キャラをつくってくる人が、
苦手です。
好き嫌い以前に、受け止め方や接し方が難しいから。
いつからこんなに、
「自分以外の何かになりたがる」ことが、
当たり前のようになったんだろう?
まだね、
求められる役割に応じてやってるとか、
気遣いやサービスでやってるとかって場合は、
「そういうケースってあるよね」と、思うんです。
理解できる。
でも、そうじゃないやつね。
モテるためだとか、
売れるためだとか、
人気が欲しくてとか、
個性を出したくてとか……
それは基本的に、
中学生あたりが
「ぶりっこ」したり、
「ヤンキーっぽく」振る舞ったり、
「病弱なふり」をして構ってほしかったりするという行為の、
延長のように思えてしまう。
もちろん、
「埋もれないために、個性が必要」
という判断が、あるんだとは思います。
ぼくがテレビに出ることが決まったときにも、
ある知人が訳知り顔で言ってきたんですけどね……
「じゃあ、永井くんも、個性を発揮していかないとね。
キャラを出すっていうかさ」
いやー……ぼく、
そういうんじゃねえです、と(笑)
そういうのって、
「テレビ出演を通して何がしたいか」に
よると思うんです。
ぼくは別に、
「ここは一発、目立ちたい!」というつもりもないし、
個性派として輝きたいわけでも、
テレビに次々に呼ばれたいわけでも、ありません。
ただ、
お誘いがあって、
自分にとって新鮮な試みで、
担当の人も仕事ができそうな人でやりがいもあるし、
テレビならばあちゃんも喜ぶかも(本はもう読まないけど)、
という理由で、受けた仕事でした。
あえていうなら、
「そんな平熱でヒョロりとテレビに出る」
ことが、ぼくの個性かも知れない。
うん。
個性は大事。
それは間違いない。
でも、勘違いしたくないなって、思うんです。
テレビに出ている人、
YouTuber、
独立して自分の店をやる人。
それぞれの中で……
うまくいかない人、
一時的にうまくいくひと、
長くうまくいく人。
うまくいってるけど、苦しそうな人。
うまくいくし、楽しそうな人。
たくさんたくさん、見てきました。
じゃあ、
「自分から個性を出してる人」が、
本当に売れるのか?
そしてもっと大事なポイントとして、
「人気が長続きするのか?」
っていうと、答えはやっぱり、Noだと思うんです。
人気が続かないことがまず大半だし、
「本人が続かない」ことだって、珍しくない。
なぜか?
それは「ゆがみ」があるから。
不自然だからです。
不自然なものは、やがて、自然にかえります。
これはもう、
「多摩川に毎月あたらしいアザラシが現れたりはしない」のと同じ。
不自然は、続かない。
続くのはその逆、自然のほうです。
そもそも、
「ぼくの個性」というからには、
「ぼくの自然」の中に存在していないと、ウソになる。
ぼくという人間の「生態系」から出てこないなら、
それはぼくのものじゃない。
「根っこ」が違うんだもん。
そんな取って付けたものは、
仮面だったり、ハリボテだったり、着ぐるみだったりする。
そのせいで、やがては変な汗をかき、飽きられ、
取れない汚れが染みつき、クセのある匂いを発し、
己の自由を奪うものです。
だからぼくは、
商売として、または本気の仕事としてやりたいのなら、
「ウソが無いもの」をギリッギリまで目指さないと、
うまくいかないと思ってます。
「個性を出す」なんて本当はもう、発想がおかしいもんね。
個性なんて「出す」ものじゃなくて「出る」ものです。
「磨く」のはいい。
でも、「つくる」とか「つける」とかってものじゃない。
そのためにも致命的に重要なのが、
「ノイズを無くすこと」です。
不自然さ、
強すぎる自意識、
から元気、
下手な演技、
余計なプライド、
バレないつもりのウソ、
自分まで騙しちゃうウソ、
自分のことをよく知らない人からのアドバイス、
過剰な力みや強がり、
狙いすぎの下心……
〝ノイズ〟が混ざっちゃったら、
そこから出てくるものは
「個性」じゃなくて「灰汁」(あく)になる。
ぼくは本当に良い個性って、
味付けじゃなくて「だし」みたいなものだと思うんです。
ゴテゴテした強いものじゃなくて、
じんわり染みてくるような、味わい。
じゃあ、良いだしって、どうしたらとれるか?
強火で煮立たせると、死ぬんだよね。
むしろ弱火であたためると、
誰でも気づくほどくっきりと現れてくる。
だからね、
個性を足すことを考えるより、
ノイズを消すことのほうが大事なことが、
ずっと多いんじゃないかな。
ノイズがなくなって静かになったときに、
ことことことこと香り出すのが、
マジの個性じゃなかろうか。
「付け足りないもの」より
「捨て足りないもの」を、探そう。
ではでは、今日もお大事に。
「自分にない個性を演じる」のって、
俳優さんでも難しいことなのにね。