楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

あの夜、本屋さんだけがぼくの「逃げ場」だった

あの夜、本屋さんだけがぼくの「逃げ場」だった


あの夜、
本屋さんだけがぼくの「逃げ場」だった。

兄とまたケンカをした。
言い争いを始めたのは、どっちが先だったか。

小学校 低学年のおとうとから見て、
3つ上の兄は、ほとんど「巨人」。

 


まして、
運動もスポーツも万能だった兄に比べて、
ぼくはどちらも「中の下」。
勝てるわけがない。

前にたった1回だけ、口ゲンカに勝ったことがある。
でも、勝ち誇るヒマさえなく、
「おまえ、ナマイキ言うな!」と、ゴツン。

口ゲンカで勝っても何の意味もないんだと、
痛感しただけだった。
(もしかしたら、あれは大事な学びだったかも知れない)


ぼくにはまだ「ぼくの部屋」がない。

だから、
兄にケンカで負けたときは、
家の中に居場所がない。

負けるのが当たり前だとはわかっていても、
そんな事実は、何の慰めにもならなかった。
あまりに悔しくて、後から後からこみあげるものを
必死でこらえながら、家を出る。
泣いた顔も泣いた後の顔もまた泣きそうな顔も、
誰にも見られたくなかった。

いつもだったら、ジイちゃんの家に逃げ込む。
何を話すでもなく、
ゆっくりゆっくり「戦艦ヤマト」のプラモデルを
組み上げる手元を見ていた。
どんなにひどいケンカのあとでも、
その景色は、嫌な気持ちをぜんぶ吸い込んでくれるみたいだった。


……ただ、その夜は、違った。
少し前にじいちゃんが、入院してしまっていたから。

ぼくは、どこに行けばいいんだろう。

今の顔は、誰にも見られたくない。
夜に家から出てきた理由も、聞かれたくない。
それなのに、一人ではいたくない。

そんなすべてを察してくれた唯一の人、
じいちゃんがいないことが、改めて悲しくなる。

とぼとぼ、とぼとぼ、歩く。

田舎過ぎて「近所はぜんいん顔見知り」だから、
草っ原とかにじっとしているわけにもいかない。
もし大人に見つかって理由でも聞かれたら、
2秒で泣いてしまうに違いない。
そんなこと……プライドが許さない。

街灯も少なくて、
6時を過ぎたら、真っ暗になる。
コンビニなんて、まだ一件もない。
肌寒い。
それでも、戻ることも止まることもできないから、
とぼとぼ、とぼとぼ、歩く。

そんな中、夜の中に1つだけ、灯りがある。
それは小さな、本屋さんだった。
ロウソクの火みたいだ。


深く考えるでもなく
吸い込まれるようにして入った店内は、
何もないはずの外よりずっと静かだった。
シーンとして、温かい。

店主は愛想が悪いのか、
気が付いてもいないのか、
「いらっしゃいませ」とも言わない。
蛍光灯が1つ、きれかかかってチカチカしている。

それが、ぼくには有り難かった。

お金なんて持ってきていないけれど、
他に行き先もない。
友達の家には、もう行ってはいけない時間だ。

しょうがない。
マンガ、マンガ雑誌、文房具……
見るともなく、見ていく。
その少し前から「マンガの立ち読みが禁止」に
なっていたから、大して時間もつぶせない。

そこでぼくは、小説を手に取った。
小説なら、立ち読みができたから。

自分の意思で文字ばかりの本を手に取ったのは、
あれが初めてだったと思う。


その本屋さんには「宗田修」の
「ぼくらシリーズ」が、たくさん置いてあった。

「ドラゴンボールみたいには面白くない」
けれど、少し大人になったような気持ちになる。
わかるところとわからないところが半々ぐらいの
文章を読んでいると、ものすごく頭を使うからか、
少しずつ、胸を埋めていた悔しさが、
鎮まっていくのがわかる。


――ふと気が付いたら、
壁の時計はもう8時を過ぎている。
やばい。

慌てて帰ろうとするぼくを、
店主がチラッとだけ見た。
夜遅くまで子どもが立ち読みばかりして、何かを買うでもない。
でも、何も言わないでいてくれた。

申し訳ない気もするけど謝るのも変で、
お礼を言うのもどこか違うと思ったから、
ちょっと振り向いてみたものの、
何も言葉が出なかった。

ただ、
何秒か困ったあとで、なんとなく……ペコッと頭を下げた。
ふさわしくなかった気がして、すごく照れくさい。
でも、それを見た店主は、
初めて表情を少し崩して、静かにうなづいてくれた。

……うれしかった。

当時は「うれしい」という言葉しかなかったけれど、
それ以上の気持ちだった。

静かで温かくて
外と何も関係がない場所にいさせてもらって、
何も言わずに放っておいてくれて……
この夜の悔しさや不安や無力感や空しさのすべてに、
「それはそれでいい」と言ってもらったような気がした。

走ってお店を出るときには、
やっぱり泣いてしまいそうだったけど
(本当はちょっと漏れていたけれど)、
さっきまで心配していたような、
大事などこかが削れるような苦しい涙とは、違っていた。

