先日、あるテレビ出演のお誘いを、断った。
久しぶりにがっつり悩んで……ようやく決めた。
「メリットはけっこう大きいし、デメリットはほぼ無い」
と思ったから、前回は受けた。
でも、今回よくよく考えたら……じゃないな……
よくよく感じ直したら、ほんとは違ってた。
じぶんの感情を無視してた。
実際は楽しくなくて、気持ちがすり減るような現場だった。
(面白さはすごくあったけども。どうも楽しい>面白いだな 自分は)
感覚も封じてた。
不快感や違和感が、撮影中も放送中もその後も、
おなかにはあった。
そういうサインを、スルーしてただけだった。
「メリットの大きさと比較したら、
自分の我慢なんて大したことはない」
そうやって自分を軽視していた。
これはもう、クセのようなものかも知れない。
でも、今回、何かが自分を止めた。
前回あのテレビに出たことを
たくさんの人が喜んでくれたり、
その前後に僕がやっているサービスが
売れたりしたのだけれど……なんか喜び切れない。
もちろん、自分にとって
大事な人が喜んでくれているということは嬉しい。
サービスが売れることはありがたい。
でもそれは、
僕自身の、僕の内側から来る嬉しさじゃない。
むしろ、ホンモノじゃない部分で影響してしまったような
申し訳なさと、むなしさと、気の重さが、残った。
そのことに、
2回目のオファーで悩んだあとで、
ようやく気がついた。
以前の自分なら、
きっと2つ返事でOKを出して、
積極的に日程調整などに動くのに、手が止まった。
抵抗があった。
「これ、なんかイヤだな」
……という気分が、
時間を置いてみても、消えない。
その気分をすぐに最優先はできなかったけど、
無視し切ってはいけない予感がした。
だから、心が納得しない限り動かないことにした。
そうやって時間と観察を何周か繰り返してようやくわかった。
あの仕事で「よい成果」は出た。
でも「いい仕事」ではなかった。
ぼく個人にとって、は。
そうか。
「よい成果」を出したい、とは思う。
でもそれよりずっと、
「いい仕事」をしたい、と、
ぼくは思っているらしい。
たしかに、
「よい成果」がでる「不本意な仕事」と
「成果は小さい」ながらも「いい仕事」とがあるなら、
ぼくは後者のほうがいい。
これはきっと、きれいごとという面もある。
でも「自分育て」ということ、
「いい仕事」が「次のいい仕事」を生むということ、
健康やモチベーションを長く温かく保つということを
考えたら、ぼくにとっての正解ははっきりしている。
きっとそのことが感覚的には
わかりかけていたから、あのお誘いに、
いつものようにはOKが出せなかったんだと思う。
本気でやれないなら、
本来の気は届かない。
だったら、認知だけ広がっても、意味が無い。
そういうことが、
少しずつ肉感をもって、理解できてきた。
「感情で大事な判断をするな」
とはよく言われるけれど、
「感情を無視して判断する」のも、きっと違う。
「感覚を無視して判断する」のはたぶん、もっと違う。
スルーしていいことと、
してはいけないことがある。
特に自分の内側には、きっとたくさんある。
それなのに “クセ” になってるものが多いんだな……
何がぼくを生かし、殺すか。
自分の本心や、そことつながった気分を
うっかり黙殺しないように、
むしろそのつながりを強くするように……
「いい仕事」をしていきたい。
そう改めて決め直すのに、とても貴重な機会でござった。