることも本当はできる……けれど、
本で、映画で、ゲームで、ドラマで、仕事で、
「ヒマ」を埋める。


どうしてか?

「ヒマの先」にあるものが、怖いから。
きっと、本能でわかっていることなんでしょう。

たとえば……
あまりにヒマが続くと、どうなるか?

● 脳が弱る
● テンポやノリが悪いため、血や気の巡りが落ちる
● 体調が悪くなる
● 逆に仕事や家事の効率が悪く、スピードが落ちる
● いらんことを考える
● やらんでいいことをやる
● 充実感がなく、むなしさやストレスが募る
● 自分が無意味、無価値に思えてくる
● 何かを埋めたくて、食べ過ぎる
● どうでもいいことが気になり出す
● 他人に対して批判的になる
● 自分に対して批判的になる(屈折があると、自己愛的になる)
● 無気力になる
● 色々なことへの興味が薄れる
● インパクトが強いものばかり求めてしまう
● 最悪、何かの中毒になる
 (お酒、食べもの、ゲーム、ネット、悪口など)
● 自分や他人、社会のことが、よくわからなくなる
● 反社会的になる(ひどいと犯罪へ)

もしかしたら、
あなたのまわりにも、↑のどこかまで
行ってしまっている人が、いるかも知れない。


じゃあ、どうしたらいいか?

「ヒマじゃないほうがいい」
「だったら、むしろ、時間は潰してしまったほうがいい」


……そう。

話は戻るけれど、
このことを、多くの人は本能で、わかっている。

考えてみれば、
ヒマのことを「退屈」って、呼ぶね。
「退化」と「屈折」が入ってるみたいで、
すごい怖いね(笑)


ただし、
「忙しく」なり過ぎるのも、ちょっと問題がある。
たしかに、ヒマよりはマシ。
でも、忙し過ぎると、体を壊したり、
人に冷たくなったりする。

「今、韓国ドラマに夢中だから、
 旦那の晩ご飯どころじゃない。
 今夜もウーバーで何か頼めばいいじゃん」

みたいなね(笑)

きっと、見極める基準は、「他人への関心」です。
それが薄らいでしまったら、
ヒマ過ぎるか、忙し過ぎる。
不健全なバランスです。


そしたら、本当の理想は?



「作務」だと思うんです。
これが、38歳時点の、ぼくの結論ね。

作務って、何か?

辞書をひくと……

『禅寺で、僧が掃除などの労務を行うこと。
 修行の一つと見なされる』

です。

職人さんとかも着てたりする
作務衣(さむえ)って服があるけど、
あれも「作務をするための服」ですね。


そう、お寺での修行って、
掃除とかをやるでしょう?

もちろん、お経を上げたりもするけど、
料理もするし、手仕事をしたりもする。

心を整えて、静めて、余計なことを考えず、
悟りに近づいていく。
そのために、とても大事な「作務」。

「それって、ほとんど、家事やないけ!」

って、思ったこと、ないですか?(笑)

「一休さん」も、
雑巾がけばっかりしてたしね。



要するにね、
3つの方向があると思うんです。

1)ヒマだから、何か新しいことをやる
2)ヒマだから、いつものことを新しい方法でやる
3)ヒマだから、いつものことを入念にやる

もちろん、どれもいいと思うんです。

1なら、新しい趣味、遊び、本、映画、仕事……
なんでもあります。

2なら、新しい洗剤を買ってきて掃除するとか、
エアコンや洗濯機までキレイにするとか、
新しい鍋で料理するとかね。

それも、いい。

でも実は、
ぼくが今回、その価値を強調したいのは、3です。

「ヒマだから、いつものことを入念にやる」

これこそが、作務であり、修行です。
そして実は、「気功」なんです。


そう、やっと整体師らしい話になってきたけど、
これ、健康にいいんですよ。

でね、
「入念」というのが、ポイントです。


掃除がわかりやすいと思うけど、
「やらなきゃだから、ただやる」のって、
楽しくない。

でも……

「どうしても落としたい汚れ」があって、
ゴシゴシ磨いてたら、驚くほどキレイになった!

としたら、うれしいよね。
充実感もあるかもしれない。


掃除は掃除でしかないのに、ね。


このとき、
自分の中の心は、1つになっている。
他の余計なことは、忘れている。
だから、時間が経つのが早い。
お腹もいい感じで、すいてくる。
充実感もある。
その後のご飯がおいしい。
お風呂も気持ちいい。
気分よく、眠れる。


「入念にやる」という表現って、面白くて、
つまり「念を入れる」ということでしょう?
念と氣は、ほとんど同じものです。

つまり、
掃除でも料理でも、一生懸命にやっているときって、
「氣を込めて」やっている。
自分の中の氣が1つにまとまっている。
「一心」になっている。

だから、一流のセラピストたちは、
「ただ触れる」ことが、本当に上手です。
タッチが異様にやさしい。
鳥の羽のように、触れてくる。


……そう、
この「氣を込める」とか「一心になる」という
効能を得ようとすると、作務がいいんです。

新しい活動や、
新しい材料なんかが「ない」ほうが、むしろいい。
「そっちに氣を取られる」ことが、ないからね。

あくまで、
「こっちに氣を込める」ことができる。



そしたら、
さっき書いた「ヒマの害」の、真逆になるんです。

脳は活性化するし、
血流はよくなるし、
気力はむしろ湧いてくるし、
感覚は広がるし……いいことばっかり。

だから、ご飯もおいしいし、よく眠れるんだね。


悟りって、ほんとうは、遠いものじゃない。
むしろ、すごく近い。
身近なものごとの延長にあるんだと思うんです。
(諸説あるけどね)



だから最近のぼくの流行は、
「これを作務としてやろう」
という遊びです。

掃除や料理や仕事が、おっくうなこともある。
でも「作務」なんです。
あくまでも「義務」ではない。

体にも脳にも良い、
メリットたっぷりの『修行遊び』として、やる。

「よし、作務、作務」
って思いながら、やる。

少しでいいから、丁寧に、やる。


すると、
いつもより、ちょっと深く集中する。
いつもより、ちょっといい結果が出る。
いつもより、ちょっと充実感が強い。
ほんの2~3割でいい。


そうやって
「氣を込める」ことが日常にあると、
「氣が巡り」ます。
氣の動きがよい様子を「運気」と言います。


悟りとか運とか気功とか、
いろいろ複雑に言われるんだけどね。

すげえざっくり言うと、
こんなことじゃないかってね。


あなたも、一緒に、どう?


義務やめて、作務しない?


頭の中で、
「これは作務だ」
「修行遊びだ」
って思うだけで、きっと、けっこう違うよ?

……目の前の些事も、人生の豊かさも。


禅や気功は、目の前にある。
目の前にしか、ない。



ではでは、くれぐれも、お大事に。
作務は、365日の、
自分に宛てたラブレターみたいなものです。