本屋さんを出て何度目かに振り返ったとき、
灯りが消えるのが見えた。

もう一回、
そこにあった灯りに、
お辞儀をしたいような気持ちだった。



……ただ、門限をおおはばに過ぎている。
めちゃくちゃ怒られる。
せっかく気持ちが落ち着いた今、
夜まで家にいなかった理由なんて、聞かれたくない。


「こんな遅くまで、どこにいたの?」

真っ暗な時間に帰ったぼくを迎えた母の声は、
思ったより、きついものじゃなかった。

ぼくは、うまい言い訳なんて何も浮かばず、
「……本屋さん」とだけ、答えた。

何かを察してくれたのかどうか、
それ以上、何も聞かれなかった。


――助かった……。

切実に、そう思った。



ぼくは、あの本屋さんが、好きになった。
本屋さんなんて、それまで
「マンガを買ったら速攻で出るところ」だったけど、
まったく違う存在になった。

あの夜から何度、あの場所で、
ぼくは自分を立て直してきただろう。


店主は、いつもそこにいた。
愛想はないし、親切な対応や言葉なんて
何もないのに、いつも、やさしかった。

しっかり思い返しても
「いらっしゃいませ」なんて1度も聞いたことがない。
(それはさすがにどうかと思う(笑))
けれど、いつ行っても、
まるで待ってくれていたみたいに、
気兼ねなく、そこに居ることを許された。

あの本屋と店主と本たちの無言に、
ぼくは何度、助けられただろう。


ずいぶん後になってわかったことだけれど、
ほんとうは「立ち読みお断り」で、
「7時半閉店」のお店だったらしい。

あの夜、
ぼくの「逃げ場」になってくれたとき、
店主は、何をどこまで、わかってくれていたのか。
何も聞かず、何も言わず、
ただ同じ空間にいてくれたことで、
ぼくに少しずつ集まっていった安心感は、
間違いなく、あの人のおかげだった。


それから、
実家を離れるまでずっと、
その本屋さんは、ぼくにとって、
「家でも学校でもない、第三の居場所」だった。

どちらもうまくいかないときでも、
あの本屋さんは……あそこにある本たちは、
黙って待っていてくれた。

比較がない、否定もない、評価もない。
「安全基地」だった。


肺炎で2週間も入院したあと、
勉強にもサッカーにも将来にも出遅れたみたいで
不安だったときは、「脳内革命」が支えてくれた。
“頭が良くなるためにもストレッチしてたらいいんだ” って思った。
(そのサンマーク出版さんから、将来、ストレッチ関連の本を
 自分が出版するなんて、夢に思わなかった。人生って不思議ね)

中学にあがって
急にサッカー部のキャプテンにされて挫折しかけたときには
「ジーコの考えるサッカー」が助けてくれた。
“自分が一番うまい必要はないし、ミスが7割でいい” んだって、わかった。

サッカーのプロになるのはどうやら無理だと気づいて、
将来がまったく見えなくなったときには、
「すべての男は消耗品である」を、貪り読んだ。
“何も知らないうちは悩む段階でさえない” って、わかった。


そんなふうに、
いつも本屋さんには、助けてくれる大人がいた。

ぼくが聞かない限り、絶対に、お説教はされない。
でも、ぼくが何かを教えてもらいたいと思えば、
その気持ちが拒絶されることは、決してない。

あの店主自身がそうだったし、
宗田修も、ジーコも、村上龍も、浅田次郎も、
山田詠美も、ファーブルも、よしもとばななも、そうだった。

本屋さんは、
そういう「見知らぬ大人」との
出会いの場所でもあった。

きっとそれは、
アマゾンにもYoutubeにも、替わりができないこと。

自分を否定するものが何もない場所で、
何かを押しつけられることもなく、
子どもが「いっときだけでも避難できる」ということ。

好かれたい焦燥感も、嫌われたくない不安もない。
誰かに守られなければいけない頼りなさも、
誰をも守れない情けなさも忘れて、
ただ、しずかに迎えてもらえる場所。

子どものぼくにとってそれは、本屋さんだった。
その歴史をかかえて、40才を目前にした今でも、
その根っこは、変わらない。

特に、町の小さな本屋さんを見つけると、
必ず入って、店主の顔を見てしまう。

あの頃の埋め合わせにはならないけれど、
小説か雑誌を買って、出てくる。


1つでいいから、
「行き場のない子ども」や、
「行き場のない子ども心を抱えた大人」に、
安全な居場所がありますように。

健康に携わる仕事をするようになって、
つい、おせっかいにも、祈ってしまいます。

中学のころ、若さにまかせて
小説家になることを夢見たことがありました。
それはきっと、
「かりそめの居場所や逃げ場」を提供できると思ったから。
ぼく自身がそれを得たことで、
失わずに済んだものがたくさんあったから。

あの夜、あの本屋さんがなかったら……
もし本屋さんの店主が、
無愛想でやさしいあのおじさんじゃなかったら、
何かが、大きく違っていたと思うんです。

不況がきびしいときだからこそ、
町の本屋さんが誰かにとって
神聖な居場所として残っていくことを望みます。


あなたにとっての本屋さんって、
どんな場所でしたか?


ぼくにとっての本屋さんは、
「安全基地」でした。


ではでは、くれぐれも、お大事に。
年はとっても、ぼくは大して変わってないなぁ。


■追伸:

今回の出版にあたっても、ちょくちょく、
「もし買って頂けるときには、
 できればネットではなく、本屋さんでお願いします!」
とお願いしてきたのは、こんな理由からでした。

もうすぐ本屋さんにもぼくの新刊が置かれ始めますが、
あの夜、黒色の中に浮かんで見えたあの本屋さんみたいに、
誰かにとっての希望の灯りになりますように。
(そしてあわよくば、200万部ぐらい売れますように!)