すべての「怒り」はダミーです。 正体がわからないまま戦ったら、負ける。
でも、正体がわかれば、勝てる。
ず~っと「ウワンッ!ウワンッ!」って、
吠えている犬がいた。
「アアアアーーーン!」って、泣き叫ぶ子どもがいた。
吠えてる犬は、攻撃的に見える。
でも、怒ってるわけじゃない。
本当は、怖がっている。
泣き叫ぶ子どもも、一見、何かを責めている。
でも、やっぱり、怒りが本質ではない。
本当は、寂しいだけだったりする。
感情には「正体」がある。
表現はその名の通り「表」への「現れ」でしかない。
吠えている犬の「怒り」をおさえようとするのは、
「表面」への対処。有効じゃない。
怖がっているのだから、安心させてやることが有効で、
それができてこそ、静かになる。
泣き叫ぶ子どもも同じ。
必要なのは「怒り」への対処ではなく、
「寂しさ」へのケアだ。
「怒り」は大抵、ニセモノだ。
そう考えたほうが、ずっといい。
だって「怒り」への直接の対処が有効なことって、
あんまりないんだもん。
そうじゃなくて、
「怒り」には必ず「正体」があるんだから、
そっちを見るクセをもちたい。
怖さに抗うための怒りなのか。
寂しさへの理解を求める怒りなのか。
悲しみに耐えるための怒りなのか。
恥ずかしいのを隠すための怒りなのか。
その正体さえわかれば、
感情の扱いは随分と簡単になる。
「他人の怒り」が相手のときはもちろんだけど、
「自分の怒り」が相手のときも、同じ。
いやむしろ、
「自分の怒り」のほうが、大切。
外から見るより、わかりにくいから。
自分のストレスや怒りへの対処を間違うほど、
「不幸への近道」って、なかなかない。
だから、
嫌な気分のときこそ、自分に聞きたい。
「このイライラの正体は、何だろう?」
正体さえちゃんと掴むことができたら、
解決法を間違えることが、激減する。
八つ当たりしちゃうことも、
誰かに嫌われることも、
自分に嫌われることも、
ときにはいたずらに食べ過ぎることも、
グンと減る。
「正体探し」をクセにしよう。
上手にできたら幸いだし、
そうじゃなくても、
「正体は何だ?」って考えている数秒の間に、
気持ちが落ち着くメリットも、大きい。
毛羽だった感情から、「距離」が置けるからね。
ではでは、くれぐれも、お大事に。
正体を知るのは、「心の願い」を叶えること。