楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

ぼくらの自己肯定感を壊す「無意識の差別」


先日、ふと気がついたんです。

「私はどうせ〇〇でダメな人間だ」
というのも、一つの差別なんじゃないか。

最も無意識に、
最も多く行われている差別だと
言えるかも知れない。

 


ためしに「差別」と辞書を調べたら、
難しいことがたくさん書いてある。

でも、噛み砕いてしまえば、
「特定の条件からはずれる者を不当に扱う」
ということだと思う。

そしてその「条件」が、
変えようがないものであればあるほど、
その差別は理不尽さを増す。

肌の色、体型、容姿、才能、出身、身分……
そして忘れちゃいけない、
性格や健康度も。

自分の意思で自由には変えられないものを理由に
否定したり裁いたりすることを、
よく考えたらぼくも、ついついやってしまう。
(昔は今の15倍はやっていた)

特に……自分自身に対して、です。

○○な性格だから、ダメなんだ。
○○できないのは、人間的に欠陥がある。
そう決めてしまっているのは、
実は、差別に当てはまる。

そして、今回何より強調したいこと。
自分自身なら差別していいなんてことは
決してありません。

そんなふうに、たとえ無意識でも、
心の中に「差別主義的な自分」を飼っている人は……

いや、もっと正確にいうなら
「差別主義的な自分」を飼っている〝とき〟は、
自他を合格・不合格に分けています。

毎日、どこにいて、何をしていても。

それは平和とはほど遠い世界だよね。

差別が戦争の元になるのは誰だって知っているけれど、
「個人的かつ無意識な差別」だって充分に、
心の中の戦争の火種になってしまう。

体を強ばらせ、
浅い息をして、
こりや疲れと一緒に怒りを溜める。

差別はよくない・正しくない、というのは、
誰でも教わってきたことです。

ぼくはもう一歩踏み込んで、
差別は「無効なもの」だと考えてみたい。
だってそもそも、前提がゆがんでいるものね。

もし「そうとも限らない」と言えるなら、
それだけで、その評価や否定はミステイクです。


どうしてこんなことを、
整体師のぼくが、
なんだか必死に書いてきたのか?

無意識の差別を抱えた人は、健康になりにくいから、です。

そんな人たちが、
たくさん背負ってきた自己否定を
(それとほぼ同時発生する他者否定とともに)
「実はこれ、無効なんだ」と1つでも手放せたら、
どんなに体にいいか……と思うんです。

よほどの聖人でもないない限り、
ぼくらは無意識に、小さな差別をしてしまう。
でもそのほとんどは、短慮による無効なものです。

自己肯定感を上げるためにも、
立派な何かをするより先に、
ミステイクな自己否定を訂正するほうが、
何倍も早いはず。

とても未熟な考えを伝えている心配もあります。

でももし次に、
イライラやクヨクヨがあったときに、
一度だけ、自分に聞いてみて欲しいんです。

「そこに、小さな差別が含まれてない?」


ではでは、くれぐれも、お大事に。
ぼくを筆頭に、99%の人は、大したもんじゃない。
ただ同時に、捨てたもんでもない。