人の魅力は『本性』だと思う。
その人の、素。
本音。
本音を「そのまま言う」かは別として、
根っこからつながっている行動や言葉は、
やっぱり面白い。
パンチ力が違う。
主婦の人の主婦ならではの話が面白いし、
引退後の人の引退後の生活の話も面白い。
芸人さんのように「面白い話」をしようとされるよりも
普通に「その人のリアルな話」をされるほうが、ずっと面白い。
その面白さをもっと濃くしたのが、
肩書きも役割も関係ない「そのひと個人の本性や本音」だと思う。
いつからなのか、
「本性」はまるで、普段隠している醜い心、
といった意味で使われるようになった。
ひどい誤解だと思う。
普段隠している醜い心は、逆に「表面のほう」だ。
だって、その醜い現れのすぐ下には、不安や恐れが必ずある。
「防御」のために後から身に重ねたものだ。
それが「一番奥にあるもの」なワケがない。
その奥に、本当に守るべき優しい部分がある。
野良ネコがわかりやすい。
あまりに傷つけられてきた子は、
一見醜いような攻撃性を見せる。
シャー!と威嚇したり、拒絶したり、独占しようとしたり。
でも、安心を得ると、変わる。
目つきも行動も変わる。
かわいらしさが出てくる。
その場合、どっちが本性か。
魅力のほうが本性だ。
人間も同じ。
傷ついてきた。
背負ってきた。
身を守るためのズルさも警戒も、
ヨロイのように身に重ねてきた。
でもそれは本性じゃない。
その「ディフェンス」をやめてもいい場や
「ディフェンス」をやめてもいい相手にふと出るのが、
本性だ。
もちろん、クセになっている。
でも、クセになっているだけだ。
「ついやってしまうディフェンス」のうちの
平均にしておよそ7割が、もう要らないものだったりする。
(多くのは、子どもの頃に身につけたものだしね)
野良ネコの警戒がほどけるように、
「安心」を得ると、ディフェンスがとける。
ぼくは正直、そういう瞬間をたくさん見た。
体が回復した患者さんたちは、明らかに魅力を増している。
モロモロの問題はあるにしても「体に安心感が戻る」からね。
見違えるとはあのこと。
表情が変わるだけで、魅力は数倍になる。
そりゃあ「人相」って大事だ、と痛感する。
ぼくはあの瞬間がとても好きだ。
だから、健康法をつくる。
整体法をつくる。
整心法もつくる。
その人の花がひらくような、あの瞬間を、増やしたい。
つまり健康法は、
「その人の本性=魅力」を表に出すもの。
その人にとってももう必要のない「ヨロイ」を
脱ぐためのものだ。
もしこれに共感できたら、
健康法のやる気が、少し高まるかも知れない。
まあ別に共感まではしなくても、
健康法の先には「そんな開花」もあると、
頭のすみにでも、知っておいてほしい。
たぶん、
「永井さんはつまり、性善説なんですね」
と思う人もいるだろう。
その気持ちはぼくにもよくわかるけど、
多分それは、
ご自身のディフェンスがまだとけてないからで、
ディフェンスがとけてない人に多く会いすぎたから、
なのだと思う。
だからこそ、
まずは自分だけでもいい。
セルフケアで「安心貯金」を、ためていこう。
今のぼくは
性悪説ではないだろうけど、
性善説なつもりもない。
性純説とでも呼びたいような気分で、
「動物たちがあんなにかわいいように、
人間も本来、かわいいものなはずだ。
要らん皮さえむいていけば」
と、思っています。
ではでは、今日もお大事に。
きっと「素が晴れ晴れと現れていること」を、
素晴らしいというんだ。