楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になる【氣】のコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人のヒント。

「承認欲求」が不幸の原因になるリスク ~幸せの3大条件を満たす方法~

承認欲求 不幸 原因 方法 幸せ リスク


「ばあちゃんにはわかる……お前は、
  ずっと寂しかっただけなんやろう?」

 

 

■「承認欲求」は誰にでもあるが、大きなリスクをはらむ


承認欲求で病んでしまう人が、増えてきています。

認められたいのはごく自然なことです。
でも強すぎるとリスクです。

「他人の評価が目に見えないと、自分の価値がわからない」
というレベルになると、カラダにも変調が出ます。
メンタルだけでなく、自律神経が疲れたり、頭痛があったり、
眠れなかったり……

どうして、そんなに危ないのか。
ほんとうは何を求めたらいいのか。

回復例をたくさん見てきたカウンセラーの立場から、
書いてみます。

■なぜ、SNSに疲れてしまう人が多いのか


これがまず、象徴的。
「SNS疲れ」といって「二度とやりたくない」ぐらいの人が
かなりの数、います。アメリカは特にひどいんだとか。

SNSは「脳内」の喜怒哀楽が、
ジェットコースターのように激しくなる傾向があります。
「いいね!」が多ければうれしいし、少なければ悲しい。
他人だけならまだしも、有名人とも比べてしまうし、
自分は「いいね!」に値しない人間なのかと落ち込んでしまう。

どれもガス抜きが不可能な「自分の脳の中だけ」で起きるので、
たまりにたまって暴発する危険が高まります。
もし、みんなで「やったー!」とか「ちっきしょー!」とか
言い合っていたなら、まだガス抜きされて、
はげしい感情の毒が中和さるんですけどね。
一人でいることが多いと、そういう「心の安全装置」がないわけです。

しかも、いつからか、
書きたいことを書いているわけでも、
読みたいことを読んでいるわけでもなくなってくる……
(これもパターン)

たまに「いいね!」がたくさんつくとうれしいけれど、
そうじゃないことも多くて、無視されているような孤独感を覚えることも。
そんな気分の浮き沈みの激しさに不安になって、疲れ、
やめたくなってしまう。

ぼくは仕事でしかSNSを使っていないので平気なのですが、
やめたくなる心理もわかる氣がします。
無理してるのが見える投稿も多いですしね……

「自分に合わない」って早めにわかって止められたなら、
そのほうが健康にはいいのかも知れません。

■「承認欲求」に乱されてしまう心、キャリア



今、例に出したSNSは、象徴的で、極端な例です。
でも、同じことは、現実世界にも、起きてしまう。
仲間うちや職場の「評判」を気にしない人なんていないからです。

ただ、
褒められることを「必須」としてしまうと、
「自分基準」を捨てることになります。
「他人基準」で生きることになる。

この感覚は、仕事では必要です。
お金をくれるのは「他人」なのだから、
「他人基準」にあわせて、サービスする。
それで代価として、給料をもらう。……ごく自然なことです。

ただ問題は、プライベートまで「他人基準」で暮らすようになると、
不自由きわまりない、ということ。
「自分自身のための時間」が、どこにもない。

そうすると「逃げ場」がどうしても必要になるから、

●SNSを急にばっさりやめる人
●「お一人様」で食事する人
●夜遅くまで自分の家に帰らないサラリーマン
●自分でない誰かを演じる遊びにハマる人
●自分をギリギリまで磨り減らしてでも成果を出し、
 「評価されるにふさわしい自分」を演じ続ける人
 (ずっとはキープできないけれど)
●今いる場所からとにかく離れ続ける人

などなどなどが、出てきてしまう。

「居場所」がないと、人はいくらでも
おかしな行動に出てしまいます。
「心が根無し草」みたいな状態だからね……

■どうして「動物たちの動画」に心の底から癒されるのか


ほとんどの人が心底「ホッ」として、癒される。

かわいいパンダが温泉に入ってダラダラしていたり、
ネコが愛くるしいイタズラをしていたり、
犬がご主人様を好き過ぎたり……(尻尾がマッハで回ってる)。

色んな理由があって心が安らぐわけですが、
明確な共通点は「承認不要」ということ。

承認を求めていない。
だから……
計算がない。
たくらみがない。
ウソがない。
自信とか自己肯定感とか、ぜんぜん必要としていない。
無条件。

動物たちは、そういう存在です。
「ぼくらが本当はそうありたいと願う姿」を見て、安心する。
そういう気持ちが、深いところにある。

そんな「安心状態」こそが、ぼくらに足りないもの。

パンダを見るのもいい。
でも、ほんとうは、
「ぼくらがパンダになれる時間」こそが、
必要なんです。

■欲求には満たしていくべきステップがある(承認欲求はもっと後)


3つの本能って、知ってますか?

