楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

「立ち位置1つ」で変わる生命力

「立ち位置1つ」で変わる生命力


「1つで、こんなに変わるのか……」

おととい、痛感しました。

 


骨盤調整のスキルのクラスで、
うまくいかない動作がある生徒さんに、
伝えたんです。

「立つ位置を、足ひとつ分、前にしてみましょう」

……そしたら、ぜんぶ変わった。

● ほどよい距離感(=力の伝わり方)
● 余裕がある腕の動き(=楽)
● 上半身のビシッとした安定感(=より楽)
● 曲げ伸ばしがずいぶん楽になったヒジ(=調整力UP)
● 自由に体重をかけたり抜いたりできる指(=より調整力UP)

その結果、
受け手の生徒さんもハッ!と驚いた顔になる。

「……さっきよりずっと気持ちいいです!」

つってね。

気持ち良さも効果も、
まったく違ったものになるんです。

―― たった1つ、
足の位置を変えただけなのに。


面白い。


……あ、といっても、別にぼく、
「ひとことで100を伝えるアドバイスの達人」
とかではないので、
普通のときは、普通の細かいこと、伝えてます(笑)


じゃあ、どうして?

今回の「ひとこと」は、
そんなに影響力を発揮したのか。


考えてみたら、わかったんです。



「スタンス」

だったからです。
伝えた内容がね。

日本語でいうと「立ち位置」ですね。

立ち位置が変わると、
下半身はもちろん、上半身も、すべて変わる。

つまり、
「1つですべてが変わるような要素」
というのが存在していて、
その1つが、スタンスだったわけです。


さて、この話。

どこにどう応用したら、いいのか。


大事な考えどころは、
あなたの「自分の体」に対するスタンスです。
それが健康的なのか、どうか。


たとえば、
3つのパターンで、スタンスを考えてみましょう。


1つ目。

もしも、
「運動も睡眠も食事も、どうでもいい。
 健康なんかに気をつけたって、大差ねえよ!」
って酒もタバコもガンガンやってるとしたら、
その「体に対する立ち位置」は、遠すぎます。

【ネグレクト】……よりひどいかな。
【虐待】に近いスタンスですね。

それでは、体は実力を出せません。
壊れていくいっぽうです。

こっちはわかりやすいね。



2つ目。


さっきの例の真逆で……

「運動も睡眠も食事も、すべて管理しなきゃ。
 健康より大事なことなんてないんだから!」
ってすべてをコントロールして制限して
山のようにサプリを飲んで
毎日すごいマッサージとかしてたら、
その「体に対する立ち位置」は、近すぎます。

【過保護】……よりきついかな。
【過干渉】といってもいいスタンス。

これでもやっぱり、体は実力を出せません。
だって「自分の仕事」がないから。

甘やかされて何でも親が替わりにやってくれてたら
子どもがダメになるように……
体もやっぱり「自分では何もできない」ようになっちゃう。


じゃあ、正解は、どこにある?

「中間ぐらい」です。


(こうやって書いてると改めて思うけど、
 子育てと似ているとこ、多いんだろうな……)


それが、3つ目。

「運動も睡眠も食事も、すごく大事。
 ただ、健康以外にも大事なことはある。
 だから適度に分担しよう!」
というふうに、管理はそこそこ、あとは任せて見守る。

時間のやりくりをしながら、
ポイントを絞ってセルフケアをしたら、
あとは「寝ている間に体にやってもらう」。
その仕事を、信じる。

この「体に対する立ち位置」が、ぼくが今考える理想です。

このスタンスを、何と呼ぶか?

たぶん【信頼】なんだと思います。





この3種類のスタンスのうち、
どれに近いところにいるかは、重大です。

それこそ「すべてに影響する」から。
何を食べるか、
どう寝るか、
どんな運動をするか、
それらをどんな意思力と熱量で行うか……
すべてを、
決定してしまうから。

あなたは、どれに近かったですか?


そして、3つのスタンスの裏側にある
決定的に違いが何か、わかりますか?


1つ目のスタンス……
【虐待】は論外ですが、つまりこれ、
「体(本人)を価値のないものと見ている」
「体(本人)の実力をナメている」ということね。

体を「子ども」に置き換えたらわかるけど、
そんな扱いをされたら、まともに育たないよね。

一定期間は「大人しく」するかも知れないけど、
当然、あるときが来たら、暴発します。


ほいで次、
2つ目のスタンス、【過干渉】。
これに、もっとも気をつけないといけない。
なぜなら、健康に熱心な人は、こっちに近づいちゃうからね。

でもどうして、
【過干渉】が、そんなにいけないのか。

愛情が不足しているより、
過剰なぐらいのほうが、ずっとマシなんじゃないのか?

