ぼくは「可能性」のリレーをしてる。
昨日のぼくは途中までしか走れなかった。
転んだりもした。
それからはずっと歩いてた。
でも、それはそれでいい。
今日のぼくが、そのバトンを受け取る。
今日だって、どこまで行けるかは、わからない。
思ったより全然、カッコよく走れない。
スピードが出ない。
あまりに空がキレイで、しばらく寝ころがることもある。
それでも、バトンだけは捨てない。
明日のぼくが、迎えに来ればいい。
明日のあなたが、拾ってくれるかも知れない。
だから、途中まででもいいやと思って、ぼくは走る。
カッコいい日もたまにあるんだからと、カッコ悪くても走る。
歩いてしまうときがあっても、
立ち止まってしまうときがあっても、
バトンを握る。
バトンはすべてを見てきた。
よくできたメモリのように、何かを伝える。
昨日から今日へ、今日から明日へ。
ぼくからあなたへ。
だから、途中で止まっても、先がある。
本当は、そう思っている。
そのおかげで、安心して遠くまでを目指せる。
遠くまで行けるときもある。
どうしても辛くなったら、座り込んでもいい。
バトンさえ持っていたら、走り直す資格はなくならない。
どうしてもダメなときは、誰かが預かってもくれる。
ぼくが作れるのは、いちりゅう品ではないだろう。
ぼくが残せるものは、最後まで、未完成だろう。
でもそれは、バトンだ。
ぼくが完成させる必要はない。
未完成だからこそ、つながるものも、あるだろう。
未完成の誰かと引き合う完成も、あるだろう。
だからぼくは、つくれる。
いちりゅう品ではなくても、
いちりゅう品を夢見るものならば、
残す価値があると信じる。
このバトンがやがて、
なかなか出来のいい墓標になるかも知れない。
あるいは誰かが、走り継いでくれるかも知れない。
そういうイメージを少しだけ脳裏において、
ぼくは今日も「可能性」のリレーをしている。
ゴールは見えない。
でもだから、いつまでも面白いリレーができる。