- ■「褒める=いいこと」は本当か?
- ■ 褒めることのリスクと、承認欲求
- ■「褒められたい」し「叱られたくない」新人たち
- ■ 違和感を覚えた「ミスチル大好き芸人」
- ■ 料理で考えると、わかりやすいはず
- ■ 能力が高いのは、褒められたい人より、喜ばれたい人
- ■ 頭も心もよく育つ、褒め方を超える方法とは?
■「褒める=いいこと」は本当か?
「人間関係のコツは、褒めること」
「叱る子育てより、褒める子育てがいい」
「自己肯定感を育てよう」
そんな本が、たくさん売れました。
そして今も引き続き、大人気です。
それで本当にいい子が育つのか?
いい人間関係がつくれるのか?
安定した自分をつくっていけるのか?
ぼくは、かなり怪しいと思っているんです。
■ 褒めることのリスクと、承認欲求
褒めることには、リスクがあります。
そのリスクは、たとえば、
●褒めるポイントや言い方を間違うと、かえって失礼になる
●褒めるという行為自体が、本来「上から目線」である
●相手との人間関係が対等ではなくなり、ゆがみやすい
●相手を「褒められないと動かない人」にしてしまう
……といったことです。
なかでも、ぼくが特に重要だと思うのは、4つ目です。
「褒められて伸びるタイプなんです」
とギャグとして言うのが少し前に流行りましたが、
これが、冗談にならなくなってきました。
承認欲求が、平均的に強くなっているからです。
親も先生も、叱ることをほとんどしなくなりました。
それどころか、「叱ることができない」という悩みさえ、
よく聞きます。
近所の人が叱ってくれることもほとんどない時代ですし、
部活で先輩にどやされる風土なんて滅亡しかけている。
本当は教育効果があった「なまはげ」さえ、
お断りする親が増えているといいます。
……なんてことでしょう。
■「褒められたい」し「叱られたくない」新人たち
「よしよし」しかされてこなかった子どもは、
痛みも厳しさも知らず、心が弱いまま育って、社会に出ます。
彼らの承認欲求は、拒絶されることがないどころか、
適度にほぐされることもなく、
ぶくぶくに太ってしまっている。
すると、どうなってしまうか。
●自覚も悪気もなく、ものすごくワガママな新人
●とにかく事なかれ主義で、大人しい新人
……の、できあがりです。
どちらも、仕事ができる人にはなりにくい。
さらに、
上司から見ても「育てにくい」「一緒に仕事がしにくい」。
とはいえ、空気を読むことには敏感だったりするので、
居心地の悪さは「強めに」感じます。
そしたら……会社、辞めたくなりますよね。
そう、結局、本人たちが不幸になるリスクが高いんです。
褒めることも叱ることも、どちらかに偏ると、
他人の評価を重視させる「条件付け」になります。
要はこれが危ない。
その条件づけは、その人本来の力をゆがめます。
ひどいときは、個性を殺してしまう。
このリスクは、相手が子どもだと特に顕著ですが、
大人だとしても、同じことです。
他人の評価で自分の価値を判断するクセは、
やがて本人を縛る鎖にもなるのです。
じゃあ、
褒めまくるでも、叱りまくるでもなく、
どうするのがベターなのでしょうか?
■ 違和感を覚えた「ミスチル大好き芸人」
そのヒントは、
「アメトーーク」の「ミスチル大好き芸人」にありました。
タイトルの通り、ミスチルが大好きな芸人たちが集まり、
ミスチルについての「あるある話」や、
彼らだけが知る「隠れた魅力」について語っていきます。
その中で、ぼくも大好きな曲が、取り上げられました。
「彩り」という曲です。
歌詞がとにかく素晴らしい。
目の前の仕事を一生懸命やりたくなるような、
やさしい歌です。
実は、その歌詞には暗号のように、隠された要素があったんです。
詳細は省きますが、
歌を繰り返し聴くだけでは気づけないような部分でした。
「すげえ……よくそんなことまで気がついたな……」
って、ぼくも驚きました。
でも、その後で、ちょっと想像してみたんです。
「ミスチルの桜井さん本人は、これ、うれしいのかな?」
って……。
もちろん、
そんな細やかな配慮にまで気づいてくれる熱心さには、
ありがたい気持ちになるでしょう。
でも、おそらくなんですけど、
「桜井さんの歌詞がいかに素晴らしいか」というふうに
評価され、褒められることは、
最上の喜びではないんじゃないか。
それよりも、たとえば、
「『彩り』を聴いて、仕事、頑張れてます。
自分の日々の作業の先に、色んな人がつながっていることが
改めて想像できて、やりがいを感じられるようになりました。
辞めようかどうかって迷ってたけど、今の仕事、
もう少し続けることにしました。
本気でやるようになったら、前より、面白さも出て来ました。
桜井さん、ありがとうございます!」
って言われたら、どうでしょう?
