安心感は必要だ。
でも強すぎると、油断になる。
自信が欲しいと思う。
でも有りすぎると、裸の王様。
悩みがなければ楽なのに、と思う。
でも悩みのない人に、共感はできない。
深みや魅力を感じにくい。
不安は、心を重くする。
でもそれは、正常な危機感の証でもある。
不安や危機感がない人は、転落しやすい。
うまくいかないことは、ストレス。
でも「すべてうまくいく」のも退屈で、ストレス。
(今さら足し算ドリルをやらされると苦痛なように)
幸せになりたいと願う。
でも幸福度ランキング1位の国フィンランドは、
自殺率もかなり高い。(気候の影響もあるけど)
足りなくて、もっと欲しい。
でも「余る」と、バランスが壊れる。
ぼくらが強く求めるものって、
なぜだか、みんな「そう」なっている。
そういえば、お金も時間も、同じ。
足りなさ過ぎると、きつい。
でも余ってしまうと、有り難みがない。
ゆがむ。
「ちょうどいい」のが理想だけど、
現実に「ちょうどいいとき」って、
ほとんどない(笑)
多すぎてダメ、
少なく過ぎてダメ、
ちょうどいいは、望めない。
……となると、
「少し足りない」ぐらいが、
一番妥当なのかも。
安心感も、自信も、
悩みも、不安も、幸福感も、
「少し不満あり」で、いいのかも知れない。
そういえば、
腹が減ってないと、ご飯は美味しくない。
ついぼくらは
「理想と現実の引き算」の分、
自分を不幸だと考えてしまうけど……
「本当の理想」って実は、
「今思ってる理想」より低くて、
意外と「リアルな現実」に近いのかも知れない。
不幸を実際より拡大して見てるかも知れない。
ぼくらは多分、
自由な地平に自分のセンスで高い「塔」を建てるより、
形も深さも明確な「穴」を確実に埋めるほうが、
充実するんだろうね。
「足るを知る」のとは、少し違う。
「過ぎたるの苦を知る」。
「不足の楽を知る」ということ。
今手元にある1つだけの選択肢じゃなくて、
他に取りうる選択肢をちゃんと並べてみたら
「今ってけっこうマシなほうかも」
とわかることって、たしかにある。
「すごくいい状態」にずっといる人なんて
ほとんど居ないんだから、
ある意味、安心していよう(笑)
ではでは、今日もお大事に。
「取り得る選択肢が現実より多そうに誤解させる」
のが、SNSの一番の怖さじゃないかなー。