『正論』こそ、ココロを縛りつける。トラウマもつくる。
・努力は裏切らない
・人には優しくしなさい
・何でもプラスに考えなさい
……わかるけどさ、そういうのが「向かない状況」もあるよね。
「使えない状態」なときも、ある。誰にでも。
あと何より「そういう問題じゃねえ」ことが、かなりある(これ重要)。
たとえば、タイミング、視点・力点、相性、領域のどれか一つでも
「ズレて」いるなら、
努力も優しさもプラス思考も「そこでは」要らない。
むしろ、切り替え(損切り)が遅くなる。
不毛な空振りに、負担やストレスが増えるばかり。
もちろん望むような成果は出ない。
それは「正論に縛られたから」起きること。
正論の「中身」に、ウソはそうない。
でも用法・用例については要注意……誤用がいっぱいある。
誤用でも「一見正しそう」だから、押しつけられる。
(押しつけるほうは「気持ちよかった」りも、する。だから正論は危ない)
でも、
あなたのタイプにそもそも合わなかったり、
今のあなたには合わなかったり、
今の状況には合わなかったりする。
だから……
「正論ではそうだね」って、パスしていい。
正論こそ、涼しい顔で、棚に上げていい。
冷凍していい。
正論を把握しておくのは、悪くない。でも、
ぼくは「持論」のほうがよほど大事だと思う。
少なくとも、幸せや健康って「スーパー個人的なこと」だから、
持論との結びつきのほうがはるかに強い(正論よりもね)。
何かに行き詰まったとき、
正論のインストールより大事なのは、
持論の再確認やアップデート、クリエイトなことが多い。
正論のアンインストール(除去)だけで済むことさえある。
正論に選ばれなくていい。
正論の使い道をこちらが選んでいい。
そうやってぼくらの心身や自律神経は、
意識できてない緊張(≒呪い)から解かれる。自由になる。
実力が出る。魅力が出る。
創造性や運が戻ってくる。
「初心忘るべからず」って、言葉がある。
これに追記をしたい。
「初心と持論、忘るべからず」
『ブレない軸』と言われるもののど真ん中に、
この2つがあるんじゃないかなあ。
そう考えたら実際、いい感じの自信に満ちてる人って、
その根っこにあるのは正論じゃなくて持論だよね。
自分を信じるって、そもそも、そういうことだもんね。
独自性だって、持論から生える花だし。
己へのいましめとしても……
弱ってる人や迷ってる人に正論を刺すのは、やめておこう。
(クリエイティブじゃないし、優しさの精度としても疑問だし)
弱ってる自分や迷ってる自分に向けられる正論も、
遠慮なく棚上げしよう。
それが、人から送られたものでも、
自分自身から送られたものでもね。
(資源ゴミだと思ったっていい)
そして、持論は「棚上げ」せずにいよう。
持論にアップデートが必要なことだってあるけれど、
それこそ「正論で上書き」するんじゃなくて、
持論を、アップデートしよう。
小さなアイディアだけど、
あなた自身や大事な人を、
トラウマから守るときが多分ある。
なかなか自律神経が回復しなかった人の原因が
「人からすり込まれた正論」だったりすることもあって、
こんなことを書きたくなったとです。
持論を温めよう。
持論こそを育てよう。
人間だもの。