ぼくは整体師です。
他の生き方を、いまから選び直すことは、少し難しい。
でも「どんな整体師でいるか」は、いくらでも変えられる。
だからぼくは9年前に、
「くりかえし揉むだけの整体師」を辞めた。
「自分で治る体にしてくれる整体師」になろうと思った。
じぶんが昔、ずっと願っていた存在だった。
ブログを書き、動画を撮り、本を出した。
氣が付いたら、予約が3ヶ月埋まる整体院になっていた。
「何がやれるか」は限られている。
でも「どうやるか」は、無限だ。
前者は「what」。後者は「how」。
「what」に自由を求めると、とたんに不自由になる。
「how」に自由を求めると、手元にある自由が見えてくる。
「何になりたいか」は、そう大事じゃない。
「どんなそれになりたいか」を大切に考えたい。
「整体師なんかで、食っていけないよ」と、昔、あいつが言った。
でもそんなのは、ウソだった。
「どんな整体師になるか」の問題だった。
実際、売れない整体師も、売れる整体師もいるんだから。
「包丁なんか危ないよ」と言うのがおかしいのと、似ている。
包丁を「どう使うか」による。
人を傷つけることにも使えるけれど、
普通のスーパーにあるもので、人の幸せをつくることにも使える。
どんな仕事だって、同じ。
「自分」という素材にしたって、変わらない。
特別な「何か」になろうとするのを、やめてみる。
今選べる「何か」のまま、
「自分なりのやり方」を工夫していく。
やがてそれが「特別な色」を帯び始める。
特別になる。
自由がやってくる。
そういう順番で、自由はやってくる。
悩みが深いときには、思い出したい。
ぼくは今、正しく悩んでいるか?
思考のスポットライトを当てる場所を、間違えていないか?
変えようのない「what」ばかりを見ていないか。
いくらでも変わりうる「how」に注目できているか。
どんな整体師になりたいか?
どんな整体をやりたいか。
今また、自分に聞いてみる。
「健康寿命が伸びるサポート」をしたい。
じいちゃんたちも、
ばあちゃんたちも、
不安や不自由がなく、長く幸せに生きられたらいい。
それを見た、
おじさんたちや、
おばさんたちが、老後を楽しみにできたらいい。
それを見た、
男の子たちや、
女の子たちが、将来を楽しみにできたらいい。
自分の足で歩ける。
自分の手で食える。
自分の頭で応えられる。
身も心も。
そういうアシストを、していきたいと思っています。
整体師以外を選ぶことは、年々むずかしくなっていく。
でも、整体師としての自由は、じわじわ大きくなっていく。
今から鳥にはなれないけれど。
向井理にもなれないけれど。
この「ぼく」としての自由を、大きくしていきたい。
自分で会社を立ち上げて7年が経ちました。
おかげさまで、のびのびやってます。
この調子で、のびのびした爺さんになりたいと願います。
引き続き、よろしくしてやってください。
とうぶん、続く。