こっちのほうが、うれしいんじゃないかな。
■ 料理で考えると、わかりやすいはず
たとえば、あなたがカレーをつくったとしましょう。
腕を振るった分、すごくおいしいものができました。
それを食べてくれた友達が、それぞれの
コメントを言います。
Aさん:
「いやー、すごいね。ターメリックが利いてるわぁ。
にんにくの風味もいいし、多分だけど、
ウスターソースも入ってるでしょ?
よくできてるなぁ……料理上手ですね」
Bさん:
「うわっ! うま!! くわしいことなんて
ぼくには全然わかんないけど、めちゃくちゃうまい!
何これ……うんまぁ~……はふはふ……
(しばらく無言で食べる)
うまいなぁ……いくらでも食えるわ。
ごめん、お代わりある? あと、お持ち帰りできる?(笑)」
って、なったら、どっちがうれしいですか?
ぼくは、圧倒的にBさんのほうだと思うんです。
こっちのほうがうれしいし、
Bさんのことを好きになってしまう。
Aさんは詳しいし、よくわかってくれたとは思うけど、
心がつながる感じはしません。
「条件ありき」で評価されただけだから。
次回もよほど手の込んだものを出さないと、
喜んでくれない感じがします。
この二人の、決定的な違いは、何でしょうか?
実は、シンプルです。
Aさんは「褒めている」
Bさんは「喜んでいる」
この2つは、似ているようで、
まったく違います。
どっちが人を幸せにし、育てるか。
それは「喜び」のほうなんです。
■ 能力が高いのは、褒められたい人より、喜ばれたい人
ここで、仕事のシーンに戻って、
もう一度考えてみて下さい。
「褒められたい人」と
「喜ばれたい人」は、似ているようで、大きく違います。
褒められたい人は、
しばしば、そもそも目的を見失って、脱線します。
顔色を見ることで忙しいからです。
そして何よりも、意識は「自分のため」なのです。
褒められたいのがメインだからね。
そうすると、叱られることを極度に恐れ、
チャレンジしなかったり、最悪、ミスを隠したりします。
喜ばれたい人は、相手の目的にこだわります。
それを叶えることこそが、一番喜ばれるからです。
そして、意識は「相手のため」になります。
叱られる必要、チャンレンジの必要、ミスをいち早く伝える必要を
理解しています。なぜなら、相手が大事だからです。
こうやって比較すると、もう明確ですよね。
心が健全なのも、
成長が早いのも、
人から好かれるのも、
仕事で活躍するのも、
「褒められたい人」ではありません。
「喜ばれたい人」のほうです。
■ 頭も心もよく育つ、褒め方を超える方法とは?
喜びを伝えることです。
「あなたはすごいね」と褒めるより、
「あなたのおかげで、私はうれしい」と喜ぶことです。
結論はすごくシンプルですね。
でも、↑の事例を考えると、
納得できるんじゃないでしょうか。
さらに、すごくすごく大切なことですが、
「褒める」ことのほうが、
ウソが入りやすいのです。
その分、技術も必要です。
だからでしょうね。
褒められるのが好きじゃない人が、一定数、います。
うちの奥さんもそうですが、
だいたい3人に1人は、褒められるのが苦手です。
そう口に出して言う人も、けっこういますよね。
でも、
「喜ばれるのが苦手」って、聞いたこと、ないでしょ?(笑)
自然な気持ちの現れなので、褒めるよりよほどシンプルです。
技術じゃありません、気持ちをちゃんと言うだけ。
そっちのほうが結果もいいんだったら、
お得な話ですよね。
最後に、ひとつだけ。
今回のお話は、
他人に対するスタンスとしても重要ですが、
それ以上に、あなた自身に対するスタンスとして、
重要なことなんです。
あなたは普段、あなた自身に、
「褒められるようなこと」をさせていますか?
それとも、
「喜ばれるようなこと」をさせてあげていますか?
もちろん、全部を思い通りには、できません。
でも、このバランスを、大切に意識しましょう。
健全な幸福感は、
こういうところから育っていくんじゃないでしょうか。
ではでは、くれぐれも、お大事に。
この記事を書くの、めちゃくちゃ難しかった……(笑)