
「大したことしてないのに忙しい」という悩み方が、ある。
これ本当は「大したことしてない “から” 忙しい」んだと思う。
ぼくらの脳には
「スキマを嫌ってとにかく埋めようとする」
という性格があるらしい。
たしかに……わかる。
空き時間がたんまりあると『暇つぶし』をしてしまう。ダラダラ。
時間が限られてるほうが、意識がちゃんと働く。シャキシャキ。
条件を絞られると、フォーカスできる。
フォーカスできると、フォースが出る。
(氣が太く濃く、凝縮されるから)
きっと、
充実や満足があれば「テキトーな穴埋め」を
しなくなる、ということなんだろうね。
食事と似てる。
ジャンクなものほど満足感がうすいから食べ過ぎる。
そしてそういうものは「濃い味付け」をされている。
クセになる。
だからたくさんバカバカ食べちゃうけど、満たされない。
満腹にはなる。
でも満足とは違う。
満たされない満腹は、空しい。
その空しさのせいで余計に、穴を埋め切りたくなっちゃう。
でも埋まらない。
負のループ。
本音や本能で欲しいものとは違うもので穴を埋めると、
(空しさなどで)乾きは悪化する。
のどが渇いたときのカフェイン飲料みたいになる。
じゃあ、そういうんじゃない、
ちゃんと満たされるものって、何か。
大したことって、何か。
それこそ、
フォーカスできるもの、だと思う。
なかでもわかりやすいのは、
「わたし」にフォーカスされた体験・時間だと思う。
(ちなみに、社会的に大したことである必要は全くない)
たとえば――
感情や感覚への栄養は「わたしだけの体験」になりやすい。
うれしい・楽しい・心地いい……はもちろん、
悲しい・苦しい・不快、でさえも。
記憶にも残りやすい。
それに比べて思考への栄養は、情報が主だから、
どうしても「わたし以外」のノイズが、混ざりやすい。
役に立つ・すぐ使える・わかりやすい。
記憶にも残りにくい。
そんなわけで、最初に話を戻そう。
「大したことしてないのに忙しい」
と悩んでいるときって、
感情・感覚が置き去りになってることが多い。
つまり「わたし」が、ないがしろになってる。
そういう状況で健康状態がいいことって、ほとんどない。
心のめぐりが悪いから、氣も弱ってる。
少し飛躍するけど、結論。
「忙し過ぎて自分に構ってるヒマはない」
ってよく聞くんだけど、ほとんどの場合は誤解で、
認知のワナじゃないかなー。
本当は真逆で、
「忙し過ぎると思ってるときほど、自分に構うべきとき」
だと思う。
ぼくもついやっちゃう誤解だし、
簡単なことだとは思わないんだけどね。
でもスーパー大事なこと。
少しきつい言い方になるけど、
「テキトーな穴埋めによる忙しさ」ってやつも、
気づきにくい上に、よくあるものだからね。
でも、それはフェクだしノイズです。
空しい多忙を避けて、
せめてまず、楽しい多忙に移りたい。
フェイクやノイズを減らしたい。
「わたし」の濃度を増やしたい。
思考以上に、
感情や感覚に残るものを、増やそう。
たとえば……
5分でもいいから「色も香りも味わう散歩」をする。
3分でもいいから「体の感覚に耳を澄ませるストレッチ」をする。
1分でもいいから「体内の空気の流れを味わう呼吸法」をする。
こういう、
本能に訴えるようなじぶんのケアは、
感覚にも感情にも、すごくいい栄養になるよ。