ちょっと変わった形の「希望」を見つけました。
それは、人が、どんだけ他人の話を聞いていないか、
を表す数字です。
ある心理学のデータによると、
「人は他人の話を46%も聞き逃している」そうです。
つまり、
「基本的に、半分しか聞いていない」と。
……どないやねん(笑)
どんな真剣に話そうと、気持ちを込めようと、
工夫をこらそうと、そもそも半分しか耳に入っていない。
それに、聞いてくれたとしても、
心まで届くか?となると、さらに薄まる。
その上、みんな忘れていく生き物でもある。
……なあんだ。
そうなんです、
「なあんだ、そっか」って、思ったんです。
というのもね、
ぼくはこの事実が、
「なんでわかってくれないんだろう……」
という悲しみを、中和してくれると思ったんです。
だって、ぼくらは
「なんでわかってくれないんだろう……」って
悲しむと同時に、理由を色々と想像してしまうんですよ。
● そもそもぼくを大事に思っていないからだろう
● 考え方が根っこから違っているからじゃないか
● あの人は、他人への思いやりなんて、ないんじゃないか
● 自分は致命的に説明が下手だ……
● 他人同士なんて、しょせん、わかりあえないんだろうな
● あの人とあたいの仲なんて、そんなものだったのね……
なんていうふうにね。
あらゆるストレスの中で「最大」と言われる、人間関係。
その人間関係の中でも「最大」に近いのが、
この「わかりあえない」という痛みだと思うんです。
でも、実は、そうじゃない。
「わかりあえない」んじゃなくて、
「半分、聞いてなかった」んです(笑)
「それは私とは違う!」とかじゃなくて、
「あ、ごめん、ちゃんと聞いてなかった」
というだけかも知れないんです。
もちろん、お互いに、ね。
聞いてなかったんじゃあ、しょうがないよね。
それも悪気があってのことではありません。
ぼくも、あなたも、あの人も、
「半分はちゃんと聞けないもの」なんです。
そう思ったら、少し、氣が軽くなりません?
そりゃ、
「真剣な話なんだから、ちゃんと聞いてくれよ!」
という悲しさも、なくはない。
でも、
「あんなに話合ったのに、なんでわかってくれないんだ!」
という苦しみよりは、ずっとマシです。
「根本的決別」ではなく、
「しょうがない的うっかり」だってことだからね。
しかも、
「半分しかお互い聞いてないんだから、
理解までしてるかどうかとなれば1/4ぐらいかもしれん。
わかり合うには、時間と回数が必要なんだから、
焦らず、責めず、対話を重ねていこう」
って、思えるはずなんです。
つまり、
「1回でうまくいくほうがおかしい」っていうことなんです。
コミュニケーションなんてね。
そうして、強過ぎる期待を手放すことができたら、
過度にがっかりしたり、悲しんだり、
人や自分を責める必要もなくなります。
ぼくやあなたやあの人に、
価値が足りないのでも、
能力が足りないのでも、
人格的な問題があるわけでもない。
ただ「回数」が足りないだけ。
「回数」を重ねる前に、
お互い嫌になって、感情が先に立って、
うまく行かない悪循環の中にいただけ。
……そんな可能性が、半分近くもあるんです。
もったいないよね。
そして「なあんだ」って、
ホッとするところも、あるかも知れない。
だって、そんなにも悪い人じゃないはずなのに……
って思ってた「あの人」も、いるでしょう?
誰かにとって、きっとぼくたちも、そうなんです。
誰だってある程度うっかりしているし、
誰だってある程度、アホなんです(笑)
お互いにね。
そう「正確に」思いなおせたら、
世界はたぶん、今よりちょっと平和にるよね。
最終的にうまくやる人というのは、
「いかに、なぜ、うまく行かないか」を理解している人です。
壁がなかった人じゃなくて、
いくつもの壁をよく見て、しっかり調べた人です。
ぼくたちはきっと、
今日また1つ、新しい壁について、くわしくなりました。
あなたもぼくも「聞いちゃいない」(笑)
でもそれでいい。
言い方と場を変えて、大切に伝え続けていく。
聴き続けていく。
その少し氣の長い覚悟が、きっと、
高いコミュニケーション能力のもとだし、
不要なストレスを背負い込まない予防策にもなりますからね。
ではでは、くれぐれも、お大事に。
同じ本を読み返すとビックリするもんね。新発見が多くて(笑)