楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

信長の「じいや」が切腹した本当の理由(仮説!)


「信長の「じいや」が切腹した本当の理由」

……うん。


「急に、何の話やねん!」

と、あなたは思ってるかも知れない。

でもね、安心して下さい。

ぼくだって、
あなたと同じぐらい、そう思ってる(笑)


ただ……思いついちゃったんです。

そして手前ミソながら、この新しい仮説って、
人を優しくする栄養を含んでると思うんです。

 



さて、織田信長。

ご存じの方も多いとは思いますが、
すごい簡単にいうと……
「天下統一の(ほぼ)先駆けとなった、戦国時代のすごい人」

ですね。

具体的に何がすごいって……

●お金を稼ぐのがうまい
 (鉄砲買うのも帝への献金も、すごいお金かかるからね!)
●頭が良くて発想がやわらかい
●軸がブレない
●美白で、身長高くて、超イケメンだった説も!
●有能な人を集めるのも使うのもうまい
●普通の人を強くするのもうまい(すごい武器:長い槍、鉄砲などで)
●後の天下人である秀吉や家康でさえ、
 信長に見いだされ、育てられた(鍛えられた)と言える
●それで戦争に強かった
●むっちゃくちゃ怖かったと言われる(魔王と呼ばれたことも)
●女性に優しかったとも言われる(妹、部下の奥さんへの手紙など)

などなど、数えだしたらキリがない。
ド天才です。


……しかし、
小さい頃は、評判がすこぶる悪かった。

服装も発言も行いもことごとく常識はずれで、
「うつけ者」と呼ばれてた。
(ひどいバカ……的な意味。裏の意味ではもっとひどい含みもアリ)
身内にさえ、そうやってバカにする者がいたほど。

だから信長のじいやは、
それを「いさめる(説教する)」ために切腹をした、
という有力な説があるんです。

昔ぼくが読んだ
『マンガ日本の歴史』でも、

「じい、なぜ、わかってくれなかったのかっ……!」

と、悲しみ混じりの怒りに震える信長が、
描かれていました。
(じいちゃん子のぼくは、当時、ボロボロになるほど泣かされました)


つまり、じいやは、
最後まで「信長の理解者になれなかった」とする説です。


でもぼく、
実はこれ、違うんじゃないかって……思ったんです。


どういうことか?



まず、大事な疑問としてね、
じいやってそもそも、有能な人なんです。


元は、信長の父ちゃんの重臣でした。
文化人としての評判もよく、朝廷にお金を贈呈するときの
交渉役なんかも請け負ってました。
(当時の武士で、朝廷相手の仕事ができる人は貴重だった)

そして全幅の信頼があったからこそ、
長男である信長の「じいや」(教育係)に任命されます。


その後も、
当時の大敵だった美濃の斎藤道三との和睦を成立させたり、
それを確実なものにするために、
道三の娘である濃姫との婚約をとりまとめたりなど……

当時はかなり弱かった信長陣営を守るために、
すごく重要な任務にあたってきました。

そう、この頃の信長は、超弱かったんです。

なのに、まわりは強敵だらけ。
一瞬でも油断すれば、ボッコボコにされる。

だから、どうしたか?


「あんなやつ、ボコボコにする価値もねぇわ」


と、周りに思わせたんです。

つまりは、
バカで弱いフリをして、敵を油断される。
そうやって時間を稼ぎつつ、
影で力を蓄えるしか、なかった……

そして、あの頃は、
敵のスパイなんてそこいら中にいたわけです。
だから、自分とこ……つまり織田家の仲間たちにさえ、
「実は信長って、すごいんじゃないか」
って、バレちゃいけなかった。
すぐ告げ口されるし、そしたらボッコボコにされるから。


しかし、
準備なんかしっかり整う前に、織田家に事件が起きます。

信長の父ちゃんである「信秀」が、
42歳の若さで病死してしまうんです。
(まわりの強敵にやられすぎて、ストレスがひどかったと言われる)


鬼ピンチ!


