楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

ぼくの「枠」を壊してくれた、トモヤくんの話

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「考え過ぎて動けない……」

そうやって自分を縛っていた鎖を、
ほどいてくれた人がいます。

今回はその「トモヤくん」のお話です。

 
20代の半ばごろのこと。
ぼくはNPOの活動をしていました。

主催は当時勤めてていた会社で、
当時はまだ珍しかった大学生の企業体験支援をしたり、
女性の在宅ワークの支援をしたり、
外国人の企業就職支援をしたりと、
面白い体験をたくさんさせもらってました。

……そんな中でも忘れられないのは、
特別支援学校での職業訓練サポートです。


そこは、都内でもけっこう大きな学校。
知的障害をもつ高校生たちに、
ビジネスマナーを伝える講師役を始めました。

知的障害と一口に言っても、
もちろん、ひとりひとり、様々です。

人と目を合わせるのが苦手な子もいれば、
初対面の5秒で相手の心を掴むような子もいます。
勉強がすごく苦手な子もいるし、
会社の分厚い四季報をまるまる覚えている子もいたり……

月に2回ぐらい、
土曜日に有志のメンバーで訪問していたんですが、
今思い返しても、エネルギーに満ちた楽しい時間でした。


ぼくがドデかい衝撃を受けた「その日」は、
面接の準備として、自己紹介の基本をみんなで学ぶ回でした。

朝、学校に着くやいなや、
ニッコニコの笑顔で
「永井さん、待ってたよーーーぅ!」
といって、走ってきてくれる子がいる。

まだバスを降りたばかりなのに、
どこから見つけてくれたんだろう。

他の子たちも、
「こんにちは!」と大きな声で、
全身をこっちに向けて歓迎してくれる。

目を合わせるのが苦手な子も、
下駄箱の横の目立たない場所にそっと
立っていてくれたりする。


……うれしい。


到着してたった数秒で、
「あぁ今日も来て良かった」って、思う。
これって、めちゃくちゃレアなことなんじゃなかろうか。

ぼくはいつも、
彼らのコミュニケーションの力の大きさに、感動していた。
スキルではなく、もっと根本的なもの。

最初はぼく自身、
どう振る舞っていいかわからず、緊張していた。
でも、それはほんの一瞬のこと。

あんなに初対面から
居心地を良くしてくれた場所を、
ぼくは今でも、他に知らない。


自己紹介では、まずは慣れるために、
名前と趣味について話してもらう。

大きめの名札を用意して、太いマジックペンで
自分のことを書き入れる。

みんなそれぞれ、目をキラキラさせて、
思い思いの趣味を書く。


その名札を胸につけて、
まだ知り合って日も浅いぼくたちスタッフとも
自己紹介をお互いにする。


「趣味はサッカー!」
「ピアノが好き!」
「お母さん!」
「自転車。」
「カブトムシ……」
「四季報です」


それぞれ、
いかにも楽しそうに話してくれる。
本人が純粋に楽しそうだから、
聞いているこっちまで、気持ちが明るくなる。
続きが聞きたい。

「大人にウケそうなことを礼儀正しく言う」という、
ぼくが自分自身にハメた枠が、
かえって恥ずかしく思えた。


一通りの子たちと自己紹介をしあったかな、と思った頃……
ひときわ嬉しそうに、ぼくに近づいてくる子がいた。

トモヤくんだ。

びっくりするぐらい絵がうまくて、
貸してくれたスケッチブックの一枚一枚を
めくる手が止まらなかった記憶がある。

そのこともあってぼくは、
(トモヤくんの趣味は、絵なのかな?)
と、想像していた。

でも、
「永井先生、見て見て!」といって、
彼がぼくの目の前にグイッ!と掲げた名札には、
がっつりとした太い文字で……



「趣味 ある」



――とだけ、書かれていた。


……



……なるほどーーーー斬新!!!


ぼくは最初、
それがすごくかわいらしい天然ボケのように思えて、
とても楽しい気持ちになった。

だから、
「いやいやトモヤくん、中身を書くんだよー!」
ってツッコミそうになったけど、
次の一瞬、その気持ちが止まった。

トモヤくんは、真剣も真剣。
すごく大事なことを話してくれた。

ぼくのツッコミを止めたのは、
彼の誇らしげな顔と堂々とした態度だった。

でもそのあと、何度も考えて、わかった。

趣味は中身がどうとかいうことよりも
「ある」という事実そのもののほうが、大事かも知れない。

何より……めちゃくちゃ、気になる。
その趣味のこと、すんごい聞きたい。
かえって話が盛り上がる可能性だって、大いにある。
その証拠に、ぼくが今トモヤくんに感じている
愛しさに似た感情や興味は、尋常じゃない……


