夏の終わりに思い出す、
「おばあちゃん」がいます。
「ねえ、うちのユウスケ、知らんけ?
どこにおるんやろか……」
泣きそうな顔をしている。
70代ぐらいかな。
ぼくたちが「スポーツ少年団」で
サッカーをしていたグラウンドに、
ヨタヨタ、心もとない足取りで入ってくる。
まわりのお家からは、
晩ご飯のいい匂いが漂っていて、
あたりはもう暗くなった赤色。
「うちの孫のユウスケが、見当たらんがよ。
……あんた、ユウスケけ?」
サッカークラブにユウスケはいないし、
今日は見ていない。
だから、
「ユウスケは、ここにはおらんよ」
としか、言えない。
何か力になりたいんだけど。
「あら……そうけ。
じゃあもし、ユウスケに会ったら、
すぐ帰るように言ってくれるけ?」
――うん、わかったよ!
できるだけ力強い声で、応える。
「ありがとうね……」
不安が残った顔のまま、少しだけニコッとして、
おばあちゃんは、帰っていく。
急いでいるのはわかるけど、
スピードが出ない足取りで。
彼女が、暗くなった路地に見えなくなるまで、
なんとなく目が離せないで、見ている。
ユウスケ、ばあちゃんに心配かけんなよ、と思いながら。
――そういうことが、3回あった。
後で知ったことだけど、
ユウスケのおばあちゃんは、
少しボケているらしい。
それを知っていて、ちゃんと相手をしない子も多かった。
でも、ぼくは逆だった。
余計に、
ユウスケを思うばあちゃんの気持ちの強さを感じる気がして、
放っておけなかった。
ただのひとことで、安心できるんだし。
孫がかわいいのも心配なのも、
たとえボケていたって変わらないんだし。
正直なところ、
ぼくは、ユウスケが好きじゃなかった。
一つ下の(小学)3年生で、いつも、ケンカ腰だった。
口が悪くて、ギスギスしていて、友達が少ないようで、
独りでいるところしか見なかった。
気に入らないことがあれば、
上級生にも、平気でつかみかかっていく。
あまり関わりたくないと思っていた。
でも、
彼のばあちゃんを、知ってしまった。
ユウスケを心配する、あのばあちゃん。
もう暗くなったグラウンドに来て、
重たい脚を引きずるように、急いで孫を探すばあちゃん。
これまで、どんだけの場所をまわって、孫を探してたのか。
このあと、どんだけの場所をまわって、孫を探し続けるのか。
つい心配になって、
「もうユウスケ、家に帰ったと思うよ」
と言ったこともある。
そしたら、
「ああそうけ、じゃあ、
わたしも家に帰ってみるわ」と、
初めて、うれしそうな顔になっていた。
ぼくが誰かのことを考えて
「ウソを使った」のは、
あれが初めてだったかも知れない。
ぼくは、ユウスケが好きじゃない。
でも、ユウスケのばあちゃんが悲しむ顔を想像すると、
そのイヤさは、だいぶん強い。
そのせいで、
ぼくにとってのユウスケが、
ただの生意気な下級生ではなく、
「知っているおばあちゃんの大事な孫」になった。
あのばあちゃんに安心していてほしいと思ううちに、
ほんの少しだけど、
ユウスケの安全を願う気持ちが生まれていた。
……もちろん、その頃は、
そんな正確な説明なんて、できません。
当時の10歳ぐらいのぼくは、
「なぜか、ユウスケが放っておけない」とだけ、
思っていた。
何か手助けができるわけでは、ない。
でも、ユウスケに声をかけるようになった。
「ばあちゃんが心配してたよ」とか、
「お前もサッカーやるか?」とか。
ユウスケが、どんな返事をしたかは、あまり覚えていない。
愛想はやっぱり、よくなかった。
でも、急になじみのないぼくから話しかけられても、
警戒したり、邪険にしたりは、少しもしなかった。
「あれ? 話してみたら、全然、嫌なやつじゃないんだな」
「こいつなりに、ばあちゃんを大事にしてんのか」
