楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

ぼくが常に「誰かの替わり」だった頃のお話



「私、股関節にボルトが入っているの」

初対面のとき、サエさん(仮)はそう言った。


古傷だった股関節があるとき悪化して、
60代の前半に手術を受けた。
おかげで今は、なんとか日常生活は送れる。
でも、股関節が痛い。腰も痛い。

それについて担当の医師には、

「人工股関節だからね、その痛みとは、付き合っていくしかないよ」

と言われたらしい。

でも、うちの院長先生は腕がいいから、
彼の整体を毎週受けることで、
悪化することはなくなっていた。

その頃のぼくは27歳、駆け出し。
整体師としての実務経験なんて3ヶ月しかなかった。

 


だから、院長や先輩が忙しいときの
「前半のほぐし」を担当していた。

ぼくはそれが正直……ものすごく嫌だった。

もちろん未熟で、
一人で誰かを担当することはできない。
院長が「後半の仕上げ」をすることで、
お客さんの満足も安全性も担保されている。
新人も安心して経験が積める。

とても合理的だし、よくできた制度だ。
ずっと「前半のほぐしばっかやってたい」という
同期もいる。気楽だからだ。


でもぼくは、
早く独り立ちがしたくてしょうがなかった。

〝誰かの替わり〟が、辛かった。

「あら、院長はやってくれないの?」と、
露骨に言われることもある。
自分なんかで本当に申し訳ない。

静かな人だと思っていたら、
ぼくが先輩に交替したとたん、
急に楽しそうに話し始める人もいる。

「仕上げ」は先輩の役目だから、
ぼくに許されるのはあくまでも「ほぐし」まで。
整えたほうがいいとわかっているところも、
ぼくが勝手にやるわけにはいかない。
(患者さんに良いことなんだからと思って
 やったことがあるが、こっぴどく怒られた)


こんな見習い期間が続けば、
ぼくは自信をつけるどころか、
失っていくばっかりじゃないか……

そんな悶々とした日々のなか、
ぼくは初めて、サエさんに出会った。


人工股関節。


初めてナマで聞いて文字を浮かべると、
すごく冷たい印象だ。

ただ彼女自身はとても気さくで優しくて、
大きくニカッと笑う人だった。
ぼくにも色んな話をしてくれる。
実際、まともに歩けないほどひどかった頃もあったという。

ぼくはまだ院長の「前半」でしかない。
それでも、彼女にリスクになるようなことは、
絶対にしたくない。

だからぼくは、聞けることはすべて聞いた。
何をしたらどこがどう痛いか。
生活で何に困るのか。
これまで何が効いた感じがするのか。
そのせいでガマンしてることはないのか。

