ぼくはサッカーが嫌いだった。
兄ちゃんがやってたから、始めた。
でも、兄ちゃんのようには、できない。
練習なんかほとんど行かなくても
トップで試合に出てゴールを決める、兄。
足も遅くてすぐ転ぶ、ほとんど何もできない、ぼく。
悪気がちょっとある子に混ざって、
悪気がない子まで、ぼくと兄を比較する。
「お前、兄ちゃんとぜんぜん違うな!」
「ゆうくんの弟のくせに」
……当時のぼくには反論する言葉なんて、
なにひとつ出てこなかった。
週3回の練習が、イヤでイヤでしょうがない。
ズルいことだと知りながら、
仮病で休もうと思ったこともある。
でも、
昼間に学校で元気にしているのを目撃されてるから、
「さっき元気やったにか」と一蹴される。
スポーツ少年団の先生の子どもが同級生だったから、
その子が、ぼくがサボらないように
教室まで迎えにに来ることも多かった。
彼が魔王の使い魔のように見えたことだって、ある。
(今となれば、お礼の言いようもないほど感謝しているけれど)
一度だけ、
「ぼく、サッカーを辞めたい」と、
父に言ったことがあった。
父はサムライのような人で、
(顔は、笑わない明石家さんま)
悲しいような情けないような怒っているような目で
ぼくを10秒ぐらい見たあとで、
「それは絶対にダメだ」
と言った。
それだけだった。
理由の説明なんてない。
慰めの言葉もない。
ぼくがやめたいと言ったワケを聞いてもくれない……
そのときは、ただ絶望した。
普段から怖かった父が、もっと怖くなった。
苦しいのは変わらない。
しかし、逃げ道はもう、ない。
ぼくはあれこれ悩んだすえ、
「サッカーを嫌いでいることが苦しいんだから、
嫌いじゃなくなろう」
と考えた。
(ほとんど神童である)
●うまくなればきっと違ってくるはず
●誰もいないグラウンドでやるなら、マシだ
そんな思いが、胸にあった。
とはいえ、1人でできること……
シュート練習か、
あてもないドリブルか、
リフティングか。
練習の1~2時間前に、
ぼくはグラウンドに行くようになった。
「あの場所自体が嫌い」
ということもイヤで、
「あの場所にいるのにイヤじゃない時間」をつくって、
嫌いな気持ちを少しでも、ぬぐいたかった。
1人でやる練習のなかでも、
ぼくが一番下手っぴだったのが、
リフティングだった。
足だけで、ボールをつく。
テン、テン、テン、ポン。
地面に落とさないように、太ももも使う。
1回、2回、3回……
下手だから、体がグラグラになる。
バランスも崩れるし、あちこち走り回りながらやる。
ドタバタ、ジタバタ。
10回だって、なかなかできない。
テレビで見るプロの人なんて、
ほとんど同じ場所で動かずにやれているのに。
同級生でもタケオくんやケイスケくんは、そう。
安定している。
でもぼくは、違った。
それでも、続けた。
「他にできることがなかった」から。
すると、
下手なりに、少しはマシになってくる。
(ヤバくなったら太ももでやるといいんだ。
面が広めだから、真上にボールが飛びやすいぞ)
(体からボールが離れちゃったときは、
少し高めにボールを蹴り上げれば、そのあと追いつけるんだな!)
(なんかよくわからんけど、ボールをじっと見過ぎると
体のバランスが崩れるな。ボヤッと眺めるぐらいがいいっぽい)
きっと、教わらずに
「自分でやってるから」なのだろう。
いくつか、体を通して、わかってくることがある。
個人練習をはじめて、1ヶ月ほど経ったころだった。
あれだけ下手だったリフティングも、
10回以上、安定してできるようになった。
これは、経験者じゃないとちょっと難しい数字だ。
なんだかちょっと、ボールが大事なもののように見えてくる。
「サッカーはまだ嫌いだけど、
リフティングはそうでもないかも知れない」
そう思えた頃には、
グラウンドがイヤな場所では、なくなっていた。
10回が当たり前になって、
20回をこえて、
30回できるときも出て来て……
リフティングは、最高回数が増えていく。
それが「上達した証拠」みたいで、うれしかった。
初めて「100回」を超えたとき、
もうあたりは暗くなっていて、やっぱり1人だった。
叫びたくなるほど、うれしい。
うれしすぎて脚が震えて101回ですぐ終わった。
もっといけたはずなんだけど、
冷静でなんて、いられない。
同級生でも100回を超えていたのは、
ぼく以外に1人か2人しかいなかった。
その頃は、
興奮したぼくが「リフティング、101回できたよ!」
って言ったって、誰も信じてくれなかった(笑)
それぐらい難しいことだったし、
ぼくの上達になんて、誰も気づかなかった。
それでも、良かった。
(みんなが知らないことだって、ほんとうは、ぼくにはできる)
という思いは、
自分の気持ちを、深いところで支えてくれた。
一年ほどそんな日々が続いた頃だったと思う。
結局ぼくは、
426回という最高記録をつくった。
あとでテレビに出てきた「サッカー少年」みたいな子が
1,000回を超えてリフティングをしていた。
もちろん、ぼくよりすごい子なんて、たくさんいる。
でも、この記録は、まわりにも驚かれた。
多分「レアさ」でいうと、
だいたい「後ろかけ足あや二重跳び(縄跳び)が
涼しい顔で30回できる」ぐらいのものだと思う。
いじわるな子には、
「じゃあやって見せてよ、今すぐ、ここで!」
と言われる。
でも、ぼくが実際にリフティングをやり始めると、
100回を過ぎたあたりで、
「なによ、ムキになって!」
と捨て台詞を残して、どこかに逃げていった。
(お前は水戸黄門に出てくる悪役か)
そうか、
ぼくが弱いからいじわるされたというよりは、
彼が弱いから、いじわるしてたのか……
ぼくがサッカーについて「1つだけ」でも
自慢出来ることが、できた。
そんなことは初めてだった。
その変化の意味はやっぱり大きくて、
自分がグラウンドにいることを許せるような気持ちになった。
「どうして、そんなにリフティングが
上手くなったんけ?」
何人かに聞かれたけど、
そんなこと、自分でもよくわからない。
「わからんけど、ずっとやっとったから」
としか、答えられなかった。
でも、今ならわかる。
「下手なくせに何度もやった」のが、良かった。
バランスを崩したりあちこち走り回ったりしながら、
「よくない体勢でもボールをなんとか処理する」
という練習を、実は、繰り返していた。
なんども、なんども。
まるで、高山で酸素が薄い、厳しい環境で育った子が
強靱な肺を手に入れてすごい陸上選手になるように……
ぼくは「ものすごく不安定」という環境(※自作自演)で
育ったおかげで、バランス感覚や、
変なところまで脚が伸びる能力や、
体から遠い場所でもボールの中心を足で拾う力が、
じわじわと身についていた。
驚くほどすべてが、計算外(笑)
でも、そのおかげで、
シュートも少しずつ上手になっていった。
敵にジャマされても、強いシュートが打てる。
多少ぶつかられても、倒れない。
(前はあんなにすぐに転んでたのに!)