と感じたことだけが、記憶に残っている。
何が良かったのかはわからないけど、
その後間もなく、ユウスケのやんちゃな振る舞いは、
落ち着いていった。
実際に家にユウスケがいるからなのか、
おばあちゃんがフラフラとグラウンドに来ることも
なくなった。
でも、あのばあちゃんの背中や足取りは、
はっきりと、目の奥に残っている。
大人になった今でも、思い出すんです。
ぼくはあのとき、
ユウスケのばあちゃんをないがしろにしなくて、良かった。
うまいやり方なんかわからないけど、
ユウスケに声をかけてみて、良かった。
「ユウスケが嫌いだ」という自分の先入観が
溶けてしまうような経験をさせてもらえて、本当に良かった。
どんな人も、大事なつながりの中で生きてきたし、
生きていくんだということを、
ちょっと胸が痛いほど感じることができて、よかった。
腹が立つ人や、
なんとなく好きな感じじゃない人。
そういう人を「嫌い」という箱に片付けてしまう前に、
「もうちょっと詳しく知ったら、違うかも知れない」
……そう考えること、多いんです。
もちろん、ぼくは聖人では全然ないから、
ありますよ?
「うむ、しっかり確認できた、俺はあの人、嫌いだ!」
ってこともね(笑)
でも、
知ったことは、ムダにならない。
自分の嫌いを知ることもできるし、
自分の価値観をやわらかく広げることにも、なったりする。
「そういうひとも、いるんだな」つってね。
そして必要なら、その知識を材料に、
その人を「攻略」することも、「うまく避ける」ことも、できる。
大人になってから出会った、
「本当に優しい人たち」を見ていて、思うんです。
あの人たちは、
驚くほど「人をよく見ている」んです。
だから色んなことに気が付くし、気が回る。
手助けの仕方もちょうどよかったり、
手助けしないほうがいいときの見守り方も、温かい。
優しいからよく見る、ということも、あるでしょう。
でも逆に、よく見ているうちに、
人の色々な面を深く知るようになって、
優しくなっていった可能性もある。
そしてきっと、もっと大事なこととして、
「よく見よう」とするその態度が、
すでに優しい接し方になってるのは、間違いないんだよね。
あるじゃないですか、
「ああ、この人は、ちゃんと見てくれているんだな」
っていう、あの安心感とか信頼感ね。
苦手なものや、嫌いな人。
何の問題もなく避けられるなら、避けるのもありです。
それはそれで、自然かつ、必要なことだと思います。
ただ、それ「ばかり」していると、
自分の価値観が痩せ細ってとんがって、
人を遠ざけることもあれば、
豊かさに欠けるも生き方になることも、ある。
そして、避けられないことや相手がいたり、
避けたくない、というケースもある。
そういうときに、
「得意な相手じゃないからこそ、
あえてもう少し詳しく知ってみよう」
という発想を持っていられたら、
価値のある突破口になる気がするんです。
なんというか……そう、
食べものと一緒でね。
好きなものをたくさん食べるのもいいんだけど、
嫌いだと思ってたものに、
「実は美味しい食べ方もあるんだ」ってわかる価値ってね、
けっこうすごいと思うんです。
世界が広がるしね。
人に対しても、仕事に対しても……
「まだわからないところがある」と考えるクセは、
センスを豊かにしてくれる。
苦手なものこそ、よくわからない。
まだ、わからない。
まだわからないから、よく見てみる。
……そんな風に生きられたら、
心がやわらかく、若いまま生きていけるんじゃないか。
優しい人間で、いられるんじゃないか。
ユウスケのばあちゃんがくれた飴玉は、
子どもが普段は食べないやつだったけど、
おいしかったなぁ。
ではでは、くれぐれも、お大事に。
実際、「よく知らない人」ほど、文句を言うもんね……