ヒアリングなんていう立派なもんじゃない。
聴き方も下手、
順番もめちゃくちゃ、
重複もある、
相手のペースも考えられてない。

ただぼくは、
「やっちゃいけないこと」を徹底的に避けたかった。
そして、無力な自分でも役に立てる「スキマ」を
見つけたかった。


矢継ぎ早に投げられる質問にも一切嫌がることなく、
サエさんは丁寧に応えてくれる。しかも、
すごく辛そうな部分には、必ず笑い話を交える。

「まあ、いくら人工股関節って言っても、
 ようかん食べてるときは全く痛くないのよ?(笑)」

こんなに色んな話ができたのは初めてだった。


「そういえば永井さんは、いつからお勤めなの?」

ぼくは、このとき、
自分でも理由がわからないのに、
息がちょっと止まるほどドキッとした。

「あ、はい……えっと、さ……3ヶ月ほどです」

しどろもどろに答えながら、
少しして、
ようやくぼくは、気がついた。

お客さんに名前を呼ばれたのは、
それが初めてだったのだ……


ほどなくして、
ぼくの「前半」が終わり、院長に交替した。

院長もサエさんもいつも通りだったけど、
ぼくはまだ、落ち着かなかった。

当時は「手応え」のようなものを感じた
つもりになっていた。
……けど、本当はちょっと違う。

初めて「誰かの替わりじゃない自分」として
接してもらったことが、
後をひくほどうれしかった。


ぼくは、勉強した。

次にサエさんが来るのは、一週間後。
そのときに「前半」に入れるかは、わからない。

でも、
股関節のために安全にできる手技がないか、
教科書や本や資料をひっくり返して調べた。

正直、人工股関節については、
調べれば調べるほど、
怖い情報がたくさん出てくる。

でもきっと「人工関節の難しさ」なんて、
誰よりも本人が知っている。

だから最低限の基礎知識をおさえたあとは、
改善の可能性ばかり探した。
そうか、鍼とかリハビリの分野には、
改善の可能性がちゃんとあるんだな……


一週間後。

サエさんが来る予定の日。
ぼくは自分のノートを読み返す。
字が汚くて読めないところもあるが、読み返す。

しかしあいにく、かなり忙しい。
色んな先輩の「前半」で、ぼくもアップアップだった。

スタッフもお客さんも大人数だから、
ぼくがサエさんに施術させてもらえる
可能性はかなり低い……


もうすぐ18時だ。
サエさんが来る。

その予約の時間の直前に、

「永井くん、4番ベッドでマッシー先生の前半ね」

と指示が出た。


ああ、やっぱりそうか……


「前半」の基本は、30分。
だったらぼくはもう、サエさんには間に合わない。

伝えられることも、
安全に試せる施術も、いくつもあるのに。
かすかな希望は、絶たれた。


「かしこまりました!」

落胆を表に出さないように、
ぼくはいつも通り、できるだけ丁寧に挨拶から始める。

マッシー先生はかなりマニアックな整体師だから、
お客さんもマニアック寄り。
他の先生の「前半」よりも、厳しい目で
見られることが多かった。
(「今の3倍強くやって」だとか、
 「あなたには何だかオーラが無いわね」だとか)

それで鍛えられる面もある。
でもこちとら、自慢じゃねえけど、
メンタルの強度はおぼろ豆腐みたいなもの。

覚悟を決めて「前半」の施術を始める。


すると、
10分ほど経ったとき――

突然、シャッ!とカーテンが開かれた。

え?

何かトラブルでもあったのかと驚いて振り向くと、
受付のお姉さんが、
えらくうれしそうに笑っている。


「ナガイセンセー、ゴシメイデス」


……え?


言葉は聞こえるけれど、意味がわからない。

今なんて?

ポカンとした顔をしていたのだろう、
ぼくを見るお姉さんの顔が倍もやさしくなって、
ゆっくり、繰り返した。


「永井先生に、ご指名です。
 途中で恐れ入りますが、交替をお願いします」



サエさんだ!

ぼくには、すぐにわかった。
なぜならこの頃、ぼくの名前を覚えてくれている人は、
彼女しかいなかったからだ(笑)

勝手に準備はしていたけれど、
まさか、指名してもらえるなんて、
夢にも思ってなかった。

そうか、受付のお姉さんが
あんなに優しい顔だったのは、
初めての指名を祝ってくれていたからか……

失礼します!

と慌てて言い残した自分の声は、
別の誰かみたいな音だった。


小走りでいつものベッドに向かうと、
サエさんは姿勢よく座っていて、
ぼくを見るなり、ペコリと頭を下げた。

あまりにもったいない思いで、
こちらこそ!と応じたぼくは多分、
頭を下げすぎていたと思う。

顔を上げたぼくの目をもう一度見て、
彼女はニカッと大きく笑った。

「今日もよろしくね」


うれしい。
よろしくどころじゃねえ!

こんなにうれしいことが、あるのか。
本当に今、現実に、起こっているのか。

お腹から沸き立つような喜びと、
自分の目で見てないような景色の現実感のなさで、
声がどうしても上ずってしまう。

でもすぐその後に……怖くもなった。

こんなにいい人の、60分。
切実に体を良くしたい人の6,000円。
それに、未熟な自分は応え切れるのか。

急な緊張に襲われる。
院長なしで、本当にいいんだろうか。
背中が汗だくなことに、今さら気がつく。
なんかそれが冷たい。

ぼくはどうしても落ち着かなくなって、
サエさんの直接、聞いてしまった。

「ぼくで……良かったんでしょうか?」

言った途端、すぐに後悔する。
かなりヤボな質問かも知れない。
うつぶせになっているサエさんの表情は、見えない。

でも、いつもの優しい声が、答える。

「新人さんなのはわかってるけど、
 今日は永井さんにお願いしたいと思ったの。
 だから、お願いします」


うわぁ
なんてこと言うんだ……


そのときに火が付いたぼくのモチベーションたるや、
全盛期の松岡修造なんて比べものにならなかった。

幸い、準備はできてる!

