楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

「水泳大会」の一週間前まで、1mも泳げなかった


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6才、夏、ぼくは全く泳げなかった。
水泳大会まで、1週間しかないのに。

洗面器にはった水に顔をつけるのも、怖い。
どうしてかと問い詰められるけど、
そのプレッシャーで、余計に怖くなる。

……でも、恥ずかしい。

 


すごい数の上級生も集まるような大会で、
泳げないのも、しかたなく歩くのも、
わきで体育すわりをしているのも、恥ずかしい……

きっとプールの中では、泳ぐのが得意なはじめ君や
たけし君が活躍して大きな声で褒められているのに、
プールの外で離れているぼくはひとり、下を見て座っている。
ぼくだけが止まっていて、置いてけぼり。

大会の一週間前にもなると、
そういう自分をくっきりと想像してしまう。


ただ、夜にずっと練習していたら(洗面器で)
目を閉じたままなら、
なんとか水中に顔をつけていられるようになった。
体だったら、お風呂で慣れているから、
なんとかこれで、プールには行けるかも知れない。


苦肉の策。

水泳大会で一年生は、
町営プールの「小プール」を横切るかたちで、
7mを泳ぎ切らないといけない。

ぼくは大会の一週間前に、
ようやくプールの水に浸かることができた。

誰かのジャマにはなりたくないから、
プールのはじっこのほう、誰もいないところで、
水の中に入って、できるだけ長く息を止める。
限界になったら、底をけって飛び上がって水面から顔をだし、
いそいで息を吸う。
また潜って、息を止める。
できるだけ長く、できるだけ長く……。

「こんな変な練習で大丈夫なのか?」という不安で
胸が気持ち悪いけれど、
今のぼくには他のことができない。

それでも、みんなが帰って人が減り始めたころ、
ふたつ、気が付いたことがあった。

・水の中はまだ怖いけど、どうやら危なくはない
・水の中の音は、なんだか悪くない


まだ、7mどころか、15cmだって、泳げない。
水中で目を開けることさえ、できない。

それでもなぜか、プールに来る前よりも、
ちょっとだけ自分がマシになったような感じがする。
それが、うれしかった。


そんな、同級生が誰もやっていないような練習を
何日も続けていたら、水の中で
30秒ぐらい息を止めていられるようになった。

それがすごいのかどうか、
ショボいのかどうか、
7mを泳ぐための条件として十分なのかどうかは、
わからない。

それでも、プールに来たばかりの頃の自分よりは、
ずっと長く水の中にいられる。

そう思ったら、
すぐそこでバタ足をしている友達の、
マネをしてみようと思った。
自分でそう思ったのは、初めてだった。

「だってぼくは、30秒だったら、
 水の中でどんなに下手なことをしても、
 たぶん大丈夫」

――そんな変な位置に、自信が生まれていた。


水の中で、両手を前に出す。
両脚でジャンプして、バタバタする。
まったく何も見えないから、怖くなる。
息はまだ続くけど、体を縦にもどして、水中から顔を出す。

誰にも見られたくないから、
すぐに顔の水を振り払って、キョロキョロする。

よし、誰も見ていない。
よかった。
……でも、そんな安心感の直後に、
さっきいた自分の場所がチラッと見える。
今いる場所と、なんでも見比べる。
「あれ……だいぶん離れてる!!」
その、声に出せない興奮で、
胸の中で何かがうるさいぐらい跳び跳ねている。


ぼくは、泳げたのかも知れない。

いや……まだそんな、油断をしちゃいけない。
たしかめないといけない。

なんどもなんども、繰り返す。
自分の期待と不安をはかりにかけるみたいに、
「水中で移動できる自分」を、
なんどもなんども確認する。


「ぼうや、もう終わりだよー!」

監視員のおじちゃんに声をかけられるまで、
他のことは何も考えていなかった。
ぼくはもしかして、泳げているんじゃないか。
うれしい、うれしい……。

水の中が「自分がいてはいけない場所」ではなくなった。
(多分だけど)泳げるようになるって、
こんなに楽しいことだったのか。


大会の前日。

もう少し友達をよく見ると、
泳ぎながら途中で顔を水面から出しているのに
気が付いた。
「息つぎ」というらしい。

しまった……それはまだ、できない。

大会が近くなって、
プールにいる人数も多くなっているから、
ぼくが一人で隠れて「変な練習」を
することもできない。

ぼくは「息つぎ」については、あきらめることにした。
怖いけれど、しょうがない。
ぼくが水中にいられる30秒で、いけるところまで、行けばいい。


大会当日。


思った通りだ。
はじめ君やたけし君は、ぼくが外から見ていても、
とても速い。グングン進んで、
他の子がまだ半分ぐらいしか泳いでないのに、
もうゴールしている。
「息つぎ」だって、ものすごくカッコよくできている。
うわさで聞いた。
もう30mだって、泳げるらしい。