ぼくが最近、もっとも正確だと感じているのが、

1食欲
2性欲
3集団欲

という説です。
「本能」なのだから、しっかり満たされると、
やはりとても強い幸福感を与えてくれます。

最近、1の食欲や2の性欲が弱い人も増えていますが、
実は、3の集団欲は、以前より強くなっている。

ここでポイントとなる「集団欲」というのは、
「集団の一部でありたい」という欲求です。
というのも、人間は単体では、マンモスとかイノシシに勝てないでしょう?
だから、集団でいないと危ないし、生き延びていけない。
そういう「危機と隣り合わせ」な本能です。

現代は、この「集団欲」を満たすのが、
ものすごく難しい。
会社とも家族とも恋人とも友人とも、つながりが
ゆるくなっているからです。

……ちなみになぜ、急にこんな話を始めたかというと、
「承認欲求」と「集団欲」を勘違いすると
すごいスピードで不幸になるからです。

要するに……

本能レベルでぼくたちは「寂しい」ことを嫌う。
それをつい、「承認」という強い評価で一気に満たそうとしてしまう。
それだと「承認されるような成果」がないときは、
やはりずっと寂しいことになってしまう。
むしろ「成果がない自分には価値がない」といった誤解に襲われ、
「寂しさが際立つ」怖れさえあります。

それはきっと、間違いなんです。
どう考えたって、心が不安定ですよね。

「寂しさ」をほんとうに埋めてくれるのは「承認」じゃない。
「安心」なんです。

■本当に幸せに役立つのは承認でなく、●●だけ


「承認」というのは「条件」つきです。
「安心」というのは「無条件」です。

これが大きく違う。

「条件つき」で一緒にいてくれる人が何人いたって、
寂しさって、消えなくないですか?

……たぶん、多くの人が同意だと思います。

だってそんな人、
「いつ去ってしまうかわからない」からね。
SNSの「いいね!」なんて、まさにそうです。
付いたり付かなかったりする。
当たり前のことなんだけどね。

だから「承認欲求」の延長上で、
安定した幸せを得るのは、ほんとうに難しい。
下手をすれば「自分は条件付きでしか愛されない」
という思い込みで、壊れてしまう恐れさえある。
大スターがよくなるやつですね。

さて、ここで、話を3大欲求に戻しますが……

生存を左右する強さの本能である「集団欲」は、
「承認」じゃなくて「安心」で満たされます。

条件なんか関係なく一緒にいるのが、
本能レベルの集団、
つまりファミリーだからです。

■偽物でない幸福感を得るための3つの方法


1)「承認欲求」よりもまずは「集団欲」を満たそうとすること。
2)「安心できる相手」をつくろうとすること
3)一緒にいる相手にまず安心を提供しようとすること


安心という土台が整っていれば、その上で、
「承認」という高いステージに挑戦できます。
なぜなら「骨をひろってくれる人がいるから」。

土台がないまま「承認」に向かって
無理してジャンプしてたから、
足場が崩れて骨折したりしてんです。
心ごと、ね。


安心できる相手。

……たぶん、それを突き詰めると、
「まずは家族」ってことになるんでしょうね。
大きく変わる人がけっこういる「先祖供養」も、
ひょっとしたら、家族 ≒ 安心という図式の延長上にあるんじゃないかな。

感謝の習慣も、おそらく、
「集団欲」をまっとうに満たすための
方向付けをしてくれるんです。
「くりかえし感謝したくなる相手」ってきっと、
「承認関係」よりも「安心関係」なはずだから。


……はい。
今回は、ちょっと大枠の話をしました。

でも、
「不幸になるどデカい落とし穴を避ける」ために
きっと使えるはずだと思った仮説でした。

ひょっとすると、
「なんでこんなに幸せじゃないんだろう」って
いつか思ったとき、原点に戻るきっかけにもなるかも知れません。


自分が本当に求めているものを勘違いするほど、
怖いことはないからね。

承認よりも、まずは安心ですよ。
あなたにも、あなたの大事な人にも。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
自己肯定感なんて「安心」の土でしか、伸びない。