楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

「ほどよい自信」のつくり方 

「ほどよい自信」のつくり方 


ぼくには、自信なんてものは、ない。
でも「堂々と落ち着いている」ように見えるらしい。
……これ、割と得してるよね(笑)

たとえば、

「どうやったら、永井先生みたいに自信を持てるでしょうか?」
「自分には自信がないから、メンタルがすぐ弱るんです」

そんな質問をもらったりするんです。
うん……その気持ちは、よくわかります。
確かにぼくも昔、先達を見て、そう思ってたから。

でもこれ、
今だからわかるんですけど、
ズレてるんですよね。

 


ぼくは「自信があるように見える」し、
「あんなふうになりたい」とも、思ってもらえてる。
でも、実際は、自信なんて、ない。

つまり、
「自信に満ちて堂々とした様子」に必要なのは、
自信ではない。

――ということ。


もっと正確にいうとね、
「自信なんて、ごく局所的なものでいい」んです。
【手応え】と言い換えてもいいかな。
ぼくは、これに気づいたことが、
心が自由になる突破口になったんです。

さて、
「局所的な自信(手応え)」って、どういう意味か?

そもそもの傾向としてね、
一般的に「自信が欲しい」って言うとき、
ぼくらは「総合的な自信」を求めちゃってるんです。

たとえば、

●人間としての自信
●男としての自信、女としての自信
●仕事のプロとしての自信
●親としての自信、子としての自信

みたいなやつね。


……そんなのね、無いよ(笑)

ぼくは
「整体師としての自信」でさえ、
まだ大してありません。

もっとスキルの高い整体師は、
いくらでもいるでしょう。


じゃあ、なぜ「やってられる」のか?
「堂々と色んな活動をしている」のか。


それは、
「この部分には手応えがあった」
というもの「だけ」を、出しているからです。


1つ、わかりやすい具体例は、
ぼくの「おなかもみ上げ」の本ですね。

「整体師」としても
「内臓を整える整体師」としても、
ぼくより上は、たくさんいると思います。

でも、
「内臓の調子を自分でよくする簡単で痛くないセルフケアの本」
については、ぼくのより良いものが、見つからなかった。
(少なくとも、その当時の日本一大きい本屋さんに、なかった)

だから、本を出しました。
「本が出せる」と思ったんです。

つまり、
「内臓の調子を自分でよくする簡単なセルフケアの本」
という、ごく一部……この「局部」については、
信じることが、できた。
それも自分自身を、ではなくて、
「実際に改善した患者さんたちの事例」を、です。

だから、
「内臓のセルフケア」について書いたり、
話したりしているときのぼくは、
自信に満ちていて、
堂々としているように「見える」はずです。

逆に、もしもテーマが
「整体について」ということだったり、
「内臓について」ということに拡大しちゃうと、
ぼくより上は、たくさんたくさんいます。
だから、自信も、堂々とした感じも、
ヒュルヒュルヒュルヒュルヒュルヒュル~~~って、
陰を潜めるでしょう。
一瞬でね(笑)

でもね、それでいいと思うんです。


逆にね、
ちょっと想像してみて下さい。

「自信満々のやつ」
って、本当に信用……できる?(笑)

それこそね、
「私には、男としての自信があります!」
「私には、女としての自信があります!」
……そんな人たち、本当にモテそう?

ウザいか、
もしくは……超ウザいかのどっちかじゃない?(笑)

中には本当にすごい人もいるかも知れない。
でも、あんまり自信に満ちた感じの人って、
「近くにいたら疲れそうで、ちょっと……」なんですよ。
こっちが引け目や負い目を感じることも、あるしね。

同じように、
「私には、整体師としての自信があります!」
なんてドーンとした感じの先生って、
ニセモノが多そうじゃない?(笑)

(口が悪くなってきた……具体例が思い浮かび過ぎるw)

あと、腕は本当に良いとしたって、
ちょっと付き合いにくそうじゃない?
押し付けとか、すごそうだし。


それより、むしろ、

「私がすごい整体師かどうかなんて、自信はありません。
 ただ、内臓のことだけはずっとやってきたから、得意です」

なんていう先生のほうが、
ずっといい感じ、しませんか?


実際、
「自信が強い人」は、
素直さや学習能力に欠ける傾向があります。

これはきっと、よく考えてみたら、
あなたの感覚にも、一致するんじゃないかな。
「そりゃあ、そうか」ってね。


つまり、
「総合的な自信」なんてものは、万能ではありません。
それどころか、ニセモノに踊らされたり、
足かせになることさえ、多い。

もっともっと、一部でいい。

「ここだけは、まじめにやってきた」
という「局所」があれば、
そこを信じていけるし、
そこを信じてもらえる。
そこで充分「モテる」ことも、できる。
仕事的にも、プライベートでもね。


これが「自信なんて局所的でいい」と
ぼくが考えている理由です。


ぼくは幸い、そういう
「局所的な自信」を、いくつか見つけて、
こそこそチマチマ、育ててきました(笑)

だから、本が書けるし、
動画を出せるんです。

でもね、見る人が見たら、バレますよ。
「永井さんって、やってることの根っこは、
 いつもだいたい同じだな」って(笑)


でも、それでいいんです。
それで充分、やっていける。

あと「局所的な自信しかない」から、
助けてもらわないといけないし、
助けてもらったら感謝するのが自然だし、
自分のポンコツも認めるし、笑えるんです。
当たり前の謙虚さを、キープできる。


だからね、結論。

「自信が欲しいです」
なんて【思い方】を、しなくていい。
それは苦しい道だし、ちょっと方向がズレちゃうから。

そうじゃなくてね。

「まずは1つ、得意なことをつくろう」
って思い方を、したらいい。

最初はほんとうに、
ささいなことでいいんです。

「ベーコンエッグだけは、やたら美味しくできる」とか
「同期で1番、コピーとらせたらきれいで早い」とか
「えらくうまいカレー屋を知っている」とか(笑)
「文字入力だけはすげえ早い」とか、
「ネコについてやたら詳しい」とかね。

で「そういう1つ」があると、
実は、全体的に、変わってくるんです。
落ち着くの。

なぜって、
「自分には、アレがある」
って思えるから。

それがたった1つでも、
「人生をしっかり歩くための杖」のように、
自分を支えてくれます。

その杖は、
「誰でも倒せる」ほど万能では、ない。
でも、そんなもの、必要ありません。
「まずは自分がしっかり支えられる」なら、
いくらでも進んでいけるからね。
その先で、さらにいい武器だって、見つけ出せます。


じゃあ最後に、
魔法の質問で、まとめましょう。


●あなたが「比較的に」
得意なことって、何でしょう?

●あなたが「比較的に」
得意にしていけそうなことって、何でしょう?

●得意だとは思ってないけど、
まわりから褒められたことがある部分って、どんなところ?
(小さい頃でもOK。これが一番大事)

●得意かどうかは知らんけど、
「かなり長い時間ずっとやれること」って、何?


「そこ」から始めたら……

やがて「局所的な自信」が生まれ、
「自信がある」のとかなり近い効能をもった
【平静な心】が手に入るからね。

半年に1回ぐらいこの記事を読み返して、
考えてみてね。

もう年末だしね、
ぼくももう一度、考えてみます。
(毎回、何かが見つかるから)


ではでは、くれぐれも、お大事に。
得意なことの中身より、
得意なことが「ある」という事実が重要。