楽ゆる式◎セルフケア整体

心と体が楽になるコツ。辛い症状・病気を自分で治したい人へのヒント。 ----- by 楽ゆる整体&スクール代表 永井峻

ぼくは「迷子になると死ぬ」と思ってた

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こわくて、うまく息ができない。
鼻がツーンと痛くなる。
おかあさんをすぐ探したいのに、視界は涙でボヤける。

ぼくは、迷子が怖かった。

 


大きな声で助けをよびたいけど、苦しくて、言葉にならない。
近くにいる大人のひとが声をかけてくれたりもする。
……でも、知らない大人も怖い。
恥ずかしさも倍増する。
もっと泣く。
もっと前が見えなくなる。
もっと苦しい。

「このままぼくは、死ぬんじゃないか?」

何も知らない5才ぐらいのころ、
迷子になるたびに、命の危機を感じていた。


迷子なんて平気な子もいるのに、どうしてだろう?


せんめいに覚えているのは、ニュースだ。

テレビを見ていたら、びっくりするほど、
「毎日のように誰かが亡くなって」いる。
交通事故、火事、病気……
どうしていつまでも、止められないんだろう。
ニュースが怖い。
特に「ゆくえ不明」なんて、
迷子になった子どもがそのまま見つからなくなる事件だと思っていた。

それに、
北陸地方の富山という地方がらもあって……

「夜の海には絶対に近づいてはいけない。
 潜水艦が来て北のほうにさらわれる」

と、くり返し聞かされたことも、影響したかも知れない。
(実際、父の世代などに、姿を消した人がいたりする)


そのころ……

保育所で、ぼくと同じ菊組には20人ぐらいの「おともだち」。
他の学年の子やお兄ちゃんの友達、
お父さんやお母さん、じいちゃんやばあちゃんの友達を含めても、
「ぼくの世界にいる人間」は、100人もいなかい。

だから、だろう。

毎日、100分の1ぐらいの確率で人がいなくなるような感覚。
それが100日くり返されれば、どうなるか……

『いつ、ぼくに「死ぬ番」がまわってきても、おかしくない』

本気で、
そんなふうに思っていた。

もちろん、子どもの妄想でしかない。

でも、
日本にはそもそもすごい数の人間がいることや、
毎日亡くなっている人の中に自分の知り合いはいないこと、
だから100番以内に自分に危険が迫るわけじゃないこと。

そんなこと、
当時のぼくには、わからなかった。

もちろんぼくが、
「そんなふうに怖がっている」なんてことは、
周りの誰もが、知らなかった。
ぼくも説明できなかったし、
そもそも、自分の怖さの実態なんて、よくはわかっていなかった。
(だから怖いのだけれど)


そんなぼくにとって「迷子」は、
死の危険がもっとも高くなる状況だった。
(「ゆくえ不明」の準備段階)

きっとその頃のぼくは、
放っておくことができない、手がかかる子だっただろう。
(もの凄くちなみに、よく女の子に間違われるほど
 たいそう可愛かったらしい)


でも、
そんなぼくにも、転機が訪れる。

きっかけは、保育園にあった。

ぼくは「お迎え」の時間が、怖かった。
(思い返せば、怖い時間ばっかりだ(笑))

玄関の近くに群がる子どもたち。
みんなワイワイ騒ぎながら、ただただ、待っている。
やがて、たくさんの親たちがやってきて、
親に手をひかれて、次々と、楽しそうに帰って行く。

家に帰れるのがうれしくてしょうがない顔。
きょう保育園であったことを早口にお話する、大きな声。
遠ざかる幸せそうな背中。
ひとり減り、またひとり、減る……

今も理由はよくわからないけど、
ぼくはいつも「最後のほう」だった。

別に何も感じない子のほうが多いだろう。
でも当時のぼくには、
「トビラの向こう側」が明るい世界で、
「トビラのこちら側」は暗い世界のように思えた。

いつまでもここには、いたくない。
早くあっち側に行きたい。

でも、何度も何度も、
ぼくと「のりくん」の2人だけが、残った。

もう周りに、のりくん以外の友達はいない。
さっきまでお祭りみたいに話し声が聞こえていたのに、
火が消えたみたいに静かになる。
こうなるのがイヤで「あの角のほう」をずっと見ているのに、
おかあさんの姿もばあちゃんの姿も、見えない。


迷子に、似ている……


キョロキョロするぼくに、先生が声をかける。

「もうすぐお母さん来るから、大丈夫やよ」

しかし、面倒なことに、
慰められると、余計に泣いてしまう。

理解してもらえたうれしさと、
隠したい自分の弱さがバレ切っている恥ずかしさが、かけ算になる。
ほんとうは知らないフリで、ごまかして欲しい。
でも……こちとら
ほんきで怖いんだから、簡単にはごまかされない(笑)

隣にいる「のりくん」はいつもケロリと1人遊びをしていて、
泣き出すのは、ぼくばっかりだった。

「たかちゃん、大丈夫だよ!」

先生につられるように、
のりくんがぼくを慰めてくれる。
ひとつ年下の子なのに、
おもちゃまで貸してくれる。
やさしい。

……余計に涙が止まらない。




のりくんのばあちゃんと、
うちのお迎えが来るのは、いつも、どっちが早かったんだろう……

もうあまり記憶がないけれど、
半々ぐらいだったように思う。


泣いてしまった自分が情けなくて、泣き止むことができない。
途中からたぶん、涙の意味は変わっている。
怖い、悲しい、有り難い、恥ずかしい、悔しい……



そんなことを繰り返すうちに、
ぼくはあることに気がついた。

いつだって大事なことを思いつくのは、夜。
何かが理由で眠れない「布団の中」だった。

なんでいつも、ぼくの「お迎え」は遅いんだろう?

そればかり思っていた。

でも、よく思い出してみると、
「お迎え」が来なくても、自分で帰る子もいたな……
(上級生が多かったけど)

もしかしたら「あれ」って、
ぼくにもできるんだろうか?

もしも「あれ」がぼくにもできたなら、
あの孤独を煮詰めたような時間から
自由になれるかも知れない。

でも、スーパーでさえ、
1人になれば襲ってくる「あの怖さ」は、
どうしたらいいんだろう?

布団のなかで、ひとり会議がはじまる。

何度も考えて、何度もためらって、
また考え直して、今度は逃げ腰になる。

でも、諦められなかった。
「あの怖さ」から自由になれる可能性は、
ぼくにとって、あまりに魅力的だった。

ほとんど眠りもしないまま、
空が明るくなってくるころ、ぼくは、
自分だけの冒険をはじめる決意をした。


……続く。



■付記

「永井さんは色んな挑戦をして成功させているように
 見えますが、昔からチャレンジャーだったんですか?」

という質問を頂いて、
今回の話を書こうと思いました。

もちろん、本編ではまだ何にも解決していませんが(笑)
今回お話してきたように、ぼくは人の3倍ぐらい、
臆病で怖がりでした。

でも、その克服方法を手づかみで学んだのも、この頃だった。

正直なところ、40才にもなる今だって、
臆病は治っちゃいません。
そして、ぼくが怖いことを克服するために今やっていることも、
5才のころに見つけた方法と変わりません。

だからこの実話は、
臆病さを抱えながらもチャレンジャーでいるための
一つの「答え」になるような気がしています。
(あと1回だけ、続きます)