「現代人が1日に触れる情報量は江戸時代の1年分」
と言われてるらしい。
……でも違和感がすごくて、ぼくは納得できないんだよね。
だってそれって『思考情報』だけの話だよね。
『感情情報』とか『感覚情報』は逆に、
江戸時代の何分の1なんだろう。
外側からの情報が津波みたいにドバドバ増えた分、
自分の中で湧き水みたいにポコポコと微細に動くものには、
鈍感になってるんじゃないかしら。
まるでその証拠みたいに、
今の日本人の「自律神経」の健康状態は、
どんどん弱ってる感じがする。
(それがアレルギー、HSP、抑うつ、気候病、
適応障害、自己免疫疾患など……
乱暴にいえば『過敏系』の症状の増加と関係してるんじゃないかなあ)
思考はニンゲンが得意なこと。
でも感情はほ乳類にはあるし、感覚はは虫類にもある。
生命維持の本質は(自律神経も含めて)、ぼくらもは虫類も変わらない。
思考情報に触れ過ぎれば、
人間パートが異常発達して、動物パートが弱る。
つまり、生命力が落ちる。
ちなみに、社会性も過剰になる。
そしたら……「自分をおさえる」ことが、クセになる。
それは、
あっっっっっっっっっっっっっっったり前だけど、
「自分らしく生きる」
ということの、真逆だよね。
だって感情も感覚も、封印してるようなものだから。
そしてもちろん、
むっちゃ健康に悪いわけです。
じゃあ、どうしたらいいか。
方向性としてはシンプルで、
感覚情報や感覚情報を増やして、
動物性と生命力を取り戻したい。
これらが思考情報と違って不便なのは「レンタル」できないこと。
よくできた映画を見ても、必要量の半分も満たせない。
でも思考情報と違ってすごくいいのは「感動」できること。
そして、そんなにすごいクオリティは要らないこと笑。
(これ重要)
そよ風は「そのへんのもの」でも気持ちがいいし、
東京の空だってちゃんと見たら美しい。
感情や感覚が動くことが、きっと感動の本質だと思う。
それが実は生命力を支えてる(動物力の活性化を通して)。
だからこそ、足腰が弱ったりして外出できなくなった人は、
一気に老けるんじゃないかな。
足で踏む、
手を当てる、
鼻で嗅ぐ、
耳で聴く、
歯で噛む。
借り物でなく、ナマのものを。
実は、難しいことの、真逆。
むちゃくちゃ原始的なところに、
健康に「戻る」本質があると思う。
大人より子どものほうが基本的に元気なのも
「原始的だから」
って言えそう。
外の空気を吸ったり、空を見たり、風に当たったり、
森っぽいところに行ったり、背のびをしたり……
動物もするようなことを、大事にやろう。
植物のような時間を、大事にしよう。