
肯定って「ほめる」ことじゃない。
良いだの悪いだのって評価を「しなくてOKになる」のが、肯定だと思う。
だから自己肯定感って、ホメだけでつくると、もろくなる。
風が吹けば、揺らぐ。
オセロのように一瞬で「否定感」に変色することもある。
「あったはずなのに」と思うから、よけい心細い。
それじゃあ体によくない。
……そうやって心身を弱らせた人が、よく来院される。
赤ちゃんは、堂々としてる。
良いも悪いも関係ない。ホメられたって、まだわからん。
信頼なんてない。実績なんて知りもしない。
でも、肯定感のパワーは、ものすごい。
不安定も含めて、安定してる。
たとえば身体についても、同じことが起きる。
「腰が悪い」という人は、腰を否定している。
痛みがなくなると「腰が良くなった」と言う。
腰本人の気持ちは?
そんな簡単にひるがえる評価を、どう受け止めたらいいのか。
大事にされてるとは、ちょっと思えない。
「あなたが悪い」とは、言われたくない。
「あなたは良い」と言われても、条件と重さがつきまとう。
こっちにも事情と理由があったり、
目的があったりするし、
どっちもなかったりもする。
それはそれ。
私は私。
わかったようなことを言われたくない。
でも、ちゃんとわかろうとされたら、うれしい。
素直になれる。
こりを手放せる。
肯定ってどうやら「確認」に近いんじゃないか。
赤ちゃんにも、世界を確認している様子は、ある。
意味がまだ持たない世界でも、
自分を確認されて喜んでるように見えたりもする。
その喜びにくらべたら、良し悪しなんて後づけ。
現実では、どうしても評価にさらされる。
でもだからこそ、現実に当たる手前で、内側で、
たしかに、みとめておく。
そういえば整体の本質は、確認だ。
滞りを整体師が確認する。
受け手の体が、脳が、それを「確認できる」ようになる。
あとは、本体の仕事。
褒めなくたって、本来の仕事をする。
堂々と、活き活きと。
そのプロセスのどこかでふと
「これはこれでいい」
という実感がわく。
それは、静かで、とてもヘルシーな肯定だと感じる。
自己肯定のあとさきに生まれる「力み」から、
体と心が自由になれますように。