「本当は、壊死なんてしてなかったって、
わかりました……」
そう話してくれた彼女はいぜん、
それなりに権威のあるお医者さんに、
――あなたの股関節は、壊死している。
すぐ手術するしかない。
という診断を受けていたんです。
※その頃のことは、↓の記事に書いてあります。
『「壊死」だった股関節が「8割改善」して、激おこです。』
https://www.rakuyuru.jp/entry/2020/12/15/173406
ぼくが彼女のお体をみたときも、
「整体でこんなに変われるんだから、壊死なわけがないと思う」
ということを、伝えていました。
その後、
彼女は勇気をもって、
別のお医者さんにセカンド・オピニオンを
もらいにいきました。
そして……
結局、ちがってたんです。
「壊死」なんかでは、なかった。
そう話してくれる彼女は、とてもうれしそうでした。
もちろん、ぼくもうれしい。
本当に「誤診で良かった」。
……でも、
ぼくは同時に、痛いほど思うんです。
「どしてくれんの?」
って。
もしその医者の「誤診」をもとに、
手術をしていたら……
●治らなかった可能性のほうが高いよね?(原因が違うんだから)
●その後の一生に影響したよね?(筋肉の質とかが変わっちゃう)
●しかもそれらは「完全犯罪」になってたよね?
(壊死じゃなかったかもしれない証拠や根拠も、手術とともに消える)
それに加えて……
●彼女が1年近くも「壊死の可能性」に悩み苦しんだ分の、埋め合わせは?
●彼女の家族もさんざん心配した分のフォローは?
●壊死かも知れないからという「行動制限」によって、
この1年間、彼女が失った可能性についての補償は?
前半は、
なんとか避けられたけどかなり危険だったリスクですし、
後半は、
手術には至らなかったけれど発生したコスト(実害)です。
これらを生み出したそのお医者さんに対して、
「どうしてくれんの?」
って、本当に思います。
さすがに許せない。
もちろん、誰だって間違いはします。
ぼくだって間違えない自信なんて、全くない。
でも、
「間違うリスクを充分もった人間だ」と自覚することは、
ぼくにだって、できる。
意図的に慎重に、自覚する。
そうやって練り上げた自覚の別名を
「覚悟」と呼ぶんです。たぶん。
だってね、
「自信があることをやる」なら、覚悟なんて、いりません。
「自信がないことだけどやる必要と価値がある」から、
覚悟というものを一生懸命に練りこしらえて、
なんとか自分を奮い立たせるんだと思います。
そこの問題だと思うんです。
たとえば、そのお医者さんの言葉がもし、
「壊死の可能性がある」
というものだったら、事態は全く違っていました。
まず、
緊急手術になって後悔するリスクは激減します。
また、手術の可能性による悩みや行動制限も
まったく違っていたでしょう。
セカンド・オピニオンだって、
もっともっと求めやすかったでしょう。
そしたら「誤診だった」と気づくのにかかる期間だって、
1年とかじゃなく、3ヶ月とかだったかも知れない。
経験者には、よくわかるんじゃないかなって
思うんですけどね……
セカンド・オピニオンを求めるのって、勇気がいります。
お医者さんの断言(ましてや緊急手術の要請)に
疑問を持って、さらに一旦とはいえ止めるには、
意志力も忍耐力も問われます。
自分の回復力を信じ直すことにだって、簡単ではありません。
彼女は、とても勇気がある人だと思います。
だから、最悪の事態を避けることができた。
「誤診」だったという安堵に加えて、
その感動にもぼくは同時に襲われたので、
正直、胸が苦しくなりました。
……でも、
彼女のような勇気あるケースは、かなりレアです。
多くの人は、
「股関節が壊死しているから、緊急手術が必要だ」
と偉いお医者さんに断言されたら、
手術まで行ってしまうと思うんです。
もちろんそれが、正しいケースだって、あるでしょう。
でもそれが「無自覚な完全犯罪」になるケースだって、
ありえます。
そもそもぼくは、患者さんが、
「強い勇気を問われてしまう」という状況が、許せません。
ただでさえ、体も心も、疲れているのに。
守られるべき立場なのに。
もちろん、自戒も込めて思うことですが……
医療従事者は、
患者さんに勇気を提供するべき存在です。
断じて、その逆であってはいけない。
だからきっと、
「その人に会った後には、勇気が持てる」
ということが、
良い医者、良い医療従事者を見分ける判断基準になる。
改めて、そう思うんです。
権威や知名度や経験値なんかより、
こっちのほうが大事なんじゃないか。
その重要度は、技術の高さを超えるかも知れないぐらい。
だって、
医者や薬が「外から治す力」よりも、
本人の体が「自ら治る力」のほうが常に強いんだから。
(手術したあとの組織や傷口を元通りに治すのは人体だし、
薬を消化して活用するのも人体です)
より強いリソースを活かせる能力のほうが
優先されるべきなのは、明らかだもんね。
最近のスポーツ全般にいえることですけど、
たとえばサッカーを見てても、思うんです。
「この選手が一人いるだけで、
まわりの選手まで動きが良くなるな」
って人、いるでしょう?
今の日本代表でいったら、
古橋、田中、遠藤あたりが目立つかな。
……といっても、
サッカーの例はわかりにくいかも知れないので(笑)
テレビ番組でもそうかな。
ハライチ澤部、
麒麟の川島、
有吉、
千鳥ノブ……とかかな。
(もっといるでしょうけど)
本人が活躍するというシーンもあるけど、
それ以上に、まわりの能力を引き出すような存在。
ぼくは、そういう人たちに、憧れます。
有吉なんて、あれだけもう大御所に近い位置にいながら
大御所になり切らず、
この役をやり続けられるのって、すごいと思います。
医者も整体師も、
どう考えたって、主役じゃありません。
名脇役……でも目立ち過ぎなぐらいで、
死に役(笑)でいいぐらいなんです、本当は。
主役はとうぜん、
患者さん本人です。
「あの先生ももちろんいい人だったけど、
いやー、私の体の回復力って、すごいな!
よく乗り越えたわー!」
って言って治ってくれたら、
それ以上の理想はありません。
だからでしょうね、
あんまり主張が強いと、それだけで、
医療関係の人って、嘘くさく見えるんです(笑)
「ああ、主役になりたいタイプの人か」
って、どうしても思ってしまう。
(ごく一部の天才は、それでいいんですけどね)
何がほんとうにやさしいか。
何がほんとうに高い技術か。
プロの道には判定が難しいことはたくさんあります。
でも……
相手を勇気づけることができたか。
その判定は、秋晴れの空のように、クリアです。
一握りの素直ささえあれば、間違えようがない。
患者さんから見ても、
医療者が自分で見ても。
自分は最後までそこに妥協しない人間でありたいし、
ぼくが大事に思う人たちには、
そういう医療関係者を見極めて欲しいなって、思いました。
心ある勇気づけは、百の正解にも勝る。
それでは、今日もお大事に!
今回はなんか「アドラーっぽい」話になったな。