楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

置き去りにされた「喜び」たち。



置き去りにされた「喜び」たち。
それは、感じ忘れているということ。

ぼくは、たまに思い出す。
もっというと、「感じ直す」。

たとえば……

お湯で頭を洗うことは、とても気持ちがいいものだ。
髪がベタついて気持ちが悪くてかゆいのに、
洗えないときもあった。(登山時、入院時)
あのサッパリ感は、ちょっと他には、無い。

大きく息を吸うことや、
細く長く息を吐くことは、すごく心の落ち着くものだ。
外からでは手が届かない肺やお腹が、動く。
少し広くなったりしぼんだりして、自分の内側が羽ばたく。
あのスッキリ感は、ちょっと他には、無い。

湯船なんて、ほんとうは最高だ。
毛穴やツボがひらく。ヒフや筋肉のこわばりが、ほどける。
体がちょっと浮く感じなんて、ほとんど胴上げだ。
水たちに全身全霊を肯定されてるみたいだ。
あのじんわりかんは、ちょっと他には、無い。


それだけじゃない。

 


たまにお腹いっぱい食べる「達成感」、
腹八分目で留めてみる「オトナ感」、
乾いた喉を潤したときの「染みる感」、
歯磨きした後の「こざっぱり感」、
全力で動いた後のぜはぜは呼吸の「助かった感」、
朝いちばんに窓を開けたときの「解放感」、
冷たいお酒がつるんと喉を通る「爽快感」、
少し冷えたお腹に温かい飲み物が届く「安心感」、
言いたいことをきちんと言葉にしてみた「納得感」、
誰かの言いたいことをきちんと聴き切ったときの「連帯感」、
頑張った後に家路を辿るときの「よくやったあたい感」、
何にも用事がない晴れた休日の「平和感」、
何にも用事がない雨の休日の「家の中は無敵感」、
大事な用事がある日の「たまにはこれもいいよね的緊張感」、
料理が狙い通りの味になった「あれ?これ店出せるよね感」、
家で作った料理がお店のやつより美味かったときの
「あれ?これもしかして名店出せるよね感」、
気に入った布団の中で横になる「ようやく今日も終わり感」……


本当は、なんだって、ある。
大盛りで、ある。
新しい名前をつけ始めたら、キリがないほど、ある。


それらは多分すべて
「充実感」についた、あだ名だ。


ぼくらはつい、
手元や足元や胸元にある充実を……感じ忘れる。

「脳の満足」を求めてしまうあまり、
「感覚の満足」を置き去りにする。

頭ではない、
心や体の芯を満たす喜びを、置き忘れる。

先にある幸せの「条件」を満たすことに必死で、
手近にある幸せの「実感」を手放すこともある。

そうして、
幸せから離れるような遠回りをする。
そういうクセが、ある。


だから、感じ直す。


せめて、食べるときには。
せめて、お風呂のときには。
せめて、自分のケアをするときには。
せめて、一番近しい人と大事な話をするときには。


感じ直す。
味わい直す。


すると、
自分が過去や未来から、帰ってくる。
世界が過去や未来から、戻って来る。

変えるべきもとの、変えなくていいものの区別がつく。
嘆くべきものと、嘆かなくていいものの区別がつく。

願うべきものと、願わなくていいものと、
憂うべきものと、憂わなくていいものと、
拘るべきものと、拘らなくていいものと、
捨てるべきものと、捨てなくていいものと、
愛すべきものと、愛さなくていいものと、
憎むべきものと、憎まなくていいものと、
忘れるべきものと、忘れなくていいものと、

区別がつく。


逆にいうと、
頭でだけ考えているうちは、
その区別が、ちゃんとつき切ることがない。

頭は「正解のないこと」に弱く、
大切な問いにはたいてい「正解がないから」だ。

「正解のない大切な問い」に強いのは、
心と体だ。

だからぼくらには、
ぼくらの意識や魂を、
頭ではなく、
心や体に戻す時間が必要だ。

そうしないと、
肝心なことの区別がつかないまま、
時間が過ぎていく。


だから、感じ直す。
味わい直す。


新しいことをやるではなく、
新しい感じ方で今まで通りのことを改めて、する。

「ただいつもより2割増しで丁寧にする」
だけでもいい。


それが『近道』だと思う。

本当に行きたいところが、どこだとしても。



ではでは、今日もお大事に。
直感で書くと、こういうことになる(笑)
でも、理性で書いたものとは、違ったものが
きっと伝わる……という人も出てくる……ことがある。