「実はそれも、選べることだよ」
この言葉を、このところ、くり返している。
自分に対しても、そう。
誰かに対しても、そう。
嫌なこと、面倒なこと、氣が重いこと……
ついつい手を出してしまうこと、イラッとすること、
自分を責めること、人を責める気持ち。
ほんとうは、選べるんじゃないか。
● ハラの立つほうに解釈するか、他の可能性を残すか。
● 今すぐ評価するか? ひとまず保留で、様子を見るか。
● 相手の落ち度とみなすか、自分側もチェックしておくか。
● 相手の意図的なものと思うか、悪気がない可能性もあるのか。
● 悪い人なのか、悪い「状態」なだけか。
● 面倒だからやらないのか、より面倒になる前に今やるのか。
● 怒りを出す・出さない以前に、ハラ減ってない?(まずなんか食う?)
● 遠ざかるのと、近づくの、ほんとうはどっちがマシなのか?
● 難しいのか、難しくしちゃってるのか?
● やれないのか、やりたくないのか?
● 嫌な感情と、「自分のことが嫌になる」のと、どっちがマシか?
● 何かを叶えるための我慢は、我慢じゃない方法を取れないか?
● 言ってもどうせわからないのか、実はまだちゃんと伝えたことがないのか?
● 何をやってもダメなのか、自分の考える範囲が狭かっただけなのか?
● 本当に不幸なのか、比べる相手が間違っているだけなのか。
● 本当に好きじゃなくなったのか、思い入れを自分で止めてしまったのか。
● タンパク質が足りないだけじゃないのか?
● 睡眠が足りないだけじゃないのか?
……
どうしようもなく、心が疲れているとき。
絶望という言葉も浮かばないぐらい、
「もうダメか」と思うとき……
ぼくは、本当は選べることを、選ばないでいた。
「実は選べる」ということさえ、忘れていた。
考えないでいた。
「どうせ今は何をやっても無理だ」と、
いったん休むのは、大切。
それはそれで、必要だ。
でも、そのまま「穴」にい続けると、
「どうせ無理」がクセになってしまって、
穴の住人になってしまう。
間もなく、ますます苦しくなる。
「全体的に穴の中」という状態の人もいれば、
「家族問題については穴の中」、
「あの人問題については穴の中」など、
限定的に、体の一部を穴に突っ込んでいる人も、いる。
……変な言い方だけど(笑)
あえて、断言してみる。
「何一つ選べない」ということは、きっと、ない。
同じぐらいひどい環境や状況でも、
人それぞれ、反応が違うのだから。
生き方が違うのだから。
「実はそれも、選べることだよ」
と、誰かに言ってもらいたかった。
「実はこれも、選べることかもしれない」
と、自分に、言ってやりたかった。
それだけで、
あんなに長く穴の中にいないで
済んだかも知れない。
今いる穴から、
這い出すきっかけになるかも知れない。
「どんなときも選べることはある」という考えを、選ぼう。
厳しい決意ではある。それはわかる。
でも、こっちを選んだほうが、ぼくらにとっての人生は、
やさしくなるから。
今、どっちを選んでる?
今、無意識に、そっちを選んじゃってることに、気づいてる?
だったら今、
もっと自分の人生にやさしいほうを、選び直せない?
それは、ほんとう?
ほんとうのほんとうは、どうしたい?
そのために20%でいいから、
選び直せること、あったりしない?
(しばらく、探すの、忘れてなかった?)
おせっかいだけどね。
たまに、自分に言ってあげたほうが、いいんです。
「実はそれも、選べることだよ」
ではでは、くれぐれも、お大事に。
自分の選択ほど、自分の魂に響く表現は、たぶん、ない。