楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

奥さんがゾウアザラシになった。

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「アガッ!」「ウオゥ!」 (当時の奥さんの声)

 


※この記事は↓の続きです。


■ 面白さに任せて仕事三昧の日々


仕事は順調。
進路・キャリアとしても面白い。
この手応えを逃がさずに進んでいけば、もう大丈夫。

……と思ってベンチャー企業での仕事をめきめき。

本当にもう、メッキメキでした。

「残業せずに早く帰りなよー」
というスタンスの会社だったのですが、
朝8時ぐらいから夜22時ぐらいまで仕事して、
まだ家でもパソコンやってました。

面白くて、面白くて。


具体的には……

「おかき」を作っているメーカーさんが、新商品を出すにあたって
200人の主婦の人に試食アンケートをやる。
その手配、デザイン、分析、まとめをやって、
「どういう商品したら売れるか」を決めていく。
みたいなサポートをやってました。

だから営業のときには
「調査、やってみませんか?」
って、形のないものを売ることになる。

だから、
「それやったら、どうなんの?」
という結果をイメージしてもらわないといけない。売れない。

その説明や、資料作りは、
「見えないものを見えるようにする遊び」のようで、
すごく面白かったんです。


逆に、「じゃあやりましょう」ってなったら、
調査は調査で、
「今まで見えなかったものが、本当に見えるようになる」
わけです。

そのために、どういう質問を作っていくか。
どういう人を集めたらいいのか。


考えることは無限にありました。
ちょっとした工夫が、結果を大きく左右する。

「寝る間も惜しんで」なんて言葉あるけど、
惜しむつもりもなく「忘れて」に近かったのかな。

ただただ没頭してました。

■ 26歳、自律神経失調症で「味がわからなくなった」


右のほっぺたが勝手にピクピクして、止まらない。

お客さんと話している最中に、それは始まりました。
お得意先で、頭のキレがキレッキレで、
話してくれることが全部面白いお兄さんです。

変に心配させてもいけないので、
片手でずっとほほを隠しながら話しているのですが、
呼吸が「ひ、ひ」って、苦しくなります。

興奮し過ぎの、過呼吸。

息苦しいから深呼吸をすると、余計に苦しい。
口の周りがジワ~~ッとマヒしてくる。

いきなりだったので、パニックになり、
「トイレお借りしていいでふか?」
って緊急避難です。
もう舌が上手にまわらない。

鏡を見ると、自分が感じるほどはピクピクしてない。
それでほんの少し安心して、
その日は早めに打ち合わせを終えて帰りました。


そのあたりから、頭痛が悪化。
眠れない日が多くなり、肩がこったり、
ずっと胃がもたれていて、耳鳴りもして……

あまりにおかしいので休みをとっても、眠れない。
眠れないから一向によくならない。


しまいには、味があまりわからなくなりました。
おいしいはずのものが、なんだかボソボソして
味気ないんです。

甘いらしいとか、しょっぱいらしいとかはわかるんだけど、
それが全然心地よくないんです。

餃子やカレーがまったく美味しくないとか、
ありえなくないですか?(笑)

超おいしいはずの食べものさえ美味しくないって、
ちょっと絶望的でした。
カラーだった世界が、いきなり白黒になるぐらい、
大事な彩りを失ったような……


さすがに改善に本気になりました。


■ ぼくを救ってくれたのは「アメリカの整体」だった


それからまた、
病院、カウンセリング、コーチング、鍼灸、整体、
漢方……色んなものを試すことに。

でもこれ、腰痛よりよほどやっかいで、
眠れないから、回復が進まないんですよね。
いい刺激をもらっても、消化できない。

このときに、知りました。
「受け入れる力」がないと、何をもらっても
活かせない。

自律神経が弱ってたら、健康法が効かないんです。
回復スイッチがOFFってるから。
聞く耳もたなくなった子どもみたいなもんで。


だから、ぼくにあった方法で、
まず何よりも先に自律神経をONにしないといけない。

そのきっかけを見つけるのに、
ガムシャラになっても半年、かかりました。


オステオパシー。
アメリカの整体です。

筋肉や骨格だけでなく、メインとして
「脳と内臓を整える」整体に出会って、
ぼくの体は変わり始めました。

初回の施術のあと、味覚が戻ったんです。
あれは、嬉しかった……

「生き返ったような気持ち」というのは、
ああいうことなんでしょう。

「おいしい」ってすごい。

一回失ったと思ってた分、その胸がふるえるような
喜びは強かったです。
あの帰りに食べた鯛焼きの味が、忘れられない。


そのわずか一週間後、
ぼくはぼくを救ってくれたその先生に
弟子入りすることになります。

目と片脚が不自由な、天才先生でした。



■ 奥さんがゾウアザラシになった


整体のスクールには2つ通いました。2年間。

もう一つ、知り合いの氣功の達人みたいな人が
レイキを教えてくれました。

でも実は、「整体師になろう」なんて決意が
あったわけでもなく、「面白いから」だけだった。

自分の人生の大きな障害を消し去ってくれたわけだから、
価値のあるものだとは感じていました。
でも、仕事にしようというつもりはなかった。
好きになったから、本格的に知りたかったというだけ。


