楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

「呪いの世界」の外にいよう

「呪いの世界」の外にいよう



「ネットいじめでは、いじめた側もトラウマになる」
最新の調査で、わかったことです。

しかも、被害者の35%、加害者の29.2%にストレス障害が
出ていたとのことで、両者、かなり近い確率です。

ぼくはこれ……「【呪い】と同じだな」って、思いました。
 

 


言葉は【祝福】にもなれば、【呪い】にもなります。
祝福した人は、祝福を返してもらえる。
呪った人は、呪いを返される。

「人を呪わば穴二つ」のことわざ通りですが、
これはどうやら、現代でも通用する「法則」なんですね。

しかも「やがて返ってくるもの」では、ない。
(もちろん、長期的なマイナスもあるけど)

ここがすごく大事。
実は「言葉を発したその場」で、
もう報いを受けます。
良くも悪くもね。

なぜか?


「自分の中にいる純粋な自分」(潜在意識)が
聞いているから。

これは心理学、脳科学、氣の原理、どれで考えても、
一致する「言葉の仕組み」です。


ぼくらが誰かを労るなら、
その労りは同時に、自分にも響いている。
ぼくらが誰かを貶めるなら、
その貶めは同時に、自分をも蝕んでいる。


たとえば……

「おめでとう!」って誰かに伝えたとき、
自分まですごく嬉しかったことが、あるはず。

「大嫌い!」という言葉を誰かに投げつけたとき、
自分の胸のどこかがジュッと焼けるような痛みを感じたことが、
あるかもしれない。


だから、強く思います。

「呪いの世界」の外にいよう。
ぼくも、あなたも。


ぼくらはどうやら、
「自分という人間のサンプル」を通して、
世界を見ています。

だから、
●自分が他人を攻撃する
●ということは、人というのは、他人を攻撃するんだな
●ということは、他人に対して、油断してはいけない
●ということは、世界は「油断してはいけない危ない場所だ」
……と、思ってしまう。

逆も同じね。
●自分が他人を労る
●ということは、人というのは、他人を労るんだな
●ということは、他人という存在は、お互いに大切だ
●ということは、世界は「助け合うことができる場所だ」
……と、思える。


だって「一番よく見る人間のサンプル」って、
自分自身だもんね。


だから自分の言葉は、
祝福にも、呪いにも、なる。
周りの人にとってだけでなく、
むしろそれ以上に、
自分自身にとって、祝福にも、呪いにも、なる。


とはいえ、
常に完璧でいる必要は、ありません。

【きれいな言葉教】みたいになって、
「言葉狩り」のように、ネガティブな響きを持つ言葉を
禁止していくほどのこだわりは、不要です。
(そっちはそっちで、行きすぎて不健全だしね)

なぜならぼくらは、
「完全にできる人」よりも、
「完全を目指しながらもポンコツなところがある人」
のほうを愛しく思うから。

また潜在意識は、
「文字」よりも「意図」を重視するから。
(例)愛情がこもった「もうバカ!」は、
  ポジティブに受け取ります(祝福側)


まとめましょう。

今回の調査結果が教えてくれることは、
「呪い側の言葉」を使うことで
「自分への信頼を自分で殺すな」だと思います。


「どうせ、人間なんか……」という不信にまみれるより、
「きっと、人間にだって……」という信念を保てるほうが、
ずっと豊かな可能性とともに、生きられる。

きっとこの考え方は、
選択に迷ったとき、頼りになると思うんです。
「どっちを選んだ自分のほうが、あとで信頼に値する?」
つってね。

かといって、
「すごい人のフリ」なんて、しなくていい。
正直でいい。人間臭くていい。
たまには愚痴をこぼしたり、情けなかったりしてもいい。
そういうのは「祝福」できる範囲のことだからね。

ただ1つ……「卑怯・卑劣」であることだけを、
避けたらいいんだと思うんです。


インターネットやSNS、LINE自体が悪いもの、とは思いません。
ただ「卑怯・卑劣」なことが、
やりやすい環境にはなってしまった。

「匿名性」なんて、
お悩み掲示版とか、限られた場所にしか、
必要ないと思うんですけどね、個人的には。



そして、もう1つだけ、言えること。

誹謗中傷や、陰口を始めとして、
攻撃的な人や「卑怯・卑劣」なことをする人は、
ほぼ確実に「かなり病んでいる」はず。

今回の調査結果が、その証拠です。
他人を攻撃するたびに、
自分自身にも、トラウマをためてきてるわけだからね。

病んでる人だから、他人を攻撃する。
他人を攻撃するから、ますます病んでしまう。

だから、
たとえば、ひどい攻撃をされた場合、
加害者は多くの場合「そういう人」です。

もちろん、だからと言って、
加害者の罪は消えません。

大切なことは、
スジの通らない攻撃に出くわしたときに、
言われた側が「真に受けない」ことだと思います。

(ごめんね、
 どうしても過激な表現になっちゃうけど……)

「うん、まあ、
 心が病んでる人の言うことだからな」


って思って、言葉の毒をこちらで中和するの、
有効だと思うんです。
(まっとうな指摘に対しては、別ですよ、くれぐれも(笑))




ときには、そんな手段を使ってもいいから、
「呪いの世界」の外にいよう。

関わらず、取り合わず、何とか距離をおいて。
「祝福の世界」にいよう。
言葉を換えるなら、
「祈りの世界」にいよう。


ぼくは別に、何の宗教にも、染まってはいません。

ただ、本当に価値ある行動、言葉、仕事、作品には、
必ず「素敵な祈り」がこめられていると、そう思います。


だから、
「祝福の世界」にい続けるためにできることを、真剣に考えよう。
そのための具体策を、ぼくも発信していくからね。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
人を祈れば、空二つ。


■追伸:
大切な人が「呪いの世界」に片脚を突っ込んでいたら、
「そんなことしてたら、自分がトラウマになるよ」
という話が有効なケースも、あるかも知れないね。


※今回の記事の引用元
「ネットいじめは加害者にもPTSDの可能性」
https://www.carenet.com/news/general/hdn/50408