織田家の家中でさえ、
「信長の弟のほうを支持する一派」がいて、
めっちゃヤバい状況です。

ただ、逆にいうと、
ついに信長が本領を発揮するときが来たわけです。

これまで温めてきたプランを実行にうつし、
国をまとめ、強化し、
まわりの強国とわたりあっていく。

その、飛躍のとき……


じいやは、切腹します。


「なんでよりによって、そんな大事なときに!」
とも言われるんですけどね。


ぼくが考えたのは、

「そんな大事なときだからこそ、
 信長の作戦の仕上げをするために、命をつかった」

という、じいやの意図なんです。


実際、信長は家督争いを見事におさめて、
敵側の派閥にいた強いやつらもきちんと「屈服」させます。
(柴田勝家など、後々まで活躍する猛将たちですね)

つまりこのタイミングって、
チャンスであると同時に、信長の有能ぶりが
まわりにバレちゃうピンチでもあったんです。

だからこそ、
じいやの死に重みが出てくる。

じいやが、信長の奇行をなげいて
自ら腹を切ることによって……

「信長なんて、家督争いはなんとかまとめたものの、
 もり役のじいやを切腹させるほどのバカ者らしぞ!」


と、周りに思わせたわけです。

この功績は、かなり大きかったんじゃないか。


実際その後、
信長が「絶対に勝てない」と言われた大強敵、
今川義元を倒してしまいます。(おけはざまの戦い)

信長軍5,000に対し、今川軍25,000。

フツーーーーに考えて、
「味方1人が敵5人に常に囲まれる」
という状況なわけです。

そんなもん「手も足も出ず、ボッコボコにされる」よね(笑)


でも、勝っちゃった。
歴史に残る大逆転勝利です。

そして、この勝利を実現できたのも、
今川義元が信長を「めっちゃ低く見てた」から……
というのが大きいんです。

護衛が少ない状態だったし、警戒が弱かったし、
進軍を急がなかったし、酒盛りしちゃったし……

そこを、
雨に足音を隠した信長軍が、
一点突破でスーパー突撃をかましたわけです。


信長に有利をもたらした天候も含めて、
いくつもの「追い風」が吹いているのは、たしかです。

ただもし、
今川義元が信長を「実はすごいやつ」とわかっていたら、
まったく違った結果になっていたでしょう。


つまりは、情報戦です。

戦がはじまる前の騙し合いで、
すでに信長は、勝利していた。

そして、
信長が幼少期から着々と仕込んできた「命綱」ともいえる
この情報戦の……
いわば「仕上げ」をしたのは、誰だったか。


「じいや」
だったんじゃないかなぁ……


彼が切腹したのは62歳のとき。
「人間50年」とうたわれたこの当時でいえば、
かなり長寿の部類です。

もう戦で活躍できる年齢じゃない。
信長が立派に活躍していけることを、
ほんとうは、わかってる。

だから、
最後の命の遣い方を、じいやは考えたんじゃないか。


そう思えば、
じいやの見方が、まったく逆になってくる。


彼は、信長の遠大な策謀を理解できなかった真面目者。
それは、ただの表向きの姿だった。

本当は、信長の真意を、その大器を、
誰よりも信じていた理解者だった。


ぼくには、そう思えたんです。


ちなみに、
晩年のじいやは信長との不和ばかりが続いたとされていますが、
信長はじいやの死後、彼を弔うためにお寺を建てています。

そのお寺は、
じいや(平手政秀)の名前をとって「正秀寺」といいます。


じいやが亡くなったとき、
あの信長が「号泣した」というのは、有名なエピソードです。

しかし、その涙の意味は、
無念や反省、後悔ばかりではなかったはず。

最大の支援者であり理解者である同志への、
畏敬や感謝の念が、胸を締め上げていたんじゃなかろうか。



そんなことを思いつき、
「そのほうが2人の人物像に合う!」と興奮し、
急に筆をとった梅雨の夜でしたとさ……



ではでは、今日もお大事に。
本当の理由なんてわからないことのほうが多いのだから、
いくつもの理由を思える人間でいたいなぁ。