やがて時間が来て、授業は終わった。

こちらがきちんと目的や内容をわかりやすく伝えたら、
本当に素直に学んでくれる。
驚くほど吸収力が高い。

ちょっとでもわかりにくかったら、
困ったような顔にも、ウロウロ動く体にも
はっきりしたこえの質問にも出てくるから、
こちらもすぐに修正できる。

その日も、一緒に行った
大学生のインターンの子たちよほど、
生徒さんたちの変化は、際立っていた。



それからも折にふれて、
この日のトモヤくんの顔を思い出す。

趣味は「ある」ことが大事だ。

自慢できるようなことじゃないとか、
人に言うほどのことじゃないとか、
ちょっと恥ずかしいとか……別に構わない。

好きなものは好き。
それで自分が楽しい気持ちになれるなら、
それだけで趣味として大合格だ。
いつからそんなプライベートなことにまで、
他人の目を想定した縛りをかけるようになったんだろう。

なぜ、
他人からの肯定がないと、
自分のことを肯定できなくなったんだろう。
それはある程度しょうがないけれど、
決して全部がしょうがないことじゃない。

ぼくらは多分、
ぼくらの中の「自分の領分」を、
取りもどす必要がある。

他人に奪われたわけではなく、
自分からなぜか「想像上の他人に明け渡してしまった領分」は、
ほんとうは、歪みなんだと思う。


得意なことも、きっと同じだ。
中身もいいだけど、ひとつでも「ある」ことが先に大事だ。
中身が何だろうと、充分に誇らしいこととして、
自分を支える力になる。
その誇らしさを、忘れているだけで。
自分で封じているだけで。

セルフケアの習慣も全く同じ。
中身の質も大事に思えるけど、「ある」ことが、まず最優先。

たぶん、
仕事も目標も夢も希望も家も
大事な誰かも相談できる相手も親友もちょっとした友人も知り合いも……
なんにしても、
中身がどうこう質がどうこうと言う前に、
「在る」ということに、まず価値がある。
もちろん、今まだ無くてもよくて
「つくろうとしてみる」ということにも、大きな意味がある。

なぜなら、
「そこ」から始めていけるから。
「そこ」からしか始まらないから。

ひとつでも「ある」なら……
または「あろうとしている」なら、
その「置き場所」が人生や脳や心の中にあるということ。
だから、その先、中身はいくらでも良くしていける。貯めていける。
それは「ない」のとは、雲泥の差がある。
(お金が余るより先に、貯金箱を設置するようなもんでね)

まだ「ない」のに、最初から
中身や質を高望みしたり選り好みしたりするのは、
じつはとても傲慢だし、
ぼくに勇気が足りないだけだ……

天職につきたいだの、
好きを仕事にしたいだの、
自分の強みを知りたいだの……
まだ何も「ありもしない」のに、
スタートラインから離れた観客席で、
ただウロウロうろうろしていた。

ああ、だからぼくは、
彼みたいに堂々としていられなかったのか。



あともう1つだけ。
トモヤくんのピカピカの笑顔を思い出して、
今、新しく理解できました。

「ある」という事実を大事に思うこと。

まわりがする勝手な評価は、
本人にとっての価値に、本当は関係がない。
(評価していいのは、本来、利益関係者だけだしね)

趣味なんて特にそうだし、
仕事も夢も同じ。
極端にいうなら命でさえ、そう。
質がどうこう言う前に「ある」ということ。
それを大事に思うこと。

その自分発の……
「果汁100%」の信念や、感謝や、誇りは、
混じりっけのない祈りにも似ていて、
「それ」が楽しくうまくいくための、
最高の第一条件なんじゃなかろうか。

だって、
小ぎれいににまとまった趣味を礼儀良く話す人と、
いかにも楽しそうに目を輝かせて「趣味はある!」と宣言する人と、
どっちのほうに、人や天が味方したいと思うか……


ぼくはそんなふうに考えたりして、
自分の低レベルなカッコつけを、定期的に反省しています。


「無駄なことなんて、ない」って言い方がありますけど、
無駄の反対は何だろうね……有益とか、有意義かな。

でもよく考えたらそれは「本人による」よね。
時期にも、よる。

いま無駄だと言われることが5年後、有益に化けることもあるし、
その逆もある。

そんなの、付き合ってられないですわ。
ほどほどにしか、ね。


趣味は、ある。
仕事もある。
家族もある。
動ける体もある。
悩める頭もある。
やる気も少しある。
食欲もある。
ひらめきもたまにある。
変えたいこともある。
変えたくないこともある。


充分、ある。



ではでは、くれぐれも、お大事に。
ぼくの最新の趣味は、みそ汁の具探しです。