ぼくはサエさんの様子を慎重に慎重に聞きながら、
ありったけのことを伝え、試し、また聞いて、試した。
壊れかけのマシンガンのように早口になったけど、
テンポのよいあいづちをくれるものだから、
ぼくはますます、調子に乗った。乗り切った。


気がつけば、60分が終わっていた。

最後まで保つかどうかも不安だった時間が、
ワープするみたいに、一瞬で終わる。


何より怖いのは……結果だ。


世界中の神様に祈るような気持ちで、
股関節のまわり具合を確かめる。

あれ?

いつもより、ちょっと動きが軽いかも……


「あら、いい感じね!
 永井さん、ありがとう!!」


ゆっくり自分の股関節をなでながら、
サエさんはいつもよりさらに大きく、ニカッと笑った。


めっちゃくちゃ嬉しいけど、
なんでだろう……
ぼくは院長より遥かに下手なのに?


うれしいしビックリするし
ドキドキするしフワフワするしで、
ぼくはロクな言葉が思い浮かばず、

「いえあの……ご指名ありがとうございましたっ!」

としか、言えなかった。
(新人ホストか)



こうしてぼくに、初めての指名客ができた。


その後、
毎週の指名が院長からぼくに替わり、
施術を続けるなかで、
3ヶ月ほど経った頃だっただろうか……

たまたまいつものベッドが埋まっていて、
半個室のようなスペースで施術をしているとき、
サエさんが、ポツリと言った。

「あのね、私も整体を長年受けてきたからね、
 上手な人は何人も知ってるの。
 こちらの院長先生なんて、東京でもトップクラスだと思う」

はい、わかります。
ぼくも本当にそう思います。

「でもね……手術を受けた身だからね、
 どうしても私にはわかるの。心の奥のほうで、
 私の体を今より良くすることを諦めてるかどうかがね」

「もちろん、どの先生も、手を抜いたりはしないし、
 最善を尽くしてくれてるのもわかる。
 ただ、現状維持でしょうがないと思っているかどうかって、
 贅沢かも知れないけど、私にはすごく大事だったの」

……なるほど…………

「永井さんは最初、慣れない手つきなのもわかったけど、
 私の手術のことを聞いても、何も動じなかったでしょう?
 それどころか、前のめりになって色々知ろうとしてくれた。
 最初から最後まで、すごく一生懸命で丁寧だった。
 誠実で、勇気がある人だなあって。
 それで、せっかくならこういう先生にお願いしたいって思ったのよ」


衝撃だった。

そんな理由で、ぼくを選んでくださったのか……

「でも実際、永井さんに全体を担当してもらうように
 なってから、私の股関節は確実に良くなったわけだから、
 私の人を見る目って、やっぱりすごいわよね?(笑)」


いやー……そうだったんですね……
無知でよかった……
改めて、ご指名、ありがとうございます!


ぼくはそうやって、お客さんに教えてもらった。
どうやら、技術を超えて大事なものがある。

今ならわかるけれど、
氣の相性みたいなものが、たしかにある。
そして氣の強さや伝わり方は、意思に大きく左右される。
任せたいと強く思ってもらったときに開くツボも、ある。

施術はただの手わざじゃない。
氣なんて言葉を持ち出さなくても、リアルに、
神経とか電気とか心とかが交流してる。

正確な技術はもちろん、あったほうがいい。
ただ、決してそれが1位ではない。

「誰かの替わり」から、
「替わりが利かない誰か」になる方法は、
意外なものだった。


ただし、1つだけ、サエさんは勘違いをしていた。
ぼくには勇気なんてなかった。
今も無い。
こちとら臆病さにかけては、のび太にだって負けない。

正直なところ、
「手術」とか「人工股関節」に、ビビってもいた。

ただぼくは……
おじいちゃんっ子であり、おばあちゃんっ子でもあった。

「孫と思うように遊んであげられない」
というサエさんの悩みが、珍しく曇った表情が、
他人事に思えなかっただけだ。

そしてもう1つ、
「改善の余地はもうない」というウソに、
慣れてもいた(笑)


どうやらそれが、良かったらしい。

そして、
「勇気」という得がたい美徳は、
どうやら、別のもので代用が効くことがあるとも、
わかった。


ぼくのこの強みは、
サエさんのおかげで、見つかったもの。

今でもぼくは、
この強みと記憶をとても大切にしている。


自分より上手な先生がたに打ちのめされながらも
ぼくが整体師を続けていられる理由は、
実はこんなところにあった……とさ。