「あの人が嫌い」
「あの人のここが嫌い」
この2つは似ているようで、
本当は、かなり違う。
それなのに、混ぜちゃうことがある。
うんとある。
あの人すべてが許せないのか。
それとも、
あの人には許せない部分があるのか。
その区別をし忘れるのは、もったいない。
あなたの世界が狭くなるから。
「全面的に好き」と「全面的に嫌い」の間に、
たぶん人生のいろいろがある。
だったら、両極端に仕分けるような乱暴なやり方は、
人生をゴミ扱いするようなこと……かも知れない。
嫌いは嫌いで、もちろん構わない。
好きになれなんて言わない。
でも「嫌い過ぎる」のは、ストレスのムダかぶり。
どうせ嫌いなら、
「嫌いの焦点」を絞ろう。
全体ではなく、面に。
その面の中で、点に。
点ならば、埋めることができるかも。
避けることができるかも。
ときが違えば、無くなっているかも。
「自分が嫌い」
「自分のここが嫌い」
これも同じこと。
「嫌いの焦点」は、やはりグッと絞りたい。
そうでもしないと、
「治すべきポイント」も、
「治さないでいいポイント」も、間違う。
困っちゃうほどよくあることに、
「伸ばすべきポイント」は、
「治したいと思うポイント」のお隣さんだったりも、する。
それを一緒くたにイジってしまったら、
良いところまで損なっちゃう。
嫌いなもののことなんて、じっくり考えたくない。
……とは、思いがちだけど。
嫌いだと思うからこそ、
その輪郭をはっきりさせるほど削り込めば、
心の重りは軽くなる。
「反面教師」としても、学びやすくなる。
そして、もしも万が一、
ちゃんとケンカをするときが来たとしても……
「嫌いなポイント」がしっかりしているほうが、
ちゃんとした文句も言える(笑)
和するにしても、
学ぶにしても、
戦うにしても、
よく見えているほうが、有利。
みんな理解しているように、
愛は無条件を目指せばいい。
でも、憎しみは条件をちゃんと煮詰めたい。
他人も過去も変えられない、とよく言われる。
それでも、
「嫌いな気持ちの総量」は、
自分で編集(カット)できる。
抱えていく重りは、削れる。
そのコントロール権と能力については、
自分でちゃんと、わかっていたいね。
ではでは、今日もお大事に。
昔、偉い人が言ってたよ。
「愛し抜けるポイントが、1つありゃいいのに」
ってね。