楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

雑文:人生のリレーは「未完了」でいい


とある親子3人が、リレーをした。

父親には、
息子たちに残したいものがあった。

 


しかし、
父親と長男は、バトンの受け渡しができなかった。
近すぎたからだ。
父親が「今こそ渡したい」とき、
長男は「ぼくはぼくの道を行く」と突っぱねた。

仲が悪かったわけではない。
そんな宿命なわけでもない。
ただ、タイミングが合わなかった。


次男はそれを見ていた。
父親が「今度こそバトンを渡したい」と思ったころ、
彼は長男とのリレーのときよりも少し、年老いていた。
傷を負ってもいた。
ただそのぶん、バトンは優しく差し出された。
次男は「ぼくの道はあるけれど」と、父の意思を受け止めた。


先に大人になった長男は、背中でそれを感じていた。
父からのバトン……直接は受け取れなかった。
もう間に合わない。
あのとき受け取っていれば、と考えることがたまにある。
しかし、その小さな悔いが、空白の手が、
父のことを考えさせる。
彼が亡くなってからは、余計に、
「父ならば」と思考を馳せる。
バトンが手元にないゆえの、想像の飛距離がある。


結局どちらにも、バトンは渡った。

弱いスピードでもしっかり受け取った者。
早すぎて一度は落としたが、後で拾い直した者。

どちらにも、それぞれだけの、意味があった。


結局、バトンは渡る。

タイミングは一度ではない。
生きているうちだけでもない。
いったん拒絶されたら終了、ではない。
受け取ったように見えたら完了、でもない。

タイミングは、
やって来て、
行き去りて、
また巡り来る。

渡し手があきらめてもう見ていない頃に、
受け手が一人で「拾い直す」こともある。
最初は軽くしか受け取らなかった者が、
改めて眺め直したり、
握りしめ直すことも、ある。


だったらぼくらは、
すごいものを残さなくても、
バトンらしい形で渡さなくてもいい。
どのみち『完全な継承』はない。

完全な継承など無いから、
バトンを渡す者、
バトンを受け取る者、
バトンを直接は受け取れなかった者、
その誰もが、
一人ではできなかったことが、できる。


渡す者は、コピーが欲しいわけじゃない。
受け取る者も、コピーになりたいわけじゃない。
だから、不完全でいい。
未完了でいい。


ただ、思考を馳せたい。
「あの人ならば」と考える。
バトンがあろうと、なかろうと。

それがおそらく、継承ということ。
人が人にできる供養の、大きなひとつ。

そのとき「間に合わない」と思っても、
あとで「間に合ってくる」ことって、
本当に、ある。



……実はこんな思想もあって、
ぼくは「永井整体」なんかじゃなく、
「楽ゆる整体」という名前にしました。

「永井をマネしてみる」のは役立つと思うけど、
「永井のようになる」必要は、無いんだから。

ぼくは、どんなバトンを残せるのか。
または、残せないのか。
それは多分、どっちでもいいんです。

ぼくは「残したいタイプ」だから、
残そうとは、するけれど(笑)

あとはもう、
拾ってくれた人の自由だもんね。

ただ、
せっかく生きてせっかく死ぬのだから、
「いざ拾ってみたら予想以上に面白いし柔らかいし
 実用的ですごく美味しい」という……

チクワみたいなバトンを、残したいな。


ではでは、今日もお大事に。
ぼくにこんな文章を書かせた犯人はたぶん、
『葬送のフリーレン』という名作(マンガ)です。