楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

可能性を殺す人、活かす人

可能性 活かす 殺す 違い 方法


可能性を殺す人と、活かす人がいる。

誰でも、たった1つの意識で、
どっち側にもなります。

 
改めてこのことを実感したのは、
クラリセージのおかげなんです。

ぼくはアロマオイルのクラリセージが嫌いでした。
いや……嫌いだと「思って」いたんです。

でも、ついこの前、アロマショップで
片っ端からすべての香りを嗅ぎまくる、という遊びをしたとき、
「なんだこれ、めっちゃいい香り!」と思ったものを
パッと見ると……クラリセージでした。

「あれ?
 クラリセージって、こんなにいい匂いだったのけ!」

驚きました。

ぼくは間違っていたんです。
クラリセージが嫌いだったんじゃなくて、
ある特定のメーカーのものが好みに合わなかっただけ……だった。

つまりぼくは、およそ10年ほども、
本当は大好きなはずのクラリセージを愛でるチャンスを
無駄にしてきたわけです。
それどころか「匂いがきつくて嫌いだ」なんてうそぶいて、
大切な可能性を殺してしまっていたのです。

ただ、何とかして見方を変えるなら、
その「可能性殺し」が、一生つづかなくて良かった。

アロマショップでやった、
「片っ端からすべての香りを嗅ぎまくる」
という小学生のような遊びが、ぼくを救ってくれたわけです。


こんなふうに、すごくもったいないことが、
日常、よくあるんでしょうね。

フォーはまずいと思い込んだり、
自分には鍼は合わないと思い込んだり、
自分はしゃべるのが苦手だと思い込んだり、
自分はしゃべるのが得意だと思い込んだり、
この症状は治らないと思い込んだり、
誰かを嫌いだと思い込んだり、
誰かを好きだと思い込んだり、
自分を嫌いだと思い込んだり、
自分を好きだと思い込んだり……

……そして、それが勘違いだと気づいたり。


「気づき」とか「アハ体験」と呼ばれるものの中でも
とびきり大切なのは、
こういった「思い込みの解除」なんじゃないか。

プラスにズレていたものも、
マイナスにズレていたものも、
「ゼロ」に戻すことができれば、
可能性が復活するからね。

それだけで、ずいぶんと頭も心も、自由になれる。
「ゼロ」にさえなれば、上下左右、どこにでも行けるからね。


ぼくは今回、アロマオイルの1つぐらいで済んだけど、
たとえば身近な誰かを嫌いだと勘違いしたまま
生きてたりしたら、
「もったいなさ」は、比べものになりません。

まして、
自分自身についての苦手意識が誤解だったり、
得意だと思ってたものがただのナルシストな勘違いだったりしたら、
恥ずかしいやら、不甲斐ないやら、口惜しいやらで……
穴があったら住み込みたい。

不自由です。

そう、きっとあらゆる「思い込み」や、
その元になる「決めつけ」は、
ぼくらを不自由にするんです。

何かを1つ決めつけるごとに、
ぼくらは自分自身の心を1か所、縛っているのでしょう。


たとえば、
「あいつが嫌いだ」という認識と、
「あいつの今日の態度は嫌いだった」という認識では、
似ているようで、全然、違っています。

何より、どっちのほうが、正確か。

きっと、後者なんです。

好きな部位、嫌いな部位、
牛肉だって、あるじゃないですか?
(たとえが荒くなってきた(笑))

カルビ、ロース、ハラミ、ハツ、マルチョウ……
好きな部位、嫌いな部位、同じ牛が相手でも、分かれます。

そして、基本はカルビが好きだとしても、
「今日は脂っこいものじゃないな……そうだな、タン塩で!」
ってことだって、あります。

だから、
可能な限り「決めつけをはずしていく努力」ができると、
窮屈さから解放されるんです。


だって、嫌いな人が増えたら行きにくいし、
勘違いの数が多ければ「人生の判断」だって
間違いまくるわけですしね。


決めつけが少ない人はおそらく、
ぼくがよくいう「キョトン」とした素直な人で、
悟りに近いところにあるんでしょう。

そうあるためのコツは、

● 自分も含めて人は、思い込みだらけである
● 本当の価値は簡単にはわからない
● ものごとの価値は数年単位で変わったりする
● だからこそ「思い込みの発見と解除」は、
  大切で楽しくてハッピーな、一生ものの仕事である

って思っておくこと。
これは、ひょっとしたら自由な生き方をするための
パスポートかも知れません。

そして、そのパスポートをいつの間にか
無くしてしまわないために使える自分への質問を、
メモしておきます。

● それって正確?
● 例外って、なかった?
● 何回試して、そう思ったんだっけ?
● 本人に確認した?
● 他の詳しい人にも確認した?
● 今でも、そうなのかな?
● 違った感じで、もう一回試す価値、ない?

これらが、可能性を蘇らせる魔法の質問になることが、
きっとあるはず。


ぼくは、可能性を殺すことは重罪だと思ってるんです。
他人のはもちろん、自分の可能性もね。


あ、そうそう、↑の質問はもちろん、
「治すのを諦めていた症状」にも、
そのまんま、使えます。

「目指すのを諦めてた目標」にも、
「仲直りを諦めてたあんちくしょう」にも。
何にだって、使えます。


もちろん、
「今さら、どうなるものでもないし……」
って考え方もあります。

でも逆に、
「時間が立ったからこそ、冷静で、やり直しが利く」
という実例だって、数限りなく、ある。


可能性を、殺して生きるのか、
活かしながら生きるのか。


後者でいたいですね。
後者のほうが、ずっと健康だしね。

「絶対に諦めない」とかっていうよりは、
「見捨てることはしない」という感じね。
……人を、自分を、ものごとを、この世を。


だって、今、こうやって書いている間も、
クラリセージ、本当にいい香りなんですもん。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
お家にいたいときこそ、窓を開けよう。