ええ、もうすっかり
「ネタバレ」してるんですけどね(笑)
「理想像を追う」のって、理想的じゃない。
最近、つくづく、そう思うんです。
なぜか。
身の回りにいる〝理想を追いすぎる人〟が、
どんどんメンタル不調になっていくからです。
たとえば、ある経営者。
●会社の規模が、こんなものじゃ許せない。
●従業員が、望むようなスピードで動いてくれない。
●売上の伸びがにぶい。
●自分はなんて情けないんだ……
そうやって、引き算ばかりをしてる。
で、何が怖いって、その不満のオーラは、
必ず従業員に伝わるんです。
「なんでそんなレベルで満足できるんだ!」なんて、
口にしちゃったりも、するしね。
それじゃあ、望むスピードは出ない。売上は伸びない。
ますます情けない。引き算ばかりが進む。
そういう「負のゲーム・サイクル」に入るんです。
そんな人、いるでしょう?
でもね、これ、
不調に悩むごくごく普通の人も、よくはまるワナなんです。
……こう聞くとね、
「理想を追うなんて、そんな贅沢なこと、しませんよ!」
って、感じるんじゃないかな。
ただね、考えてみてほしいんです。
●健康法が、いまいち効かない → 誰と比べて?
●ちょっと良くなっても、すぐ戻る → いつと比べて?
●とにかく体が硬いんです…… → 誰と比べて?
●老化が早くて、早くて…… → 誰と比べて?
こういうことね。
こういう不満って、
必ず「比較対象」があるんです。
そしてその「比べる相手」って、
自分の若い頃だったり、
同年代の元気な人だったり、
憧れるような有名人だったり、
下手をするとSNSで見かける誰かだったり……する。
その比較対象が、
過去のものや目立つ存在、
飾られた状態だったりしているならば、
「現実」というよりは「理想」に近いものなんです。
そしてやはり、
その理想(期待といってもいい)と違う自分をみて
〝引き算〟をしてしまう。不満がたまる。
怖いことに、
その不満は、必ずあなたの潜在意識に伝わるんです。
「○○に比べて、私はなんてダメなんだ」
という思いを、
せっせせっせと育ててしまう。
そんな自己否定の日々が、
体や心に良いわけ、ないよね。
そんな風に、
「理想を追う」という
いかにも良いことっぽい行いによって、実は、
自分を縛り付けて弱らせてしまっている……
としたら、もったいないでしょう?
でも実際、めっちゃ多いケースなんです。
だから……
あえて、言わせてね。
あなたの元気を奪う理想なんて、理想じゃないよ。
むしろ重りです。
「それ」を追っちゃいけない。
少なくとも、
今のあなたには「合わない」ものなんです。
じゃあ、
理想を追うのをやめて、何を目印にしたらいいのか?
「自然」です。
彼方にある「あなたの理想」を追うのではなく、
手元にある「あなたの自然」を見つめる。
つまり……
●「どうなりたいか」より「何が似合うか」
●「なぜああじゃないか」より「なぜ今こうなのか」
●「すごくなる」より「快適になる」
●「何が足りないか」より「何にムリをしてるか」
●「何を身につけたいか」より「何なら元から持ってるか」
そういう目で、自分のことを考える。
理不尽な引き算をやめて、
今のリアルから出発して足し算に向かう。
「外にある情報」を追うのでなく、
「内にいる自分」に詳しくなる……という選択です。
健全だし、見返りは多いし……
理想なんかを追うよりも、
ずっとずっと「理想的」なんじゃないかなぁ。
そして、
まるで矛盾するようだけどね、
理想なんかを追いすぎないほうが、
自分という人間はブレないんです。
そうそう、
スーパーフライも歌ってました。
「世界で一つの 輝く光になれ (中略)」
私になれ
私を叶えて 生きていくのさ」
ってね。
ではでは、今日もお大事に。
人生を見る眼で考えると、
遠視よりは近視のほうがマシなのかもね。
(遠視3:近視7ぐらいが「理想」かなぁ)