「あぁ怖かった。よかったな……」
新しく本を出すとき。
新企画のセミナーの募集をかけるとき。
1件目のコメントやご注文があると、
正直……ものすごく、ホッとするんです。
「まずはお一人、喜んでくれる人がいてくれた!」
って、思う。
胸の重しがとれる。
「救いの神が振り向いた」ぐらいの気持ちが、ある。
その、
新しい企画をリリースする直前まで続く不安と、
それを見つけた誰かが受け入れてくれた安心感は、
いつまで経っても変わりません。
そうなのよ。
ぼくは、
YouTubeもメルマガも本も、
自信満々でやれてるわけでは、決してありません。
だって、すごいの、たくさん知ってるからね(笑)
でもね、
ぼくはあるとき、気づいたんです。
自信ってアテにならないもんだなぁ、って。
たとえばね……
好評だった作品があって、どんなに
「今回のは自信になったなー!」って思ってたとしても、
それはしょせん、いっときのこと。
次に出すものの反響が少なかったら、
簡単に、ぼくの自信は低下する。
シュシュシューーーーって、
空気がもれた風船みたいに、しぼんじゃう。
それはまるで、ぼく本体まで小さくなるかのよう。
(森本レオの声色で読んでね)
ということは、
ぼくの自信というのものは、ニセモノなんです。
これが1つ目の、事実。
いっぽうで――
次に「好評なやつ」が出て来たり、
たった1件でも、心のこもった感想コメントをもらえたりしたら、
まったく違ってくる。
それだけでも、ぼくの自信は復活します。
「地道にやってきて、よかったな」って思う。
つまり、
自信がやたらに低下することがあっても、
それさえしょせん、いっときのこと。
ぼくの「自信のなさ」というものも、ニセモノなんです。
これがとても大事な、2つ目の事実。
要するにさ、
自信なんてもんは、
有ろうと無かろうと、どっちにしたって、
信用するべきものじゃないだね。
「自信がある」ことだって、かりそめ。
「自信がない」ことだって、かりそめ。
何か大事なことを判断する材料には、ならない。
ぼくはこれ、
希望のある話だと思うんです。
なぜって、
「自信がないことは、健全である」
とも、言えるはずだから。
……だったら、ぼくらは、
「自信がないけどやってみたいこと」を
堂々とかつひっそりと、大事にしていい。
(本当は「ひっそり」としない権利だって、大いにある)
「ずっとやってきたけど自信を持てずにいること」を
粛々と自分のペースで続けるのも、まっとうなこと。
そう考えていいんだったら、
氣が楽になるところが、ありませんか?
もちろん、それがわかったからって、
「自信が欲しい」という気持ちが
消えて無くなるわけではない、けれど……
(安心とか気分の良さともつながってるからね)
それでも、
「自信というものは必須ではない」という理解は、
ぼくに勇気を与えてくれます。
そのおかげで、チャレンジを続けられる。
遊び心だって肯定できる。
今日もそんな葛藤をへつつ、
お手紙をひとつ、書き終えました。
ちなみに、
そんなぼくが拠り所にしているのは、
自信ではなく「確信」です。
ぼく自身を信じることができないときでも、
ぼくの手元や足元にある事実や実績ならば、信じられるから。
ではでは今日も、お大事に。
変わりゆくものは拠り所にしないか、
その「変わりかた」ごと信じるか。