ぼくは合唱が好きです。
前にオペラシティで
「ウィーン少年合唱団」の歌を聴いたときは、
涙腺が暴発しました。
あまりに会場が沸いていたからか、
アンコールに応えて6曲も追加で歌ってくれました(笑)
再登場のたびに、うれしそうに客席をキョロキョロ見る
子どもたちが、めちゃくちゃ楽しそうだった。
もうね、ずっと長いこと、思ってたんです。
中学生のときぐらいから。
「人間の声ほど美しい楽器はないな。
……でも、なんでだろう?」
最近、答えっぽいのを見つけました。
ピアノもギターも素晴らしいけど、
どうしても、人間がつくったものなんです。
いっぽうで、
人間をつくったのはおそらく、人間を超えた何かです。
神なのか、大自然なのか、宇宙なのか……。
魂のど真ん中を射ぬくのが「人の声」である理由は、
その「違い」がすべてなんじゃないか。
実は健康法でも同じでね、
人間がつくったものだって素晴らしいけど、限界があります。
マッサージ、ストレッチ、サプリメント……
いっぽうで、
自然に生まれたものの力には、限界を超えたものがあります。
(声がない音楽でも、
楽器と同化したり氣を乗せたりする人のものは、例外です)
ぼくが氣功とか素質心理学とかを好きなのは、
自分のなかの「天然」を大事にするものだから、
なのかも知れない。
ぼくらは、
勘違いをしがちだと思うんです。
「努力で得たものには、特別な価値がある」
……そこまでは、合ってる。
でも、
「生まれ持ったパワーには、適わないところがある」
このことも、忘れないほうがいい。
得意なことは何か?
自分の武器って何か?
個性って何か?
――そう問われると
「学び、身につけたこと」を、答えだと思いたくなるんです。
だって、苦労して得たものだから。
でも本当に得意なこと、
武器になること、
個性となるものって
「生まれ持ったもの」です。
自分では「すごいとも思わないこと」だったりします。
だって、当たり前だから。
天然ボケは、天然ボケ過ぎて、自分の天然さに気が付かない。
まじめは、まじめ過ぎて、自分のまじめさに気が付かない。
あなたは、あなた過ぎて、あなたの才能に気が付かない。
なぜなら、「備え付けだったから」
……と言ったら、わかりやすいかな(笑)
だから最近、よく考えるんです。
今ぼくがやっている仕事の、どれとどれが、
「自分が生まれ持ったものとつながっているのか」と。
そして、
「もっと自分のルーツにつなげるには、どうしたらいいか」って。
子どもの頃から好きだったこと、
なぜか時間を忘れて取り組めたことの延長上に、
今の自分を配置していけないか。
そう……いわば、
「機能を上げていく」というよりは、
「もっと強い電源とつながる」という発想。
その先でこそ多分、
人工レベルではないパワーや魅力がわいてくるはず。
あの少年たちの合唱みたいな。
今回はちょっとふわっとした話だけど……
長い時間働く(生きる)のが当たり前な時代だから、
こんな考え方も、大事なヒントになるんじゃないかな。
ではでは、くれぐれも、お大事に。
もう少し訓練をちゃんとして、声に氣を乗せたいなぁ。