楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

「好き」の3倍は強い原動力

「好き」の3倍は強い原動力



――「好き」を仕事にする。

いっとき、YouTubeのテレビCMでも
よく聞いたこの言葉だけど……ぼくは、ちょっと嫌いです。

なぜか。

野球の「イチロー」の引退会見での言葉と比べると、
ぼくが、この言葉にいだく違和感がくっきりします。

 

【Q】貫けたモノは何でしたか?
(という記者からの質問に対して)

「野球のことを愛したことだと思います。
 これは変わることはなかったと思います」

――と、イチローは言いました。


ここでイチローは、
「好きだった」ではなく、
「愛した」と表現しました。


そうなんです……
「好き」と「愛する」は、違います。

好きは、好みや感情ですが、
愛するって「動詞」なんです。

(なんか、えらく青臭い話になってきましたが、
 ここからが本番なので、少し我慢してね(笑))


何が、大事な違いか?

「好きかどうか」は、ほぼ選べません。
でも「愛するかどうか」は、選べる。
「感情」ではなく「動詞」だからです。


たとえばぼくは、
ところてんが好きではない(嫌い)です。
いまだに食べられない。

でも、意思をもって、
ところてんを「愛する」ことはできます。
たとえば、仕事で必要になったりして、
「愛する」と決めたら、研究するでしょう。

良いものの選び方、
料理の仕方、
見た目の工夫、
嫌いな要素の解消、
食べ合わせ……

そうやって手間ヒマをかけて工夫をすることで、
もともと嫌いだったはずのとろこてんでも、
「愛する」ことはできる。
かなり美味しく料理することも、できる。

その結果、
「これなら、俺でも美味しく食べられる!」
なんて方法まで辿り着いたりしたら、
ところてんを「好き」だと
感じ始めることだって、あるでしょう。


そしてこの「好き」は、
「愛した」後にわいてくる「重い好き」です。
ただ好みに合う……という「軽い好き」とは
まったく違うものです。


そう、ここが大事なところで、
この「重い好き」だったら、
仕事になると思うんです。
それだけの強さを出していける。


実際、イチローは、
引退してからしばらく経ったころ、
別の角度から「野球愛」について、語っています。

その要点だけを抜粋すると……

「子どもの頃に野球を好きだった気持ちと、
 高校になり、プロになっていったときの野球を好きだという
 気持ちは、どんどん違うものになっていった」

「もう一度人生があったとしても、野球をやらないかも知れない」

という2つのメッセージがありました。
(※ 要約の責任は永井です)

たぶん、多くの意味があるでしょう。


ぼくは、
一見矛盾するようにも見えるイチローさんの
これらの言葉に、ひどく胸をうたれました。


彼は、野球を愛した。
愛することを「貫いた」。

でも、
それはただ好きだったというような、軽いものじゃない。
覚悟や決意をもとに、努力や工夫を積みあげてきた、
重い重い「情念」だったんだと思います。

「生まれ変わったら、もう一回、同じキャリア、やる?」と聞かれて、
「うん、やるやる」と答えられるほど、
軽いものではない。
楽しい「だけ」のものではない。


ぼくは、自分の仕事に対しても、
似た思いを抱いています。
(もちろん、イチローと比べるのは失礼というものですが)


「愛する」というより
「大切にする」といったほうが、わかりやすいのかな。


そう考えたら、ちょうど、
「手のかかる子ほど、かわいい」
という人間の心理があります。


手をかければかけるほど、大事になっていく。
思いをかければかけるほど、思い入れが大きくなる。
「好き」が始まりかも知れない……けど、
実は、そうじゃないこともある。

いずれにしても、
「好き」だけでは届かなかった深みまで、
「思い入れ」が根をはっていく。



うちのお客さんの実話でね。

ネコは元々好きじゃなかったのに、
ある日の夕暮れどき、弱った野良ネコが庭にいた。
なんか放っておけなくて、1度だけ、エサをあげた。
そしたら、ものすごく嬉しそう。

次の日もそのネコが庭先に来たとき、
彼女は、エサをあげずには、いられなかった。

次の日も、その次の日も。

……気が付いたら、
ちゃんとネコのエサを買っている自分がいた。
しかも、けっこういいやつを買ってた(笑)

たまに気まぐれに来ないときがあると、
ひどく心配になる。
次の日、またひょっこり現れると、
ハラの底から、ホッとする……

エサを上げて面倒を見ているうちに、
「その子」のことを、驚くほど好きになってしまっていた。

ってね。


……


改めて見ると、
すごい言葉ですよね。
「思い入れ」って。

「思い」を「入れ」ていく。


手間ヒマをかけて、
頭を使って、
心を遣って、
仕事のことも、
自分の気持ちも、
その対象との関係性も、育てていく。
練り上げていく。


その「情念」の重みが、
「重し」となるから、ブレない。

イチロー本人が「敵だらけだ」と語った
世界最高レベルの第一線でも、
戦い続ける原動力になる。



ぼくは「好き・嫌い」を簡単に決めない人に、
尊さを感じます。

「愛する」や「信じる」は、
感情じゃなくて、
意思や決意の問題だと思っています。


仕事は登山とちょっと似ていて、
高い山を登れば登るほど、
きつさの割に高度は増えていかなくなります。


新鮮さも色褪せていく。
くり返していれば、少しずつ飽きてくる。
それでも、
工夫する面白さ、
ほんの少しの上達を喜ぶ純真さ、
小さな発見に注目する探究心、
トラブルさえ受け止める覚悟……

そういうものが揃って、
プロとして心身の筋肉をつけ、プロだけが見る景色を見る。

ずっと好きだから続けてきたのか。
ずっと続けてくる中で愛しく、
かけがえのないものに育ったのか。



多くのケースで、
「好きなわけじゃないから、天職じゃない」
というのは、思い違いだと思います。
「少しずつ好きになっていく」ことで
強い仕事人が生まれることって、本当に多いから。

それに、
「好きじゃない部分があるから、この仕事は向かない」
というのも、考え違いです。
どんだけ天職で、どんだけ上達しても、
「部分的に好きじゃないところ」ぐらい、必ず、残ってるから。


あえて言葉にするなら、
「好き」とか「楽しい」よりも、
「面白いところ探し」ががしやすいか、どうか。


そんな視点のほうが、
ずっと適職を「つくり」やすいし、
天職に「導かれ」やすいと思うんです。


そうやってぼくは、
整体師に「なっていった」……と、思っています。


今、目の前にあること。
面白いなら、最高です。

でも面白くないなら、それ……最初からだった?

「面白いところ」って、探せそう?

「もっと面白がる」ために、何か、できそう?


魅力的な人たちって、
通常の業務やトレーニングと同じかそれ以上に、
そういう「愛する努力」を、重ねているんじゃないか。


ぼくはそれを「情念」と呼びたい。
「情念」こそを、育てていきたい。
(演歌か!)


そんなわけで、
「好き」の3倍は強い原動力は、
「情念」です。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
人の好き・嫌いとも、共通する話かも知れないね。