でもぼくのことは、一週間前に思い描いた通りじゃない。
プールの外で体育すわりなんて、していない。
ちゃんと水泳パンツをはいて、プールの中にいる。
少し変かも知れないけど、
自分のやり方で泳ぐことだったら、できる。

最後まで泳げるか心配で心配で、
おへその上が気持ち悪かった。
でも、体を水につけたら、それがなくなった。
まるで水が、味方になってくれたみたい。

スタートの声が聞こえる。

水の中はまだ怖いから、目は開けられない。
でも、派手な色のロープみたいなもので「コース」が分けられているから、
誰かにぶつかることはきっとない。

ぼくは頭の中で30秒を数える。

速く速くいかないと、最後まで行けないかも知れない。
脚を思いっ切り動かす。
あんなにうるさかったまわりの声が、
水の中では遠く、自分と水の音だけが、聞こえた。


トン。


壁に指がついた。
ぼくはなんとか泳ぎ切ったらしい。
30秒なんて、いらなかった。

終わった……。

でも、水からすぐあがろうとしなかった。
この一週間のことをいくつも思い出して、
なぜだろう、
もう一度だけ、水の中に入って、目をあけた。

初めて見た。

プールの中は、今まで見たことのない青色で、
すごいキレイだった。
これがわかっていたら、怖くなかったかも知れない。

ぼくは、最初から味方だったものを、
あんなに怖がっていたのか……。


初めての水泳大会は、
無事に終わった。
ぼくはたった一週間前まで到底ムリだと思っていた
ことができて、大満足だった。
疲れて、ホッとして、眠たい。

授賞式が始まったけど、
早く終わればいいのに。
どうせ、はじめ君やたけし君が、勝ったんだろう。
そんなことよりまた明日、
プールの中で、目を開けてみたい。
あの青色を、もっと長く見てみたい。



「一年生男子、優勝、ながいたかしくん」


……


「――ながいくん?」


音がガラガラなスピーカーから、
自分の名前が呼ばれている。

わけが分からない。

隣の女子に肩をたたかれて、
先生に手まねきをされて、
意味を受け止められないまま、
あわててそっちに走る。

近くでみる校長先生は、いつもと違う人みたいだ。

どんな運動も苦手だったぼくが、
メダルをもらったのは、はじめてだった。
どの部分を受け取ったらいいかわからずじっと見ていたら、
先生が首にメダルをかけてくれた。

パチパチパチと拍手されながら、自分の場所に戻る。
誰の顔も見たくない。
恥ずかしいときと似ているけれど、
お腹が重たい苦しい感じがしない。
熱い感じで、全力で走り出したいような気分。

ぼくはなぜか、1位になれた。
でもそれだけじゃない。
プールが好きになった。
泳ぐのが好きになった。
水の中が好きになった。

泳げないままのみじめな自分をすごく嫌だと思って、よかった。
誰かに隠れてでも、自分で変な練習をくりかえして、よかった。
目も開けれないけど、大会を休まなくて、よかった。
息つぎができなくても、自分なりに泳いで、よかった。
水が怖かったけど、そのあと好きになれて、よかった。


ぼくが優勝できたのは、
一週間前まで泳げなかったから、だった。

泳ぎが得意な子たちは、
「息つぎ」ができたせいで、
スピードが落ちていたらしい。

「自分にできることしかしない」ままだったことが、
ぼくを助けてくれた。



6才の水泳大会で学んだことは、
今の自分にさえ、大きく貢献してくれています。

「これしかできない」は悪いことじゃない。

正解じゃなくても、
一般的じゃなくてもいい。
自分用のやり方で練習することにも、
自分用のやり方を信じて本番に挑むことにも、価値がある。
自分だけの経験値がたまる。
まわりを見ることは、いつでもできる。

ぼくは今でも「自分で考えた変な練習」を、
ひとりでやったりします。
そうやって「自分だけのこと」を入れ込むと、
そのスポーツや趣味や仕事のことを、
自然に好きになれたりする。
周りを見渡しながら上達していく過程に入ったあとでも、
「簡単には死なない個性」が、生まれていたりする。

「そう」なったものは、長く強く、続く。
「正しく学んだこと」よりも、伸び悩むことが
少ないんじゃないかと思うほど。


ひょっとしたら、
「自分に何ができる?」という問い方よりも、
「自分には何しかできない?」という問い方のほうが、
良い資源が見つかるのかも。


慣れないものと「どう遊ぶか」なんて特に、
本当は、自分で勝手に決めたらいいんだろうね。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
ぼくの「水音好き」は、6才のときに始まったらしい。