楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

「おもしろい」と「楽しい」……より強いのは?


「永井先生は独立してて売れっ子で、
 楽しいことばっかりじゃないですか?」

そんなご質問を頂きました。


うん、なるほど。

ぼくはたしかに「楽しそうだ」とよく言われます。
実際、楽しいことも多いです。

でも、
楽しいこと「ばかり」かと聞かれると……

正直、そうでもないかな(笑)

 


たとえば、整体のお仕事。
かなり重たい病気を抱えた人もいます。
イイ感じで改善がみられる時期もあれば、
停滞しながら回復のきっかけを手探りする時期もある。
そんなとき、
「楽しい気分」には、なれません。

たとえば、本を書くとき。
スラスラ書けるときは「わしゃあ天才か!」とか言いながら
原稿がどんどん埋まっていってスーパー楽しいですが、
「2時間ほとんど筆が進まねえし、全部書き直しだ、これ……」
という夜だって、あります。
そんなときなんて、何にも楽しくない。


そう考えたら、
興味深いことに気がつきました。

今のぼくは、
昔よりずっと、能力も仕事の速度も時間との付き合い方も
上手になっている。
自由になる時間もお金も増えている。

でも、
「思い通りにならないことや、楽しくない部分もある」
という感覚については、
かなり未熟だった昔と、そうは変わらないんです。


なぜだろう?


理由は単純でした。

ぼくのキャパ(許容量)が大きくなった分、
試練のサイズも大きくなるから、です。

より深刻な症状のお客さんが来たり、
より高いレベルのリクエストが来たりして……

まるで、
真空ができたらすぐに新しい空気が入ってくるかのように、
できた「スキマ」って、すぐ埋まるんですよね。


だからでしょうね。

「幸福度は、年収700万円ぐらいがピークで、
 それ以上の年収になっても上がっていかない
 (むしろ下がったりする)」

――なんて研究結果が、出てたりするのは。

あと、シンプルに

「悩みのない人なんて、いない。
 どんなに悩みがなさそうに見えたとしても」

とも言われますよね。
あれ、ホントだと思うんです。

悩みの質や中身が違うだけ。



じゃあ、
独立しても成長しても、良いことは無いのか?

もしそう聞かれたら、

「めっちゃくちゃいっぱい、ある!」

んですけどね(笑)


つまり、
「楽しさ」を求めるのには、限界があるんでしょうね。



まわりの大人を見ていると
ぼくよりはるかに「そう」ですが、
「楽しい」って気分は、
大人になればなるほど、減っていくものかも知れません。

おそらく、
楽しさを感じるには、いくつか条件がある。
自分の心に、
単純さや純粋さや身軽さや体力やエネルギーがあるときに
感じやすいものだから……かな。
まるで子どもたちの特権みたいにも思える。


だから、
「楽しさ」を期待するのは、保留しておくのはどうか。
(決して、無いわけじゃあ、ないけれど)



そいで、次に考えたいのは、
「楽しさの替わり」になるもの。


……というか、
場合によってはもっと良いものが、

「面白さ」

だと思ったんです。


これについては、
明らかに、子どもの頃より増している。
独立する前よりも、強くなっている。


なぜなら、
「わかる」ものや「見える」ものが
圧倒的に多いからです。


ここがポイントでね、
わかるものや見えるものが増えると、
それらの中には悲しみやら切なさといった
「楽しみ」に影を落とす要素も混ざってるんだよね。


……それでも。

「面白さ」は意外なほど、色褪せない。


この感覚、わかりますか?


たとえば、
「悲しいけど楽しい」とか、
「切ないけど楽しい」って、ちょっと矛盾しちゃうでしょ?
悲しいも切ないも楽しいも
「気分や感情」の仲間だから、
明るいものと暗いものが同時に存在しにくい。

でも、
「悲しいけど面白い」とか、
「切ないけど面白い」っていうのは、成立するんです。
(実際そういう種類の映画、たくさんあるもんね)
面白さは気分や感情ではなく、
知的な発見だから、なんでしょうかね。



そんなわけで……


ようやく冒頭の質問に戻りますが(笑)

「永井先生は独立してて売れっ子で、
 楽しいことばっかりじゃないですか?」

って聞かれたら、
答えは

「そうでもねっす」

です。
正直、ね。


でも、

「永井先生は独立してて売れっ子で、
 面白いことばっかりですか?」

って聞き直されたら、
その答えは……


「ああ、それはそうっすね、マジで!」


と、変わります。




何が言いたいかって?



大人になったら、
「楽しいかどうか」よりも、
「面白いかどうか」を大事にしたほうが、
ハッピーになれるんじゃないか。

「楽しくない部分があるのは当たり前」と割り切って
「面白くできるかどうか」を自分なりに遊ぶのが、
クリエイティブってことなんじゃないか。


だって、
楽しみって、有限です。
感情だから、賞味期限もある。
時間とともに、記憶だけを残して、消えていく。
(その記憶に価値はあるけれど)

でも、面白みは、無限です。
知的な蓄積だから、価値がなかなか減らない。
知識や知恵としてどんどん溜まっていくし、
なんなら、人に配ることもできる。

そして何より、
「面白さ」は見つけたり手作りしたりが、簡単です。
(楽しさよりは、ずっと)


あ、あと、
「後から料理」もできるよね。

たとえば、
中学生の頃の暴力教師にひどいことされた体験なんて、
当時だって今だって、何にも楽しくはない。

でも、
そのおかげでぼくに蓄積された
無念やら経験やら問題意識やら
今の自分に与えた影響を考えると、面白くは思える。
(興味深い、というかね)


「それはそれで楽しい」と言えるものより、
「それはそれで面白い」と言えるもののほうが、
きっと幅広い。



いろいろ上手く行きまくってるように見えそうな
ぼくの人生にも(笑)、
楽しさが無い時期は、正直、あった。

でも、
振り返って考えて……ということも含めて、
面白みを見いだせなかった時期は、ほとんど無い。


頂いた質問にまっ直ぐ答えることができず、
あれこれ考えているうちに、
そんなことに氣が付きましたとさ(笑)



ではでは、今日もお大事に。
この生活の中で、今よりちょっと
面白くできることは何だろう。