その理由も、心の奥底……つまり、
「心理的なスタンス」を考えると、
よくわかります。

過干渉をしてしまうということは、
「本人(体)の力を信じていない」
「本人(体)を、意のままに操る(べき)ものとして見ている」
から、手を加え過ぎるわけです。
(そう顕在意識では、思ってないとしても)

……こうやって見ると、
【虐待】のほうと似てる部分も、あるんです。
(もちろん、虐待よりずっとマシだとは思いますが)



では、3つ目。
最後の【信頼】のスタンスでは、
体(本人)のことを、どう見ているのか。

「本人(体)の力を信じている」
「本人(体)の意思と能力と成長を、尊重し応援している」

ということです。

だから「見守る」ことはするけれど、
手を加えすぎることはない。
コントロールしようとはしない。
だって相手は「独立した個性をもつもの」なんだから。

もっといえば、
「自分を超える部分を持った相手」なんだから。
(↑ここ重要。テストに3回は出ます)


ここにも、
【虐待】と【過干渉】に共通する要素として、
コントロール、ということがあります。

虐げる場合も
手を加え過ぎる場合も、
相手を「コントロール化(支配下)」に
置こうとしてしまっているんです。



さて、ここで大事な質問です。


自分よりすごい(かも知れない)相手を、
コントロールしようって、思いますか?

自分よりすごい(かも知れない相手)が、
自分によるコントロールを歓迎し、
それによって実力がしっかり発揮されると思いますか?

たとえば、大自然とか神様を
コントロール化に置こうとすることは、
有効でしょうか?


答えはどれも「No」です。


ぼくという意思は、小さなすり傷さえ、治せません。
でも、ぼくの体は、当たり前のように治せます。
ぼくなんかが、何も指示をしなくても。

この事実は、
ぼくがたとえ世界一の整体師であっても、
宇宙一の医者であっても、変わりません。

健康において、
ぼくよりも、ぼくの体は、遥かに優秀です。

だから、
コントロールしようとか支配しようとかね、
もっと一般的にいうなら、
「思い通りに管理しよう」と考えるのって、
まったく有効じゃない。

そう……
「スタンス」がズレているんです。
乱暴にいってしまえば、傲慢だね。

ぼくらは体に対して、
そんな偉そうな立ち位置を、とるべきじゃない。


こうして今、ぼくもあなたも、生きている。

……ということは、
これまでのどんな擦り傷も、
風邪や高熱も、
表には出て来なかった病気の原因やウイルスも、
ぼくらが知らないところで粛々と、
365日×何十年も
一分一秒もサボることなく
淡々と文句も言わず、
「体が治してきてくれている」んです。

「治し切れていないもの」より、
遥かに多くの「治し切ってくれたもの」がある。
まだ死んでいないことが、その証拠です。


ぼくらはきっと、
体がやってくれている偉大なことの
「5%も知らない」でしょう。


そんなすごい相手が、
100%の忠誠と誠意で、ぼくらと一緒に
生きてくれているんです。
今後もずっと、生きてくれる。


……そう考えたら、
【虐待】するのも【過干渉】するのも、
すごい違和感でしょう?

プチサイズの神様みたいなもんですもん。


【信頼】して、お任せする。
ただ、実力がじゅうぶん発揮されるように、
「環境を整える」ぐらいのサポートはする。
変な事故がないようには、見守る。

それぐらいが、たぶんベストなんです。



というわけで、まとめます。

結果を大きく変えたかったら、
小手先の技よりも前に、
スタンスを変えましょう。
1歩動かすだけで、ぜんぶ変わるからね。

あなたは、自分の体を、どう見ていましたか?
無意識にせよ、どう見て「しまって」いたかな。

それはきっと、すごく重要で、
考え直す価値のあることだと思います。


距離感と、それを決めてしまう「スタンス」。

近すぎても遠すぎても健康に育っていかないのは、
自分の体も、
子どもたちも、同じ。

たぶん、
自分の中に今もいる子どもも、
本当は大人の心も、
大きく言うならどの世界も……

同じなんだろうなぁ。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
「楽ゆる」という発想も、体への信頼がベースです。