リフティングのおかげだった。
何につながるかもよくわからない。
作業自体がそう楽しいわけでもない。
ただサッカーを嫌いになりたくない一心で、
3つしか選択肢がないから繰り返していた、ひとり練習。
それが、ぼくを変えた。
だから、
子どものぼくにだって、よくわかった。
「下手なりにも練習を重ねると、いいことがある。
そして予想を超えたオマケが、大抵ついてくる」
子どもたちは、単純だ。
「あいつには、勝てないところがある」
と1つでも思われると、扱いが変わる。
(ひょっとすると、大人になっても同じかも知れない)
小さくてもいいから、得意な「部分」をつくればいいんだな。
全部が得意じゃなくてもいいんだ。
それだけでも、その世界の居心地はよくなる。
足場ができる。
堂々と、戦えるようになる。
「それ」が嫌いじゃなくなる。
「それをやる自分」が、嫌いじゃなくなる。
そんなことも、ぼくはサッカーから教わったと思う。
今でも、思い出す。
集中してくると、
ボールと自分以外が、完全に消える時間。
音も色もぜんぶ、透明ななかにいる。
足にあたるボールの重みが、心地良くなる。
先生が怖いとか、
いつもいじわるをする先輩が来ないといいのにとか、
早く終わって欲しいとか、
なんでサイダーは1日1本しか飲んじゃダメなんだろうとか、
また失敗したらどうしようとか……
余計なことがすべて消えてしまう、透明な時間。
ぼくは、
「集中」や「上達」の楽しさをまず好きになって、
そのおかげで、サッカーを好きになった。
そして「そうなる」ためには、
誰にも教わらず、干渉されず、人の目も気にしない、
ひとりでサッカーを味わう時間が必要だった。
その「土台」ができたおかげで、
ぼくは中学、高校と、サッカーを続けていくことになる。
サッカーから、ますます大切なことを教わることになる。
こうなることを父がどこまで予想していたかは、
わからない。
ただ、ぼくが「サッカーをやめたい」と言ったあのとき、
事情を聞きもせずに「壁」のように止めてくれたことを、
痛いほど、有り難く思う。
おそらく父は、
ぼくがあのとき「瀬戸際」にいたのを、
わかっていたんだと思う。
逃げグセがついてしまうか、どうか。
父はきっと、
ぼくを許せなかった……というよりは、
許さないでいてくれた、のだろう。
その後、
サッカーをやめたいと彼に言うようなことは、
二度と無かった。
やめたいと思うこと自体、なくなった。
彼はたまに、
ぼくの試合にゴツいカメラを持って、見に来る。
以前はずっと気になっていた
心配そうな厳しい顔を父がしなくなったように思えたのは、
ぼくのサッカーが変わったからだったのか、
ぼくの見方が変わったからだったのか……
たぶんぼくは、人より遠回りをして、
サッカーを好きでいられる自分を、手に入れた。
自然ではない、いびつな始まりかも知れない。
天然で、最初から好きにはなれなかった。
「サッカー好きか?」と言われるのが辛かった。
だからこそ、ぼくは、
ようやく好きになれたサッカーを、
この自分で手作りしたような「好き」を、
他にはない大事なものだと思った。
今でもサッカーがぼくの中で特別なのは、
そのおかげなのだと思う。
この部屋には今も、小さなボールがある。
ゴムでできた、子ども用のサッカーボール。
ケガが御法度な仕事についてから、
思いっきり外でサッカーをすることはなくなった。
でも、このおもちゃのようなボールを、
手放すつもりはない。
ぼくが何かを教わるときも、
ぼくが何かを教える立場にあるときも、
いつも、ぼくは自分にたしかめる。
始めはヘタでいい。
ヘタから始めていい。
急に上手になんて、ならなくていい。
なろうとしちゃうけど、落ち着こう。
ヘタなときをじっくり自分のペースで、経ればいい。
「自分のものにする」ってきっと、そういうことなんだ。
ではでは今日も、お大事に。
「下手でいるときしか学べない知恵」はきっと、
凡人が天才に負けないための、最強の武器なんだろうね。
■追伸:
このお話のあとぼくは、
「シュート」がうまくなって、
チーム内での役割まで変わっていくことになるんだけど……
それはまた、別の話。
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