転機は、奥さんのギックリ腰でした。
スクールに通い初めてまだ間もない頃。

魔女の一撃。
すごいあだ名ですよね。

でもたしかに、うちの奥さんが最悪のギックリ腰になったとき、
「出産より痛い」と言ったんです(笑)

出産でさえ「鼻の穴にスイカを入れる痛さ」とか言いますからね。
ギックリ腰は、そのスイカが激辛キムチで包んである
ぐらいの痛みでしょうか。

想像もしたくない(笑)

ギックリ腰も5段階ぐらいあると言われるんですが、
奥さんの場合はその最悪のレベル5。
まったく立てなくなりました。
しかもシャワー中に。

自分で手を動かすのも痛いので、シャワーも止められない。
声を出しても痛いので、「ねぇ……ねぇ……」と
消え入りそうなボリュームでぼくを呼んでました。


……ゾウアザラシがいる。

ぼくはそう思いました。

怒られるでしょうけども(笑)、変な形で
ビクとも動けない奥さんは、助けを求める声さえかすれていて、
別の生き物のようでした。かわいそうに……

シャワーをとめて、バスタオルで体をふくんですが、
それさえ痛いんです。
ぬぐっっちゃいけない。体が揺れて腰がきしむから。
タオルを「置いていく」だけ。
ファサッ、ファサッって。

廊下を移動してベッドに寝かしつけるまでも地獄のようでした。
どう支えたってどう動いたって痛いんだから。
最終的に「すまん、耐えてくれ!」っていってズリズリ引きずりました。

あ、ちなみにうちの奥さんは、痛みにめちゃくちゃ強いです。
それでもときどき「アガッ!」とか「ウオゥ!」って
奇声がもれるほど痛いらしい。

それからまる3日ぐらい、立ち上がるまでにかかりました。


ただここで、にわかでも整体のワザが役に立ちました。
顔をこちらに振り向けることさえ難しかったのに、
皮膚を整えていくだけで、ゆっくり寝返りを打てるようになる。

患部が熱をもってしまって、じっとしてても
ジンジン痛み続けるのが、だいぶん静まる。

ぼくはその威力に驚きました。
「習いたてのホヤホヤでもこんなに効果があるのか」


それは今の仕事とも地続きの、
他で味わったことのない喜びでした。


■ できることがある、という喜び


じいちゃんが亡くなったとき。
おとんが亡くなったとき。
ぼくは何もできなかった。

弱っていくのを目の当たりにしていても……です。


重い病気の家族を看病したことがある人は
みんな似た思いを抱くかもしれません。

「自分はどんだけ無力なんだろう」と。


そのなんとも言えない無念をためてきてたのも
あるんでしょう。

その逆に、
まともな生活もできない状態(ゾウアザラシ)だった奥さんの
痛みを軽くできたという手応えは、鮮烈でした。

今も一心不乱に、でもどこか好奇心にあと押しされて
奥さんの背中をさすっていた景色を
ありありと覚えています。


整体師としての原風景。
多分、あそこから始まったんだと思います。

学び始めて数ヶ月でもこんなにすごい。
こんなに面白い。

ぼくは整体というよりも、
人間の体のもつポテンシャルに感動していました。

「ボタンとその押し方さえ間違えなければ、
 ものすごい変化を見せる魔法のからくり」

のようなものが、人のカラダにはある。

振り返れば、
すごく似た魔法のからくりが「人の心にもある」
ということを、ここまでの仕事で感じていました。
(すべての調査はたぶん「人の心の魔法」を
 知ろうとする試みだからです)


改めてぼくは感じていました。

人間は面白い。
他の何よりも、面白い。


この好奇心は、小さい頃から抱えてきた不安よりも、
ずっと強かった。

その不安を打ち払えそうな希望よりも、
たぶんさらに強かった。


その子どもじみた強烈な好奇心は、
なんの激しい葛藤もないぐらい、ぼくの進路をスイーッと
変えていくことになります。


……最終回に続く(笑)

(最終回はこちら↓です)